24.啜り泣きの正体 3
次の日起きると、雪は薄っすらと積もっていた。
午前中、公主達の庭遊びに付き合った明渓は、香麗妃の許可を取って皇居を出ると軍機処へと向かった。軍機処とは、軍の大将や副将が執務を行う場所だ。
昨夜、朱閣宮まで送ってくれた青周に、昔の後宮の地図を見せて貰えるように頼んでいたのだ。
門番に名を告げると、青周のいる部屋へ案内してくれる。二度と来る事はないだろう場所に、ついでとばかりに視線をあちこちに投げかける。華美な装飾は一切なく、すれ違うのは厳つい武官ばかりで、物珍しいのか皆、チラチラと横目で明渓を見てきた。
扉を開けると、部屋は充分に暖められている。
奥の机に座る青周が、机の前にある長椅子に腰掛けるよう促してきた。
「少し待ってくれ」
そう言うと、手元の紙に目を通していく。机の上には紙や本が山積みとなっていて、多忙な様子が窺える。青周は筆を取ると書類に何やら書いて、隣で待っていた男に渡し、他に用事をいくつか伝えている。
男は何故か首を傾げると、時間が掛かりますが宜しいですか? と聞き、青周はゆっくり行ってこい、と答えていた。
男が出て行くと、引き出しから古びた紙を出して明渓の隣に腰をおろした。
「あの、忙しいようですし私の事は気になさらずお仕事を続けてください」
「気にするな。午前中に粗方やり終えている」
そう言って、昔の後宮の見取り図を開いた。かなり大きな地図で、並んで座った二人の膝の上にそれを広げる。
「この辺りは井戸が多かったのですね。住んでいたのに気付きませんでした」
地図を見ながら明渓が呟いた。昨晩見たところ、あの辺りだけでも四個も井戸があった。桜奏宮には一年程住んでいたけれど、蔵書宮と朱閣宮、それに時々青周宮に行くのに忙しくて、桜奏宮より南には足を向けたことがなかった。
ただ、住んでいた立場から言わせてもらうと、暗闇で人影を見たことも啜り泣く声を聞いたこともない。侍女達からもそんな話を聞いたこともなかった。
「昨晩見た井戸は、上から石で塞がれていましたが、全ての井戸が塞がれているのですか?」
「あぁ、一応塞いでいる。とは言っても万が一にも誰かが涸れ井戸に落ちるのを防ぐために石を上に載せているだけだがな。小さな隙間は空いているかもしれない」
安全措置を施した上で放置しているといったところだろう。
地図を見ていた明渓の目がふと留まった。あれ、と首を傾げる。
「昨日あの辺りを歩いた時には井戸は四つしかありませんでしたが、一つは埋められたのでしょうか?」
「うん? そんな話は聞いたことがないな?」
青周も地図を覗き込む。
地図には井戸を表す「井」の文字は五つある。しかし、昨晩見た限りでは四つしか見当たらなかった。暗かったので見過ごしたのかもしれないが。
それに、地図に書かれた井戸の場所もおかしい。あの空き地付近にまとめたように「井」の文字が五つ並んで書かれている。宮や大通りは比較的正確に書かれているけれど、井戸の位置は大雑把に書かれているのだろう。だとすると、
「個数を書き間違えただけではないのか」
青周の言葉に明渓は何か引っかかりを感じながらも、小さくうなずいた。
それから、珍しく気迷いするような表情を覗かせると、おずおずと問いかけた。
「昨晩、暁華皇后もそちらに入った事があるとおっしゃていましたが……」
「あぁ、その事か。幼くてあまり覚えていないが、白蓮が産まれる前だったから、四、五歳の頃だと思う。二週間ほどあの中にいたことがあったらしい」
腕を組みながら平然と答えるその様子から、もう少し詳しく聞いても良いかと思案していると、黒曜の瞳が覗き込んできた。
「詳しく聞きたそうだな」
「いえ、決してそういう訳では……」
言葉の後が続かず思わず黙ってしまった明渓を見て、青周は微かな笑みをが浮かべた。
