26.明渓の休日 1
長閑な日常です。
「思っていた以上に華やかです!!」
感嘆しながら、忙しなく周りを見渡す明渓の隣で、白蓮が目を細めその様子を見ている。この状況を楽しんでいるのは、間違いなく白蓮の方だろう。
蔵書宮の幽霊騒ぎのどさくさに紛れて約束した春節の祭りに二人は来ている。
それぞれの店が赤や黄色の布で店先を彩り、龍の絵や刺繍、置物を飾っている。この時期だけ開店の許可がおりた露店も出ているので、平時の倍以上の店先がずらりと道の両脇にひしめいている。
田舎暮らしの明渓にとって、こんなに沢山の店が並ぶのを見るのは初めてのことだった。おまけに、どこから湧いて来たのかと思うほどの沢山の人で、気をつけて歩かなければ肩がぶつかってしまう。
「白蓮様! あれは何でしょうか?」
キラキラした目で、異国の物を取り扱っている露店を指さす。玻璃製の器や香辛料と一緒に、隅の方に陶器で出来た小さな蓋つきの器が並んでいた。
「明渓、さっき言っただろう。今日は『僑月』で敬語もなしだ」
「……そうでし……だったわね。でも、何だか慣れなくて」
「いやいや、つい数ヶ月前まではそう呼んでいたじゃないか」
呆れたように白蓮は言うけれど、知らないでするのと知っていてするのとでは違うというもの。
明渓は困り顔で頬に手を当てぶつぶつと話し方の練習をしている。そんな顔も可愛いなと眺めるのは相変わらずだけど、いつも以上に顔がほころび機嫌が良い。
博識な明渓が先程からあれは何? と聞いてくるし、どの道を進むかについてはすっかり白蓮任せだ。頼られて嬉しくないはずがない。
しかも、年相応に無邪気にはしゃぐ姿は滅多には見られない貴重なものだ。
普段も目をキラキラさせて、夢中になる事があるけれど、その対象が年頃の娘とは少々……いや、かなりずれている。
そんな明渓が、異国の宝飾品を手に取り眺めている。細工の細かさや、熟練の技巧が気になるようだ。決して自分を着飾る事に興味を示している訳ではないけれど、珍しい光景ではある。
今度は端に置いている小さな陶器製の器を手に取った。蓋を開けると赤い練粉のような物が入っている、
「お嬢さん、それは異国の爪紅だよ。他にも何色かあるから見て行きなよ」
日に焼けたお店のおばさんが愛想のいい笑顔で話かけてきた。その笑顔に乗せられてついつい他の器も手に取ってみる。
「今後宮で流行ってるよね。爪紅」
明渓の耳もとで白蓮が囁いた。後宮という言葉を聞かれたくないからだろう。
「そうなの?」
「知らなかった? 上級妃から始まって今では侍女もしているよ。ただ、後宮で流行っているのは異国の物ではなくて鳳仙花と鬼灯の葉をもみ合わせた物だけれどね」
「そうなんだ。……でも朱閣宮では香麗妃も侍女もしていないわよ?」
「あぁ、それは鬼灯を使っているからだよ。鬼灯は堕胎薬にも使われるから貴妃様や、若くて帝の渡りがある妃嬪には使わないように話している」
明渓はまた別の物を手にして蓋を開け始めた。着飾る事に興味はないけれど、異国の珍しい物となれば好奇心が疼き出す。
「買ってやろうか? どれがいい?」
白蓮も一つ手に取り中身を眺める。爪を赤く塗る女心なんてさっぱり分からないけれど、明渓が興味を持っているのは分かる。
「いいよ、自分で買うから。お給金も頂いているし」
「でも、あの方には買ってもらったんだろう」
白蓮は口を尖らせ横目で明渓をじろり見る。今明渓が着ている服も、外套も、先程までしていた手袋もすべて青周からの贈り物だ。
「いつの間にそんなに仲良くなっているんだよ」
「別に仲良くなってないわ。ちょっとあのご兄弟に拉致られただけよ」
はぁ、と白蓮は大きなため息をつく。
だから空燕が戻ってくると碌なことが起こらない。発想が斜め上で行動力があるから手に負えないし、何故か常識人の青周も便乗している。
明渓は暫く迷った末、一つを店主のおばさんに差し出した。
一番始めに手にとった品だった。桃色に近い赤色を見ていると、桃の花が咲く頃つけてみようかなと柄にもなく思ったからだった。
「腹が空かないか?」
その言葉に明渓は大きく頷く。
