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20 交換条件


 東宮が早い時間に宮に戻ると、憮然とした表情で庭に一人立ち尽くす僑月がいた。聞けば青周に明渓を連れ去られたと地団駄を踏んで訴えて来る。なかなか面白い事になってきたので、香麗にも教えてやろうと考えながら、本題を切り出した。


―明日、医局は少し騒がしくなるぞ



◾️◾️◾️◾️

 朝早くに医局の扉を叩く音が響く。

 新人が入ってきても、見習いである事、一番下っ端である事は変わらず、医官達が起きて来る前にさらしや薬の用意をするのが僑月の日課だ。しかし、今日はいつもより早く起きて既にすべき事は終わらせてある。


 どんどん


 鳴り響く扉に早足で向かう。開けなくても扉の向こうに誰がいるかは知っていて、両手で(カンヌキ)を開けるとはたして数人の刑部の武官が立っていた。


博文(ブォウェン)の部屋はどこか」

「新人の部屋は階段を上がって一番奥、博文の部屋は右側です」


 僑月は手を合わせ頭を下げながら、簡潔に聞かれた事だけに答え、下げた目線の先を足速に通り過ぎる武官達を見送っていた。その中で一人だけ立ち止まる足があったので、頭をあげると顔見知りの武官が目の前にいた。

 彼は、他の者に分からぬよう軽く頭を下げるとさらに一歩、歩み寄って来た。


「暴れるかも知れません、二階には上がらずこちらにいてください」


 それだけ言うと、また軽く一礼し他の武官を追うように階段を上がっていった。


「いや、違う、俺じゃない」

「では、これは何だと言うのか」

「知らない。聞いてくれ、俺は何も」

「あぁ、話は聞いてやる。おい、早く連れて行け」


 二階から怒声が響いて来て、一人の男が後ろ手に縛られ引きずられるように連れていかれるの見ながら、僑月はため息をふっとつく。今日は一日長くなりそうだ。


 

 朝から騒然となった医局も長官の一声でいつもの平静を取り戻したかのように見える。勿論、それは上辺だけのことで、薬を用意しながら、医具を洗いながらあちこちで噂話が飛び交っている。


「まさか、配属そうそう、しかも妃嬪に手を出すなんてな。しかも、妃嬪と交わした恋文が見つかったとなれば、言い逃れはできないよな」

「これだから顔の良い奴は」

「いや、お前それはやっかみだろ。妃嬪の方は入内して三年だっけ、花が一番美しい時期なのに見向きもされないってのは辛いだろうが、不貞はねぇよな」

「だから、ああ言う優男風が一番怪しいんだって」

「分かった、分かった。お前の気持ちは分かったよ」


 どうも、片方の医官は顔に劣等感(コンプレックス)を持っているようだ。噂話とやっかみと愚痴が混ざる会話は、年頃の娘が集まったかのようでやかましい。

 特に聞くべき事はないと、違う仕事に取り掛かろうとした時、扉が開いてもう一人の新人医官が入ってきた。

 武官のような体躯を持っており、右の耳たぶにほくろがある男だ。こちらも、なかなか精悍な顔立ちをしており、年齢は二十を少し過ぎたぐらいだろうか。名を宇航(ユーハン)といい、新人としては、年齢が少しいっているが、以前は市井(しせい)で医師をしていたらしく仕事は手慣れていて、早く正確だ。


「戻りました。私はどの仕事をすれば良いでしょうか」

「じゃ、こっちで一緒に医具の手入れを手伝ってくれ」


 先程の二人が手を挙げて、新人医官を呼び寄せるが、その目が獲物を捉えた動物の様にギラギラしている。


(俺ももう少しここにいようかな)


 ついつい興味に負けてしまい、聞き耳を立ててしまう所は、人の事は言えない。


「で、宇航(ユーハン)何を聞かれたんだよ」

「何を、と言われましても、同期なんだから他の者よりは親しいだろう、と言うことで博文の人となりなんかを」


 宇航は医具を磨きながらポツポツと言葉を選びながら答えるけれど、他の二人の手はすっかり止まっていた。


「ただ、親しいだろうと言われても、会ってまだ一ヶ月ですので」

「あぁ、そうだよな。どんな奴かなんかわかんねーよな」

「はい、ただ(くだん)の嬪とは同郷という事もあり何やら相談に乗っていた事は知っています」

「相談ね―、ま、よくある手だな。いいか、侍女ならまだともかく、妃嬪はやばい。向こうは里に送り返されて実家に何かしらの罰があるぐらいだが、こっちは首が飛ぶ」 


 そう言って磨き終わった医具を布で包みながら、箱にしまって行く。手入れは終わったようだ。


 聞き耳を立てている間に、そろそろ回診の時間となってきた。棚に回診道具を取りに行き鞄に詰め用意をした後、当番表を確認すると、先程の二人が今日回診に行く事になっていた。この時間(タイミング)に行くのは嫌だろうなぁとそこは同情しながら二人に鞄を渡すと、渋い顔でぶつぶつ文句を口にしながら立ち上がった。


「僑月、お前も大人になったら気をつけるんだぞ」


 そう言って頭をぽんぽんと叩いてくる。


(大人ねぇ……)


