21.薔薇とお茶
ーーーー 朱蘭目線になります
春鈴が明渓の侍女になってから、数日が過ぎていた。
侍女が行方不明になった事は、後宮に住む女達は誰も気づいていないし、宦官、医官でも知っているのは一握りの人間だけのようだ。
あの騒動のあと、宦官による見回りが強化されてしまって、以前のように侍女に化け、後宮内をうろつくことがかなり難しくなってしまい、暫く皇居には行かなくても……いや、行けそうにもない。
にもかかわらず、明渓は忙しかった。今日も行きたくない茶会に来ているのは、僑月との約束を守るために情報収集をしているからだ。
今、来ているのは中級妃の詩夏の宮だ。手ぶらで来る訳にもいかず、在庫処分もかね、乾燥花と、薔薇の花の砂糖漬けを手土産に持ってきた。侍女は、林杏を連れて来ている。
詩夏の宮に呼ばれたのは、中級妃の桃と明渓だった。
「やっと後宮も落ち着いてきましたね。領依の一件には本当に驚いたわ」
「えぇ、あんなに大人しそうな方でしたのに」
「明渓嬪、貴女もびっくりされたでしょう?まだ、後宮に来て一年も経っていないのに、あの騒動ですものね」
早速、話を振ってきた二人の目は、好奇心と邪推でギラギラしている。
「…はい、私はお会いした事はないのですが、思慮深い方だと聞いていたので、驚きました」
敢えて誰から聞いたかは言わない。春鈴の名を出すと何故雇ったか、何か言っていなかったか等、答えたくない質問が山のように向けられるだろう。
「そうなのよ。野心なんてなさそうな方で」
「野心だったら侍女長の雪花の方があったわよね」
二人の会話はまだまだ続く。適当に相槌を打っていると、いいタイミングで雪花の名があがった。
「その方は領依様の義姉なのですよね」
「そうそう、絹糸のような髪が自慢なのかいつも垂らしている方で。一度帝とすれ違った時には、その髪を何度も手ですくっていたそうよ」
「ご自分の方が妃嬪に相応しいと思ってらっしゃったのかしらね。妾腹のお産まれなのに」
言葉に思いっきり刺が含まれている。
「雪花が親しくしていた方はいるのですか?」
二人は目を合わせ、揃って首を傾げた。
「ご自分に自信を持っている方ですから、侍女とは余り話をしないのではないでしょう」
訳すれば、自分こそ妃嬪に相応しいと思っているから、侍女なんかと群れたりしない、という事のようだ。
今日は特に収穫はなさそうだと、こっそりため息をつく。
その後も噂話や衣服や簪の話が半刻も続き、いい加減うんざりして来た頃、天気がいいからと外に場所を移し西方の茶で点心を頂くことになった。
明渓の持ってきた薔薇の砂糖漬けを茶に入れると、甘い良い香りが漂い二人の妃は大変喜んでいた。
でも、明渓は、これ以上噂話に付き合うのはうんざりなので、庭を見せて欲しいと頼み席を立つ事にする。
下級嬪、中級嬪、中級妃、上級妃で住む場所は大まかではあるが分けられており、道にはそれぞれ種類の違う季節の花が植えられている。
明渓が住む下級嬪の宮の辺りには梔子の花があるのに対し、この辺りは紫陽花が綺麗だ。桃色や紫の小さな花が集まって作られた鞠の様な物が、あちらこちらに見える。
道だけでなく、詩夏の庭にも数本植えてあり、その前で立ち止まっていると、視界に見知った顔が入った。
(よかった、会えた)
小さく手招きすると、相手は周りをきょろきょろと見渡し、手に持った洗濯桶を軒下に隠すように置くと、こちらに小走りに駆け寄ってきた。
「お久しぶりです、明渓様」
小さな手を顔の前で重ね礼をするのは珠蘭だ。春鈴から、ここが珠蘭の主人の宮である事は聞いていたので、事前に用意していた物を渡そうと、懐に手を入れ小さな小瓶を取り出した。今、二人の妃嬪が茶に入れているのと同じ物だ。
「見つからないように食べるのよ」
「よろしいのですか?」
「勿論、あなたに持ってきたんだから」
「ありがとうございます」
周りに聞こえない様に声を潜めながら、珠蘭の小さな掌に瓶を乗せてあげる。余程嬉しいのか、頬を赤らめながらキラキラした目で小瓶を陽に透けさせて眺めている。
「このあたりは紫陽花がきれいね」
「はい、私この花が好きです。あの、明渓様…」
「何?」
「この花も明渓様が持ってこられたように、乾燥花にできますか?」
明渓は首を傾げる。紫陽花は茎に対して花が大きい。出来なくはないかもしれないが、花がその重さで首を傾けてしまうような気がする。
「うー、少し難しいかも」
「そうですか…」
残念そうにそう呟かれると、何とかしてあげたくなる。何かないかと、頭の中を探るといい案が浮かんだ。
「そうだ、こういうのはどう?」
懐紙を出すと、そこにちぎった紫陽花の小さな花を挟む。押し花だ。これなら簡単だし、他の侍女に見つかることもないだろう。
「素敵です」
また、瞳がキラキラしてきた。わかりやすいし可愛い。明渓は持っている懐紙をすべて珠蘭に渡すと再び妃嬪の元に戻って行った。
――――
明渓の後ろ姿を見送る珠蘭の目が、ぼぉ―として、焦点の定まらない物になった。子供の時から時折あったこの感覚にはいつまで経っても慣れない。
どこか遠くから話し声が聞こえる。目の前に霧がかかったようになって、ぼんやりと何かが見えてくる。
深い霧が立ち込めている。二人の妃の姿が浮かぶ。
