4.茶会
明渓のもっぱらの関心は蔵書宮の本。それを読破する為に全ての時間を費やしたいところだけど、世の中そううまくはいかない。
今日は中級妃のお茶会に誘われた。
妃嬪の中にも派閥があるらしい。自分の派閥を広げる為、親しい妃嬪を増やそうとあちらこちらでお茶会が開かれている。勿論、退屈な後宮での暇つぶしや、情報収集という名の噂話が殆どで、出来れば関わり合いたくない。
しかし、秋の昼過ぎ、不本意にも茶会に出席している。本来なら蔵書宮にいる時間だ。
美玉と言う名の中級妃は明渓と同じく東の出身らしく、入内から何度か茶会に誘われていた。慣れない場所に来て体調を崩した、腹を壊したと言って避けてきたがいい加減いい訳も底を尽いてしまって、渋々宮を訪れた。
「もう後宮には慣れましたか?」
たおやかな微笑みを浮かべながら美玉が聞いてきた。
侍女達の話によれば最近帝の訪れが増えてきて、中級妃の中でも地位が上がってきているらしい。
出る杭は打たれるというが、勢いがある者の足を引っ張ろうとする者は沢山いる。少しでも味方を増やしたい気持ちがこの茶会の理由だろうかと明渓は考えている。
「はい、何度もお誘い頂いたのにお伺いできず申し訳ありません」
そう言いながらゆっくりと茶を口に運ぶ。
茶菓子は一口で食べれる大きさの饅頭と、木の実に蜜を絡ませたものだ。たわいのない会話を四半刻。初対面なので当たり障りのない話ばかりで、特にこれと言った盛り上がりもない。
「こちらのお庭は広く、季節ごとの草木や花を楽しめますね」
どうにか話題を作ろうと思った明渓が、庭をぐるりと見回す。なかなか立派な庭で実家の図鑑で見た絵と文字が次々と脳裏に浮かんでくる。
明渓は今まで読んだ本を全て覚えている。それは、理解していると言うよりは丸暗記といった方が近いだろう。一枚一枚が文字や絵やその配列も含めて丸ごと暗記されている。読み終わったあとはそれらは一冊の本の記憶としてまとめられ、頭の本棚に内容毎に収められていく。
まるで蔵書宮のように。
だから、どの本のどのページにどんな絵が書かれて、どの様な筆跡の文字だったのかも全て覚えている。
本人はこれを当たり前の事だと思っていて誰にも話していない。だから大抵の人間は明渓の事を記憶力のよい人間と認識しても、どの様に暗記しているかまでは気づいていなかった。
「お庭を拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」
いつもの悪い癖が出てきた。自分の記憶と目の前の実物を見比べたくなってきたのだ。
「勿論です。ただ北側が背の高い草木も多く危ないので、そちらには立ち寄らないようにお願い致します」
そう言うと美玉は席を立ち、自ら庭に案内してくれた。
庭には季節の花が咲き乱れて、風が良い匂いを運んできている。秋桜はもう散っていたけれど、菊、秋薔薇、山茶花の蕾も膨らんできている。金木犀の木が一本庭の隅に植えられていて、良い香りはそちらから漂ってきているようだ。
本来なら心が和む穏やかな秋の庭の景色のはずだけれど、金木犀の香りが数日前の出来事を思い出させる。木の下で甘い匂いを吸い込んでいたあの三人の事だ。
本は簡単に覚えられるけれど、それ以外の記憶力はごくごく人並みのものしか持ち合わせていない。三人の中で唯一顔を覚えているのは、急所を蹴り飛ばした男だけだった。
後宮内を侍女の姿で歩く度に、それとなく周りに目をやって探そうとしているのだけれど、それらしき男は今の所見当たらない。
侍女の姿をする時は、あの夜と異なり肌の色を濃く変え前髪を垂らしているので、もしあの男達に会っても気づかれることはないと思っている。
明渓は金木犀の花に顔を近づける。少しきつい匂いが鼻腔の奥にツンときた。近づきすぎたかと顔を離し次に葉を見る。
(あれ?)
何か違和感を感じるけれど、それが何か分からない。記憶を辿ろうとするがうまくいかない。暫く、首を傾げながら葉を見ていると、
「金木犀が好きなのですか?」
後から急に声をかけられて、はっとしたように顔をあげる。いつのまにか後に美玉がいた。侍女の姿がないのは、先程飲んでいたお茶の片付けをしているからだろうか。
「この季節になると、良い香りが庭一面に広がりますね」
心ここに在らず、の心をこちら側に引き寄せ答える。
「ええ、布袋に花を詰めたものを衣装箱に入れると衣服にも香りが移りますよ。宜しければ一袋差し上げましょう」
美玉はそう言うと宮の中に入っていった。
そっと庭の北側にも目をやる。行くなと言われたら行きたくなるのが人の常と言うもの。屋敷の入り口を振り返ってみるが、まだ妃が出てくる様子はない。
(少しぐらいなら…)
また悪い癖が出てくる。視線の先には緑色に繁った背の低い薮があった。
これは、洋麻かな? そう思い葉を手に取る。洋麻はその繊維が木と非常に似ており、紙や紐として使用できる。五尺から大きい物で十尺弱程になる。こちらにあるのは七尺程度で薮のように生い茂っている。
(珍しいけれど、洋麻であるなら問題ない、かな)
そう思いながら目をこらしていた明渓の視線が一箇所で止まって。
洋麻が生えているのは手前のニ尺ほどで、その後ろにあるのは洋麻ではない。よく似ているが、葉のギザギザの切れ込みが深い。足を一歩薮に踏み入れ、手を伸ばしてその葉をちぎった。葉の裏側の葉脈を手前の物と比べると明らかに違った。奥の葉の方が葉脈がはっきり見て取れる。遠目では分かりにくいが、並べると葉の形状の違いは明らかであった。
(大麻)
大麻の材料だ。
扉の開く音がした。明渓は、慌てその場を離れ秋薔薇の前に立つ。
「お待たせしました」
そう言って小さな袋をひとつ明渓に差し出した。
「ありがとうございます」
出来るだけ平静を装いながらそれを受け取った。
「こちらの庭に植えられているのは、美玉様のお好みですか?」
「ええ、そうよ。以前はここまで多くなかったけれども。後宮って暇でしょ。季節ごと花を育てるのが楽しみになってしまって」
そう言って秋薔薇に愛おしそうに触れる。
「最近はお忙しいのではありませんか?帝がこちらにも足をお運びになるとか」
「ええ、そうね。時折足を運んでくださいます」
そう言って美玉はまたふわりと笑った。
どの妃を訪れるかを決めるのは勿論帝だ。ただ、宦官が勧める事もある。それ故、宦官に袖の下を渡す妃も少なくない。勿論バレれば厳罰の対象となるが。
(分かった。違和感の正体が)
あの時、大麻と一緒に金木犀の香りがした。それなのに、周りには金木犀の木は一本もなかった。
明渓は右手の人差し指を立てて顎を何度か軽くたたく。考え事をしている時の癖だった。