「気にするな。昔から皇后についてとやかく言われるのには慣れている」
そう言うと当時の事を話しだした。
皇后がまだ徳妃として後宮にいた頃、階段から落ちて流産した中級妃がいた。
その娘はもとは賢妃の侍女で、帝に気に入られ中級妃となったばかりだった。よっぽど相性が良かったのか、侍女の頃からお手付きだったのか分からないけれど、妃になってすぐに腹に子を宿した。
当時帝に子は三人。東宮時代からの妻との間に峰風、徳妃と淑妃の間に青周と空翼がいた。
そして、暁華皇后がその妃を突き飛ばしたと密告があった。
その為、黒か白かはっきりとした証拠が見つかるか、もしくは自白をするまで暁華皇后は牢舎で過ごすことになった。
「当然皇后は無実を訴えた。誰かに謀られたと言い続けたらしい。疑心暗鬼になった皇后は出された食事に毒が含まれていると言って二週間何も口にせず、疑いが晴れて出て来た時にはげっそりと痩せていた」
青周は話し終えると明渓を見た。
じっと地図を見ながら、細い指先で顎を叩いている。青周はそれ以上何も言わずに、肘掛けに身体を預けるようにして、その様子を静かに眺める事にした。
「あの、青周様。後宮で昼間の内に調べたいことがあります。私では目立つので、白蓮様に頼もうと思うのですが、文を届けるにはどうしたらよいのでしょうか? それから、返信の内容によっては青周様にお願いしたい事があります」
青周は先程まで使っていた机を指差した。
「紙も筆もある。座って好きに使えばよい。書き終わったら使いを出してやる」
「……あの、そちらの席に私が座っても宜しいのでしょうか」
「構わん。先程、補佐の者には夕刻までかかるような仕事を言い付けたので、暫く誰もこない。気兼ねなく使え」
明渓は、怪訝な顔をしながら出て行った男を思い出した。言いつけていた仕事が如何様な内容だったかについては、触れないでおこうと思った。
座って良いと言うのなら、と軍の副将の椅子に座り筆を取った。青周が用意してくれた紙にさらさらと文を書いて行く。
「なかなか綺麗な字だな。茶や花も出来るのか?」
「茶道と生花は作法を知っている程度です」
青周は背後から文の内容に目を通すと、描き終わった明渓の手から筆を受け取り
《以上の内容を夕刻までに調べて、軍機処まで報告しろ》
一文を付け足した。
そして真上から椅子に座ったままの明渓を見下ろすと、
「さて、返信が来るまで何をするか。お前、囲碁と将棋どちらが得意だ?」
と両手を机の上に置き上質の笑顔で聞いてくる。明渓にしてみれば、真後ろに立たれ、背後から伸ばされた両腕の間にすっぽり収まっている状態だ。逃げようにも逃げられない。おまけに暫く人は来ない。
「……夕刻にまた来ます。お仕事を続けてください」
明渓は、背後から感じる温もりと香の匂いに落ち着かない気分になってくる。おまけに、頭の上に重みまで感じ始めた。顎で頭を押さえられては、身動きさえ出来ない。これでは後ろから抱きしめられているようではないか。しかも、椅子の背もたれが邪魔をして突き飛ばす事もできない。
「仕事は終わったと言っただろう? それとも、また公主達と雪遊びに興じるのか?」
それを言われると……
いや、そもそもこの状態から抜け出す手はあるのか? と、暫く思案したあと、
「…………将棋でお願いします」
とりあえずこの体勢から解放されたくて、明渓は白旗を挙げた。
分かった、と明るい声が頭上から響いてくるのを、苦虫を噛み潰したような顔で聞きながら、青周が将棋盤を取りに離れた事にほっとした。
その後、将棋の勝敗の数が均衡したところで白蓮から返信が届いた。そしてその夜、明渓の頼みで手配された刑部の武官により、牢舎で密会を重ねていた宦官と侍女が捕まった。
謎解きは次話です。
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