11.第三皇子
朝起きたら雪が積もっていた。
昨日の夕方から急に冷えてきたし、もしかしてと思っていたけれど予想以上に積もっている。四寸程度はあるだろうか。公主達は大喜びで、朝食を急いで口に詰め込むと、昨晩寝る前に用意した長靴を履いて庭に飛び出して行った。
「明渓、氷ができているよ!」
陽紗が昨日のうちに水を張っておいた二つの桶を指差す。ドングリや山茶花の花びらを入れた水が完全に凍っていた。明渓は桶をひっくり返して底にぬるま湯を少しずつかけていく。そして桶をゆっくりと持ち上げれば
「わぁ、氷の焼き菓子だ!」
「けーきだぁ」
二人は赤いほっぺをくっつけながら楕円形の氷の塊を覗き込んでいる。
「綺麗だね」
「なめてもいい?」
「雨林様、舐めてはだめです」
明渓はもう一つの桶にお湯をかけながらも公主達から目が離せない。
「さて、では問題です。雪の中に埋めた氷と外に出した氷、先に溶けるのはどちらでしょう?」
「え〜、分からないよ」
「わからないよ〜」
「それなら実験しましょう」
明渓はそのうちの一つを雪の下に埋め、陽紗が持ってきた木の枝を目印として上に立てた。
「では、身体も冷えてきましたし、一度お部屋に戻りましょうか。あったかいお茶をご用意致します。午後になってから、どうなっているかもう一度見にきましょう」
冷たい風が吹いているので鼻先が痛い。温石はもう冷めてしまった。
端的に言えば、いい加減宮に戻りたい! だ。
「次は雪だるま作ろう!」
「おおきいの」
「…………」
明渓は息を両手に吹きかけ擦り合わせた、つま先の感覚はもうない。
「……お風邪を召されてはいけませんし、中に……」
「大きいの作ろう」
「おとうさまより」
「………………」
早く早くと手を引かれ、それから半刻程、明渓は寒風に晒され続けた。
(……やっと部屋に入れた)
そう安堵し、冷えた身体で火鉢に手をかざそうとすると、一人の従者と目が合った。朱閣宮では見かけた事がない顔の従者が明渓に近づいてくる。
「帝と東宮がお呼びだ。養心殿まで一緒に来い」
「……分かりました」
養心殿とは帝が政務を行う部屋で、そこに侍女が呼ばれることは普通あり得ない。しかも、東宮まで一緒となると異例中の異例だ。
いったい何があったのだろうと不安を感じる。しかし、断れる立場ではないので、身体を暖める間もなく馬車に乗せられ朱閣宮をあとにした。もちろん侍女を迎えにきた馬車に火鉢など用意されておらず、尻からじわじわと冷やされ、着く頃には身体の芯まで冷え切っていた。
養心殿の一番奥の部屋へと従者は歩いて行き、大きな扉の前で立ち止まるとその扉を叩いた。
従者が扉を開けると、暖かい空気がふわっと流れてきて冷え切った明渓の身体を包む。
(あったかい)
久しぶりの温もりに少し頬が緩んだ。
部屋の奥には紙や木簡が置かれた大きな机があり、その向こうにある豪奢な椅子に帝が腰掛けていた。東宮は机の前に置かれた来客用の長椅子に座したまま入り口を振り返る。
明渓は頭を下げたまま、おずおずと部屋に入っていった。
「顔を上げろ」
帝のその言葉を待って顔を上げると、髭を蓄えた男と目が合った。穏やかな目で口元も弧を描いて柔和な表情をしているのに、底知れない威圧感があった。一度後宮の宴で会ってはいるが、こんなに間近に見たのは初めてだった。濃い眉とややエラの張った輪郭が東宮とよく似ている。
「貴妃の病の原因を見つけたこと礼を言う」
「畏れ多いことでございます」
明渓は再び頭を下げる。普段物怖じしない性格でも、この場で平常心でいられる程鉄の心臓を持っている訳ではない。先程から心臓は早鐘のように鳴ってうるさいぐらいだ。
「それで今回お前を呼び出したのは、何か褒美をと思ったからだ。欲しい物はあるか?」
