22.夏夜の宴 灯籠
侍女が行方不明になってからすでに二月以上が経ったけれども、まだ手がかりは掴めていなかった。
そんな中、今宵夏の一大行事である夏夜の宴が行われるらしく、朝から後宮中が浮き足立っていた。今回が初めての魅音は、朝から春鈴を捕まえて昨年の様子をあれこれ聞いていて、それを留守番の林杏がうらめしそうに見ている。
「凄―い!」
珍しく本以外の事で明渓が瞳を輝かせる。
百を優に超える灯籠が池に浮かべられ、その間を縫うように船が数台浮かんでいる。船にも装飾がされ、篝火が焚かれており、対岸から見るとそれだけでも幻想的だ。一番大きく豪奢で多くの火が灯っている船に、帝と皇后が乗っているのだろう。
よく見れば、水面に浮かべられた灯籠に貼られた紙にも、夏の草花が描かれており、かなり手の込んだ造りになっている。
その池を取り囲むように、数多の妃嬪がこれでもかと着飾り、その手には意匠を凝らした提灯が持たれている。
帝が船を降りて池の縁に立つ事もあるらしく手は抜いていない。
それに、この宴には帝以外の皇族も参加されるという事で、妃嬪達の気合いの入りようは格別のようだ。ちなみに、元服していない子供達はお留守番らしい。
そんな中、明渓もやはり飾り立てられている。いつもの白粉は魅音に取り上げられてしまい、目尻には朱を塗られ、簪を差されている。帝の目に留まる事はないと分かっているので、最近は抵抗するのも面倒臭く、されるがままになっている。
普段、好き勝手してるから、たまには言う事を聞いておこう、ぐらいには思っている。
池側に張り出すように作られた舞台の上では二胡や琴の音が響き、華やかな衣裳を纏った女達が肩巾をなびかせながら天女の如く軽やかに舞っている。
隣を見れば初めて見る魅音だけでなく、春鈴もその光景に見入っている。
明渓もこの宴は綺麗だと思うけれど、そもそも妃嬪として振る舞う事が窮屈で好きではないし、侍女に常に側にいられるのも落ち着かない。
池の周りは多くの人で一杯で灯籠の灯りがあちこちにあるのに対し、池から離れると人は殆どいなく、暗闇が広がっていた。
(これだけ人がいたら、はぐれても不思議ではないよね)
不埒な考えが頭をよぎった。魅音達に見つからないように、一歩、また一歩と後に下がる。
明渓の影が闇ともうすぐ同化する、という所で突然腕を引っ張られ木立ちの間に連れ込まれた。鳩尾あたりを一発なぐろうかと身構えた瞬間、頭の上から布をふわりと掛けられ、慌てて顔を上げた。見知った切れ長のまだあどけない目が間近で笑っている。
「走るぞ」
そう言って、手を握ったまま駆け出すので、明渓も頭から掛けられた布をもう一方の手で押さえ、顔を隠しながら暗闇の中を一緒に走り抜けた。
「ここまで来れば大丈夫だろう」
東の林の前で立ちどまり、僑月が振り返りながら言う。明渓と同じく息切れはもうしていなかった。
「どうしたの?」
「ちょっと見せたい物があってね」
いつものように林の中を通って行くので、その後をついて行く。何度も通った道だけれども、闇のせいか知らない道のように思える。ちなみに、珠蘭が聞いた謎の声は空耳か、どこかの侍女の話し声と言う事で明渓の中で結論づけている。
「ここだよ」
「うっわ〜。これ僑月が用意したの?」
目の前にある池には十数個の灯籠が浮かんでいる。そればかりか、周りの木の枝にも小さな行燈がぶら下がっていて、池全体が闇に浮かび上がるようだった。
後宮の中央にある池の華やかさには到底及ばないが、これはこれで良いと思った。いや、むしろこちらの方が好ましくさえ思えた。
「これぐらいしか出来なかったけどな」
そう言って横を向いた顔は灯籠の灯りのせいか、頬がほんのりと赤い。
明渓はゆっくりと池に近づくと、しゃがみ込んでその灯りを眺めたあと、突然靴を脱ぎ、服の裾を膝上までめくりあげたかと思うと、池の縁に座りその足を水の中に入れた。
魅音がいたら絶対に止められるが、そんな事は気にもせず、その白い足で小さな水飛沫を何度もあげる。
波紋が広がり灯籠の灯りがゆらゆらと揺れ始め、木々の影もつられるように動き始める。暫くその幻想的な景色に見入っていると、気づけば、隣で同じように僑月も池に足を浸していた。
「ここにいて大丈夫なの?」
「下っ端は医局で留守番って言われたから、少しぐらい出歩いても問題ないよ」
留守番がいないのは問題なのでは、と思ったけれど、目の前の灯りが綺麗なので、口に出すのをやめた。しばらく二人でその明かりを眺めていた。
「他の医官の方は見物?」
「いやいや、一応仕事しているよ。池の東西南北に簡易の詰所を作り、刑部の武官と一緒に何かあれば対応できるよう待機していはずだ。表向きは」
実際は、医官も武官もそれなりに楽しんでいるのだろう。帝を含め皇族達は船の中にいる時間が大半な上、側近の護衛がいるため、武官達もそれ程する事がなさそうだ。
はしたないついでに、とばかりに明渓は足を池に浸けたまま、ごろりとその上半身を草むらの上に投げ出した。結い上げた髪が潰れているが、気にする様子はない。なんだか、隣りの僑月がおどおどと赤い顔で挙動不審極まりないが、いつものことだと放っておくことにした。
「僑月も寝てごらんよ」
「えっ、いや、それは…」
「星が綺麗だよ」
僑月は暫く何か考えたあと、明渓の横にどさっと寝転がった。
「そう言えば、初めて会った夜も星を一緒に見たな」
「あの時はあまり見えなかったけど、今夜はよく見えるよ。あれが、夏の大三角形で、あの星が……」
楽しそうに説明するその横顔を見つめる目に明渓は気づく事なく、話し続ける。月明かりと行燈に照らされた肌はいつもより白く浮かび上がり、艶やかな赤い唇が動く様に僑月の目は吸い込まれていく。
がばっといきなり僑月が起き上がり、不思議そうにその様子を見上げる明渓に向かってゆっくり口を開く。
「明渓、俺……」
僑月が言いかけた時だ。林の中からでも分かるぐらいの叫び声や怒声が響いてきた。
「行こう!」
言うが早いか、明渓は起き上がり靴を履いて声の方に向かって走りだした。その後を同じく慌てて靴を履いた僑月が追いかけて行った。
明後日(1/18)ジャンルを推理に変更する予定です。
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