沢山出ている露店の中でも一番多いのが食べ物を扱っている店だった。焼き鳥やリンゴに飴を絡めたもの、汁物屋の前には椅子も置かれている。ちらほらとお酒も目に入る。
「最近、市井で流行っている食べ物って何?」
酒を横目にグッと堪える。白蓮と酒の組み合わせは大変まずい。
「運命煎餅かな? 明渓、最近占いの本を読んでいるだろう? そんなの信じそうにないのに意外だよな」
「どうしてそれを知っているの!?」
明渓が一歩退き身構える。
まさかとは思うけれど、勝手に部屋に入ったのかと、警戒心のこもった目で睨みつける。
「いや、別にやましいことはないぞ!? その握りしめた拳はなんだ? この前蔵書宮で見ていたのが占星術の本だったじゃないか。あまりにも不似合いで覚えていたんだ」
なんだ、それでかと拳を握るのをやめる。
付き纏い気質ではあるが、さすがに最低限の常識は持ってくれた。
「偶然、最近後宮に出入りしている占い師に蔵書宮で出会って占ってもらったことがあったの。それが妙に当たっていたのでついつい気になって」
「ほぅ。そんなことがあったのか、で、何が当たっていたんだ?」
「……近々会う男には気を付けろと……やめておけ、だったかな」
少々言葉尻を変えて答える。口説いてくる三人目の男、と言ってしまったら一人目と二人目の存在を認めたことになってしまう。
「それが当たっていたのか!? いったい誰なんだ」
白蓮の口調がきつくなり、頬が引き攣っている、
「……空燕様です」
小声でその名前を口にした。
それを聞いた瞬間、白蓮は腑に落ちたように何度も頷いた。
「それは当たっているな」
「拉致されましたから」
やれやれとうんざりした口調で呟く明渓の視線が、一際にぎわっている店の前で止まった。
とても良い匂いがしている。
「僑月、あれは何?」
つんつん、と白蓮の袖を引っ張る。
「あぁ。二色饅頭だよ。一つの饅頭に左右で二種類の餡が入っていて、あれも最近市井で流行っているらしい。店によって入っている餡は様々と聞くけれど……ちょっと並ぶみたいだけどいいか?」
明渓は大きく頷いた。腹の空き具合から言って煎餅では少々物足りないと思っていたところだ。白蓮も食べるのは初めてだと言う。
並びながらも、明渓はキョロキョロと周りを見渡す。
「楽しそうだな」
「うん! 連れてきてくれてありがとう」
(うっ、可愛すぎる)
無邪気な笑顔に、白蓮の頬が赤らむ。そして緩む。
妃嬪でも、侍女でもない明渓の新たな一面を垣間見た気がしていた。
待つ時間さえ楽しく過ごしていたら、思ったより早く順番が回ってきた。
「これと、これを一つずつ」
白蓮が小銭を渡しながら指差す。
「二つでいいのか?」
店主のおじさんは、二人を見て不思議そうに聞き返して来た。白蓮は怪訝な顔をしながら頷くと、出された饅頭二つを受け取った。それを持ち、道の隅に置かれた簡素な長椅子に並んで腰を掛ける。
白蓮が選んだのは肉餡と辛味が強い野菜餡の二種類、明渓は肉餡と甘い餡子が入ったものを選んだ。どちらもズシリと重く食べ応えがありそうだ。
白蓮はがぶりと肉餡の方に噛り付いた。明渓は手でちぎってふぅふぅと息を吹きかけている。
「もしかして猫舌?」
「うん」
(可愛すぎる)
息を吹きかけるその尖った唇といい、早く食べたいのに食べられないでいるじれったい顔といい、まるで幼子のようだ。白蓮は口を開けたままじっと見入っいると、
「……食べたいの?」
その視線を感じて明渓がチラッと白蓮を見る。
「沢山あるんだし、欲しいなら欲しいと言ってよ」
仕方ないなと餡子をちぎって白蓮に渡そうとする。
白蓮はしばらくその破片を見つめると、手を伸ばし明渓の手首を掴んだ。
そしてそのままパクっと喰らいつく。
指先と唇が微かに触れた。
「なっ、自分で食べればいいでしょ?」
握られていた手をブンと振り払い、思いっきり睨みつける。形の良い目がググっと吊り上がる。
「美味しいよ」
そう言いながら、うっとりとした表情を浮かべた。明渓の睨みは白蓮にとってご褒美のような物だ。
ずっと長閑なデートが続くはずはありません。でも暫くは街中のお話です。
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