突然あるか、と聞かれても困ってしまう。もともと物欲はないし、そもそも帝に頂く褒美として何が相応しいのかが分からない。助けを求めるように東宮を見ると、明渓の考えが伝わったようで、
「明渓は貴妃の部屋にあった羽毛布団に大変感激しておりました。褒美にそれはいかがでしょう」
「うむ、羽毛か。あれは暖かいからな。だが、明渓を羨む侍女は出てこないか? 簪や装飾品よりも日常的に使う物ほど妬みを買うことがあるぞ」
(さすが、後宮の主人)
明渓は声に出さず呟いた。
確かに、一人だけ他の侍女と違う暖かい布団で毎日寝るというのは、立派な簪より鼻につくかもしれない。特にこんなに寒い日には。
「お前もいずれ後宮を継ぐのだから、その辺りのことも分かっていないと、諍いを招くぞ」
半ば呆れた様に帝はぼやいた。
後宮の諍いは時には死人を出すし、高官や重役の娘の諍いは政にも影響する。気に入った妃嬪だけを寵愛すれば良いわけではない。
東宮は、苦笑いでその言葉を聞き流していた。今実際に政を行っているのは東宮だ。しかし東宮が後宮を継ぎたがらないから、帝は引退することなくまだ国の頂点に座している。息子の我儘に付き合っているのか、若い娘が捨て難いのかは分からないけれど。
「では明渓、お前が好きな物は何だ」
「本です!!」
キラキラした目で即答する明渓の意外な答えに、帝は一瞬目を見開いたあと、顎髭をすっと撫で何やら思案し始めた。
「……うむ、分かった。では後で何か贈らせよう」
妙案が浮かんだのか、小さな笑みがその顔に浮かんでいた。その後少し身体を前のめりにして悪戯っ子のような表情を覗かせる。
「皇族に嫁げばいつでも暖かい布団で寝られるぞ」
明渓はビクッと身体を強ばらせた。まさか帝にまでその話を振られるとは思っていなかった。手にじっとりと汗が滲む。
「今夜は冷えそうだからな。お前が望めば、どちらも喜んで暖かな寝台に連れ込んでくれるぞ」
「あぁ、確かにそれが一番手っ取り早いな」
はははっと無責任に笑う帝と東宮を前に明渓はブンブンと頭を何度も振る。
「私には分不相応の話でございます」
「そんな事はないだろう、お前は朕の妃嬪だったのだからな。気にせず好きな方を選べばよい」
それを言われては言い返す言葉がない。
この場をどう切り上げようかと、思案を巡らせていると扉を叩く音がした。
扉の前にいた文官らしき男が開けると、六尺以上ある立派な体躯の男が息を切らして入ってきた。濃い眉と大きな目、そしてエラの張った輪郭は明渓の目の前にいる二人によく似ている。違うところは浅黒く日に焼けた肌と、雑に束ねられた艶のない髪だろうか。
「どうした空燕、久しぶりだな。帰って来たとは聞いていたが」
東宮の言葉に明渓は慌てて頭を下げた。空燕の名は聞いた事がある。異国との外交と貿易の役を担っている第三皇子の名前だ。
「東宮、お久しぶりです。昨晩帰って来たのですが遅い時間だったので挨拶は帝だけに留めておりました。今日朱閣宮に伺うつもりでしたが、その前に暁華皇后の眠る霊宝堂に行って参りました」
「そうか、それでそんなに慌ててどうしたんだ?」
空燕は帝に視線を戻すと息を整え言った。
「霊宝堂に置かれていた白水晶が真っ二つに割れておりました。護衛の話では昨日見た時には割れておらず、今日、私より先に中に入った者はおりません」
新キャラです。
どこかの話のキャラと描写を被らせていますが、あっちの話とこっちの話が繋がる事はありません。ちょっとした遊び心です。もしかしてって思ってくれた人が嬉しいな〜
火、木、土曜日に投稿します。16時前頃になる事が多いと思います。
※あくまでも予定です。作者の都合で変わる事もありますが、ご了承ください。
作者の好みが詰まった物語にお付き合い頂ける方、ブックマークお願いします!
☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。




