19.外出 4
場所はこの時期何も植えられていない畑。
その周りをぐるりと人が囲んでいる。工房の人間は全員呼んでもらった。意外な事に半数程は女性だ。あとは、近くの家の人間と……
明渓の視線が一点で止まった。
(どうしているの?)
視線の先にいるのは、呆れた顔の白蓮と、何が始まるのかワクワクしている雲嵐。それから、後ろに韋弦ともう一人日に焼けた痩身の男がいた。その男は雲嵐の側近であり護衛でもある燗流で、朱閣宮で一度明渓と会っている。
「おい、どこ見てるんだ!」
強秀に呼ばれて視線を戻す。この寒空にわざわざ上着を脱いで木刀を構えている。鍛えられた身体を誇示したいのかも知れないが、
(露出狂?)
思わず眉を顰める。
田舎では夏場、武人が上服を脱ぎ、剣を練習するなんて日常茶飯事だから明渓には見慣れた光景だ。ただ寒空の下でやったらただの変態だと思う。
(いい体躯をしてはいる)
ちらっと視線を貴人達に移す。
(医師もいる)
多少無理をしてもどうにかなると判断した。
「あの、お互い怪我をしても文句なし、手加減なしでやりませんか?」
「ふん、俺は別に構わない。その細腕で随分強気だな」
明渓の腿ほどの太さがある腕で竹刀を構える。顔には余裕の笑みが浮かぶ。遠巻きから辞めておけ、と声が聞こえるが当然のように聞き流した。
「来いよ」
「分かりました。では」
遠慮なく明渓は一歩踏み出す。始めの一振りは正面から真っ直ぐ行った。
強秀はその一撃を竹刀で払い飛ばすと、手首を返し頭上から竹刀を振り落とした。明渓は両手に力を入れ、その一撃を受け止める。手のひらにジンと痺れる感覚がある。
(やっぱり力では競り負ける)
竹刀を横に振り、上からの力を横に流すと後ろに飛び退く。
「分かっただろう。無理なんだよ、女には」
強秀が続けざまに竹刀を振っていく。しかし、明渓に届くことはない。
「身は軽いようだな。でも逃げてばかりでは勝てないぞ」
明渓の顔目掛けて突かれた竹刀を、身を捻って最低限の動作でよける。
女の顔を狙ったからだろうか、外野から野次が飛び始めた。
しかし、明渓は眉一つ動かすことなく冷静だ。どんな一撃でも当たらなくては意味がない。
「韋弦殿、彼女の剣筋は中々のようだな」
燗流が低く渋い声で問いかける。年は韋弦と同じくらいだろうか。
「あぁ、かなりの手練れだ。身軽なのは見ての通りだが、明渓の優れたところは、柔らかくしなやかでありながら強い芯を持つ身体だ。腕だけでなく全身で振り抜くから一撃が重い。武官としても充分やっていける」
「それは是非、こちらに居る間に一度手合わせを願いたいな。そう言えば青周様に手習いを受けていると聞いたが」
クツクツと韋弦は喉を鳴らして笑った。目だけは、試合を追っている。
「一度拝見した事がある。青周様は余裕の表情を貼り付けていたが、あれは本気だった」
ほぉ、燗流が呟くのと同時に鈍い音がした。明渓の竹刀が強秀の右太腿に当たったようだ。
「ところで、医官ともなると普段から薬を持ち歩いているものなのか?」
「あいにく女性の顔を狙う男に塗る薬は持ち合わせていないな」
再び鈍い音がした。今度は左肩に竹刀が振り落とされた。
続けざまに明渓は竹刀を頭上に掲げると頭目掛けて振り落とす。強秀はそれを右手一本でかろうじて受け止めた。
明渓の口元が弧を描く。
強秀がしまったと狼狽するが、もう遅い。
明渓は身体を捻り、臍の奥に重心を置きながら、そのガラ空きになった胴に目掛けて、竹刀を振り切った。
ガツッと鈍い音と、ウゲッと言ううめき声がしたのはほぼ同時だった。
強秀は膝を折って蹲る。吐瀉物が地面に汚泥を作る。
皆が唖然とする中、明渓は冷酷な目で竹刀を両手で構えると、
「明渓! やめろ!!」
遠くから聞こえる制止の声を無視して、顔目掛けて全力で両腕を突き出した。
シュっと風を切る音がした。
次の瞬間竹刀は見開かれた強秀の右目一寸の所でピタリと止まった。
…………
暫くの沈黙のうち、まず工房の女性達から拍手は起こり、それが連鎖するように皆が手を叩き始めた。
白蓮と韋弦は顔を見合わせると、手当てをする気は無いものの、一応医師として二人の元に駆け寄った。
「折ったか?」
何を、と聞くこともなく白蓮が問いかける。
「ちゃんと手加減しています。ヒビで済むように」
明渓は呆れた顔で振り返ると、最後の一声はなんですか、と不満気に口を尖らした。そんなに自分は信頼されていないのかと。
それから、嘔吐している強秀をちらっと見る。
(これから先、この男の考えが変わるかどうかは分からない。でも、これだけ大勢の前で恥をかかせておけば、今までのように振る舞えないでしょう)
次に自分達を取り囲んでいる人間をぐるりと見る。大方、明渓の快進撃を楽しんで見ていたようだ。押され気味の弱者が最後に逆転する展開は面白い。最初の一太刀で仕留めなかった明渓の計算が功を奏したようだ。
(女が出しゃばる事を良しとしないのは強秀だけでない。妹が傲慢な兄より認められて後継者となった事を非難する者が少しでも減ればいいなぁ)
明渓はそう願った。
「お、お前、女の癖に……」
洋秀に背中をさすられながら、まだ立つ事が出来ない強秀が悪態をついている。
「その女に知恵でも剣技でも負けたのは誰ですか?」
強秀はぐっと言葉を飲み込む。
明渓の表情にはあからさまに軽蔑の感情があらわれている。
しかし、下賤の者を見下ろすような侮蔑の目はどこかゾクリとするような色香が滲む。
右手を上げ、持っていた竹刀の先を強秀の顎下に入れると、ぐいっと上を向かせた。見下ろす明渓の目が充血した強秀の目を絡め取る。紅を塗っていないはずの唇が照れっと赤く艶かしく動く。
「つまらない男」
それだけ言うと、明渓はその場を後にした。
「……開いた口から涎が垂れていますよ」
白蓮は何やら悦に入った表情を浮かべその後ろ姿を見送っている。韋弦が呆れながら呟いた声すら、本人には届いていないようだった。
明渓流のざまぁ、でしょうか。
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