2.病の正体 1
台所からの逃亡はあっけなく失敗した。
出たところをこっそり覗き見していた香麗妃に捕まり居間に連行されると、今日に限って早く帰ってきた東宮も面白い物を見つけたかのように近寄ってきた。
その結果、居間の長卓を四人で取り囲んでいる。明らかに事態は悪くなっていた。
明渓の横に香麗妃、前に白蓮その横に東宮が座るというなんとも居心地の悪い状況で話は進められていくようだ。白蓮は気後れすることなくさっそく本題に入った。
「明渓も後宮にいたから、その序列については知っているだろう?」
「はい、簡単に申し上げますと皇居にいらっしゃる皇后様は別格といたしまして、四夫人を頂点に妃、賓の順となっております」
四夫人とは、貴妃、淑妃、徳妃、賢妃で、現在徳妃は空席となっている。淑妃であり第三皇子の母でもある万姫妃を皇后に推す者もいたが、政乱が起こる可能性を危惧し辞退されたと聞いている。
「うむ、その四夫人の一人貴妃の仙月妃が原因不明の高熱にうなされている。始まりは半月ほど前で、始めの数日は少し咳き込むぐらいだったのが、熱が出始め食事を摂るのに支障をきたすほど咳き込み始めた。そのうち起き上がる事もままならない程体調は悪化し、時には呼吸をする事さえ困難になるほど病は進行している」
「たちの悪い流行病でしょうか」
半月前といえば、急に冷え込んできた時期だ。体調を崩す者がいてもおかしくないし、冬場は病が流行りやすい。
「始めはそう思って風邪薬を渡していたが、症状は日増しに悪くなっていく。韋弦や医官長も診断し、思い当たる病に効く薬を処方したがどれも効果がなくて八方塞がりの状態だ」
なる程、それは大変な話だと思う、思うのだが
「あの、ご存知と思いますが私には医学の知識がありません。医官様の手に負えないことが私に分かるはずないと思います」
「それは分かっているが、視点を変えれば見える物が変わると言ったのも明渓だぞ」
「……確かに言いましたが、この場合それはちょっと違うのではありませんか」
ここでその言葉を持ち出すのは狡いと思った。しかし、眉を顰め不満を口にする明渓を諫めたのは意外にも東宮だった。
「まぁ、それはそうなんだが、話には続きがあってな」
お茶をひと口飲み腕を組むと話を続けた。
「貴妃の容体が一向に良くならないことに業を煮やした侍女達が、これは病ではなく数ヶ月前に亡くなった皇后の呪だと騒ぎ始めたのだ。実際、妃の咳き込み具合は異常な程で、食事を摂れずどんどんやつれていくので、侍女達が不安に思うのはもっともな話だ」
……明渓は違う意味で眉を顰めた。
(やけに詳しい)
たまたまこの場に居合わせた東宮がどうしてこんなにも詳しいのか。何だかおかしい。
「侍女達の訴えを聞いた帝は大変困られてな。貴妃は齢二十五歳で四夫人の中でも取り分け若く、帝の寵愛も大きい上、三年前に産まれた公主は可愛い盛りだ。そんな妃が苦しんでいるのだから何とかしてやりたいと思われてはいるのだが、大々的に御祓いを行うわけにもいかない。……どうしてか分かるか?」
いきなりの問いに少々面食らいながらも、明渓は考えを巡らせる。嫌な予感はひとまず頭の隅に寄せて、指で顎をトントンと叩き目を宙に彷徨わせる。
「……御祓いを行えば、それが皇后様の呪だと認めた事になります。非業の死を迎えた妻をさらに貶めるように感じられ躊躇われたのではありませんか」
「うむ、おそらくそうだろ」
東宮は満足気に頷くと、組んでいた腕をほどき明渓の方に膝を向けてきた。
「そこで私は進言したのだ。我が宮には洞察力に優れた聡明な侍女がいる。いい解決策を思いつくかも知れないと」
(何勝手に進言されてるんですか!)
明渓は心の中で叫んだ。
そして先程から感じている違和感の正体に思い至った。
(ちょっと待って、もしかして……)
明渓がゆっくりと周りを見渡すと、六つの目玉がなんだか妙な熱を帯びながら自分を見ている。
(今、ここに四人で座っているのは偶然じゃない……。扉の前にいた香麗妃も、早く帰ってきた東宮も、皆……口裏を合わせていた!!)
明渓は呆然とした表情で、背もたれに寄りかかった。
今更逃げることは出来ない、いや、そもそも始めからそんなことは侍女の明渓に許されていない。
「帝はその事を貴妃に伝えると、妃は是非その侍女に会いたいと涙目で訴えてきたそうだ」
「…………分かりました」
その言葉以外の選択肢が明渓に残されていただろうか。がっくりと頭を垂れてそう呟いた。
次の日の午後、後宮へと続く門へ向かうと、宦官長がわざわざ出迎えてくれ貴妃のいる紅玉宮まで連れて行ってくれた。
貴妃の住む紅玉宮は、桜奏宮と比べ物にならないほど大きく立派な造りをしていた。朱色の柱は毎年新しく塗られているのだろう、白壁に鮮やかに映えている。入り口まで迎えにきた侍女は依依と名乗り紅玉宮の侍女長をしているらしい。
ちなみに、最下位嬪であった明渓は貴妃とは面識がなく、元嬪だとは気づかれてはいない。
案内されるままに入った居間は桜奏宮の三倍ほどはあり、凝った装飾のされた長椅子に顔色の悪い女性が体を預けるようにして座っていた。長い黒髪に艶はなく大きな目の下は窪んでいる。寝間着の上に羽織っている着物は立派な作りだが、やつれた顔には貴妃としての華やかさはなく時折苦しそうに咳き込んでいる。
「お前が呪詛を解くことができる東宮の侍女か」
「……!!」
予想外の言葉に下げていた頭を思わず上げる。
「朱閣宮で働いております明渓と申します。あの……しかし私は……」
「帝の推薦とあればこれほど心強いことはない」
否定の言葉を述べる前に、すがるような弱々しい笑顔を向けられ思わず言葉を飲み込んでしまった。
貴妃が咳き込み始めたので隣に立っている依依が話を継ぐ。
「帝が推薦されるぐらいですから、その能力は確かなものだと思っています。それで、どのようにして呪いを解くのですか?必要な物があれば遠慮なく言ってください」
期待に満ちた瞳でこちらを見てくる。
どうやら、東宮、帝、侍女達の口を経るうちに話は都合よく変えられ、『呪詛を解くことができる』侍女が来ると変換されたようだ。できれば本当の事を言いたいところだが、言えば誰が嘘をついたと問い詰め始めるかもしれない。
そして何より、貴妃の苦しそうな様子と、いつの間にか周りを取り囲むようにして集まった侍女達から向けられるすがるような熱い視線を受けて、今更「違う」とは言いづらい。
頼られ、頼まれると断れないのが明渓で、その性格故つらい目にも遭った。
でも、性格というのはそうそう変えられるものではないようだ。
明渓は諦めたように、小さくため息をついた。
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