 確かに気を付けなくてはいけないだろう。少なくとも、今、目の前にいる医官達よりは。


 二人の仕事を引き継ぎ、医具の入った箱を宇航と一緒に片付けていく。棚の高い場所にも軽々手が届く身長は正直羨ましい。せめて、早く、明渓より背が高くなりたいと思う。


 ふと、何かを思い出し手を止めて隣にいる宇航を見上げる。背は博文と変わらないが、体格はひと回りほど宇航が大きい。

 この前、ずぶ濡れになって夜中に帰ってきた人影を窓から見た。その人物は足音を忍ばせ階段を上がり、奥へと歩いて行ったのだが、あれは博文だったのだろうか。




 夕刻になっても、医局は何処か浮ついた空気が流れていた。そんな時だ。


「失礼します」


 風呂敷を抱えた侍女が一人やって来て、入り口付近にいた医官が対応をする。


 不貞騒ぎがあったばかりなので、一瞬部屋に興味と憶測が入り混じった空気が流れたけれど、侍女から渡されたのが封のしていない手紙と茶葉というありきたりの礼の品だったので、皆すぐに興味を失った。

 ただ、なぜか応対をした医官だけは、にやにやと笑いながら僑月に近づいてくる。


「よかったな、色男。お前にはこれだと。なんでも妃嬪のお手製だとか」


 そう言って、藍色の小さな匂い袋を手渡し、頭をぐしゃぐしゃと撫でてきた。


「お、よかったなぁ。今迄、妃嬪に匂い袋を貰った医官なんていないからな」


 僑月の隣にいた別の医官が、笑いながら肩をばしばしと叩いてきた。

 妃嬪が侍女達に匂い袋を配るのはよくあるが、医官――つまり、男に渡す事は普通はない。


 要は、男と見られずお子ちゃま扱いされている見習い医官を、皆でからかっているのだ。しかし、僑月はそんな事は気にしていなかった。


(明渓からの贈り物だぁ)


 頭の中はそれでいっぱいで、周りの反応なんて気付いてもいない。にやけ顔を止められるはずもなく、とりあえず顔を伏せその場を勢いよく立ち去り、階段を駆け上って行く。その様を見て勘違いした医官達が更にからかってくる。


「おいおい、そんなに悲しむ事はないさ」

「気にするな、その内嫌でも成長するから」

「はははっ、からかいすぎだぞ」


 励ましの言葉と嘲笑いが階下から聞こえるが、僑月の耳には全く届いていない。その勢いのまま部屋に入ると、寝台に飛び込むように寝転び匂い袋を見つめる。袋の口を開き、明渓が一枚一枚ちぎったであろう花びらを取り出して並べて行く僑月の手がとまった。その指は小さな白い紙を摘んでいた。




 僑月は夜の闇に隠れるよう、黒い布を頭からすっぽりと被る。今夜はいつもの何倍も見回りの宦官がいるので、気を付けながら小さな身体を植木に隠し、目的の宮までたどり着く。部屋の灯は消え窓も閉まっているが、戸惑う事なく窓下まで身を屈め忍び足で行き、指先で窓を叩く。


(流石にこれでは気づかないか…)


 そう思い立ち上がると同時に窓が開き、鼻先三寸の所に形の良い目があった。思わず一歩退き、声を上げかけた口を自分の手で塞ぐ。


「そっちに行く」


 それだけ言うと、驚いている僑月を尻目に、明渓はひらっと窓枠を飛び越える。淡い水色の夜着は漆黒の闇に舞うと、音もなく地面に着地した。



 幾度も聴こえてくる宦官の足音に、さらに声を潜ませながら話を聞いたけれど、今回の明渓からの頼み事は僑月の立場でもかなり無理のあるものだった。

 出来る事なら叶えてやりたいが、その場所柄、不貞に対しては厳しい罰則を設けられており、後宮の規律を乱す訳にはいかない。東宮に交渉するにしても、何かしら納得させられるだけの交換条件が必要になってくる。何かないかと考えていると、ひとつの考えに辿り着いた。


「交換条件がある」

「何?」


 明渓の顔が、なぜ妙に引き攣って身構えているのが気になるけれど、とりあえず話を続ける。


「これは、妃嬪達には伝えられていないが、領依の侍女が一人行方不明になっている。その者について調べて欲しい。それを条件として、東宮に掛け合ってみよう」

「………」


 明渓は何故か口を半開きにして、じっと僑月を見ている。


「無理か?」

「いえ、そうじゃなくて…、言っている事が筋の通ったものだったのでびっくりしてしまって」


 いったいどんな交換条件を出されると思っていたのだろうか。

 明渓は姿勢を正すと、その漆黒の瞳を真っ直ぐ僑月に向けてきた。


「では、その侍女について詳しく教えてちょうだい」


 僑月は頷く。と、言っても知っている事は限られている。


「侍女の名は雪花(セツファ)、領依とは異母姉妹だ。他の侍女達には、雪花はその立場上、別の場所で話を聞いている事にしていて、行方不明になった事は気づかれていない」

「彼女が身を寄せそうな所に心あたりは?」

「俺が知っている限りない」

「では」


 と言って明渓は深呼吸をひとつした。


「彼女は生きてる?」

「……それも含めて調べて欲しいといったら?」


 明渓はため息をひとつつく。できれば断りたいのだろうが、諦めたように僑月を見て頷いた。



いつも読んで頂きありがとうございます。

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