明るい窓の下、一人の妃がいる。煌びやかな衣装に、複雑な柄が彫られた銀の櫛には水晶がひとつ。さらにその下に銀の鎖が連なり、小さな水晶が二つ揺れている。
腹に二人目の子が宿ったと分かった時に帝がくれた簪に手を伸ばし触れる。大きな水晶は妃を、小さな水晶は元服を迎える息子とお腹の稚児を表しているらしい。
一か月後に控えた東宮の元服の用意は、順調に進んでいるようだ。自分の背丈を超えた我が子の晴れ衣装が、部屋の中央に吊るされている。黒地に金糸と銀糸で龍が描かれ、龍の周りには、吉兆を示す紫の雲が流れるように刺繍されている。ほつれや傷がないかを、つい自分の目で確認する。
無事にこの日を迎えられる事が奇跡のようだ。帝の長子である事は、良くも悪くも常に視線を集める。倒れた毒見役は何人いただろうか。これからも気が安まる事はないだろうが、味方が一人増える事は頼もしい。
「兄の助けになるのですよ」
膨らんできた腹に声をかけたら、弱くだが腹を蹴って応えてくれた。
どんどん、と静かな部屋に粗々しい音が響く。侍女が扉を開けると、青い顔をした年配の侍女が立っていた。彼女が取り乱すのは珍しかった。
「暁華妃が男児を産まれました」
「そうですか。では、祝いの品を…」
「死産でございます。出血が止まらず妃は子宮を失わざるを得ませんでした」
――場面が変わる。
暗い部屋の中で青白い顔の妃が一人寝台の上にいる。髪は結われることもなく、ひと束顔にかかっている。唇に潤いはなくひからびており、目は生気なく胡乱に宙を見ている。
どうして自分ばかりが、と思わずにいられない。五年前に産んだ青周が元気に育ってはくれているが、次の子は流れた。皇后の子が元服を迎える年、三人目が腹に宿ったのに、産声を上げる事はなかった。激しい腹の痛みと出血で目の前が暗くなり意識が遠のいていった。
再び目覚めた時、子はもう孕めないと震える声で医官に告げられた。
皇后の腹には二人目の子が宿っている。呪いが形となり、人を殺める事が可能なら、今頃皇后は生きてはいないだろう。いや、皇后もだが、もう一人、低い身分でありながら帝の子を孕んだあの女が憎い。憎い。
いつの間にか、寝台の横に飾られていた薔薇の花を握っていた。緑の小さな棘から血が滴り落ちているが痛みは感じない。薔薇の花より鮮やかなそれで、後宮を塗りつぶしてしまいたい。何もかも赤く染めてしまえば、この気持ちも少しは晴れるかもしれない。
「……ら…ん、珠…蘭」
珠蘭は自分の名前を呼ばれている事に気づいた。仲の良い侍女が、軒下に置いた洗濯桶を持ちながら、自分を探しているのに気づく。
先程見た人達はなんだったのだろう。人より良い耳を持つせいで、遠く離れた場所で交わされる話も聞こえてしまう。でも、時折見てしまう、不可思議な光景については、説明が難しくて誰にも話したことはない。
辺りを見回すと、庭の真ん中で三人の妃嬪がお茶を飲んでいる。我が主人と、その友人、そしてもう一人は侍女の姿で時々出歩いている変わり者の嬪だ。変わり者だが、珠蘭はその嬪と会話をするのが好きだった。三人は現皇后と、東宮を産んだ前皇后の話をしているのがこの距離でも分かった。
(だからあんな幻覚を見たのかな)
小首を傾げ訝しく思うが、洗濯桶を持っている侍女の元へ小走りで向かって行った。
――――
――つまり、と明渓は二人の話をまとめる。
「元服がある年には、不吉な事が起こる、ということですか」
珠蘭と別れて、渋々お茶会に参加している。西方の茶に合わせてか、点心は西洋風の焼き菓子で、これは明渓の口に合い、もう一つぐらい貰ってもいいかなと目の前の皿を見ながら考える。
「そうなのよ、それも一つではなく複数ね。東宮の元服の時には、現在の皇后の子が死産になったし、他にも帝の子を宿していた妃嬪が自害したらしいの」
「当時の皇后も二人目の子を産んで直ぐに亡くなられたしね」
現在の皇后が青周の母親である暁華皇后、当時の皇后が東宮と、今年元服を迎える第四王子の母親だ。
「ですから、第四王子の元服である今年も何か起こるという事ですか」
「そう言うこと」
二人はそう言ってお茶をゆっくり飲んだ。明渓が持ってきた、薔薇の砂糖漬けはもう殆ど空になっている。
「それにね、これはあくまでも噂なんだけど」
詩夏はさらに声を潜める。自分の宮なに。
「前皇后の死も、妃嬪の自害も、暁華皇后の呪いらしいのよ。それから、第四皇子が小さい時から病がちで何度も死にかけたのも、同じく呪いと言われているわ」
「呪い、ですか」
どうも後宮では、定期的にこの類の話を聞く機会があるようだ。明渓は勿論そんな事は信じていない。そして、今回の不貞騒ぎも呪いだというつもりなのだろうか、と小さくため息をついた。
もう帰りたいが、二人の話はまだ続くようだ。
「他にも呪い殺された妃嬪や武官、宦官も沢山いるらしいわ」
「でね、その人達の死体は秘密裏に集められ、側近の手によって暁華皇后の薔薇園に埋められているらしいの。だから、赤い薔薇はその血を吸いより赤く染まり、夜には真っ赤な血を滴り落とすそうよ」
そう言うと、二人はたっぷり薔薇の砂糖漬けが入った茶を飲み干した。
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