19.ドライフラワー
桜奏宮は薔薇の匂いが充満して、むせかえるぐらいだ。残り香で暫く香を焚く必要はないだろうな、と思いながら明渓は薔薇を一本一本見ていく。
大量の薔薇の花を持ち帰るのは無理なので、昨日は青周から貰った薔薇だけを抱えて持って帰ってきた。魅音はその薔薇を見ると今にも踊り出しそうに、いや、むしろ踊りながら花瓶に薔薇を生けていった。
そして、今朝、青周から大量の薔薇が届けられた。昨日明渓が切った数の五倍はある薔薇で、桜奏宮は足の踏み場もないくらいだ。
(私の宮の広さ、知らないでしょ!)
沢山の薔薇を皇族から貰っておきながら、こう言うのも何だが、はっきり言って邪魔である。
(他に何が出来るかな)
明渓は頭の中の本をめくっていく。複雑な事は不器用な明渓に出来ないし、道具も今あるものしかない。
とりあえず宮にあるだけの花瓶を引っ張り出し、薔薇を生けて至る所に飾っていく。
次に、もともと作るつもりだった物に取り掛かる。自分で切ってきた薔薇をニ、三本ぐらいに分け麻紐できつく縛っていく。乾燥すると花も茎も縮むので茎が折れない程度にこれでもかときつく結び、縛り終えたら風通しの良い場所にかけていく。あとは十日程このままにしておけば乾燥花が出来る。
(さて、次は、と)
先程一本ずつ確認しながら、花びらが薄く柔らかい物と、厚みがあるものに分けておいた。まずは、それら全ての花びらをちぎっていく。これにはかなりの時間がかかりそうだ。
「明渓様、今日は外出されませんね?」
何故か緊張した表情で魅音が聞いてきた。
「そうね。花瓶に生けられないから、放っておいたら明日には枯れてしまうし、今日中にしてしまわないと」
まだまだ手元には薔薇がある。魅音に頼んで一人侍女を借りているが、それでも夕刻まではかかるだろう、と明渓は小さくため息をついた。
「分かりました。では、もう少ししたらお茶を用意しますから、休憩しながらゆっくりしてください」
それだけ言うと部屋を出て行った。何だかいつもと様子が違うけれど、気にせず作業を進めていかないと日が暮れてしまう。
何故か頻繁に運ばれてくるお茶で休憩を挟みながら、花びらを全てちぎり終わった頃には、昼をとっくに過ぎていた。
「明渓様、これからどうするのですか?」
手伝ってくれた侍女の林杏が聞いてくる。明渓より一つ年下で、下級嬪の明渓についている侍女は彼女と魅音の二人のみだった。
「厚みのある花びらは匂い袋に入れたいのだけど、匂いが少し足りないから薔薇の香料と混ぜたあと、ザルに入れて日の当たらない場所で乾燥させて」
林杏にその作業を頼むと残りを持って台所に向かい、魅音に頼んで火を起こしてもらって、水と砂糖と薔薇を煮詰めていく。煮立ったら砂糖をもう一度加え、檸檬を絞って入れれば薔薇の砂糖漬けができる。まだ熱いけれども一口食べてみると、良い出来だったので、明日の朝は麺麭に塗って食べようと瓶に詰めていると、こんこん、と扉を叩く音がした。
(……何か揉めてる?)
入り口から魅音と女の話し声が聞こえるけれど、なんだか様子がおかしい。どうしたのかと、瓶と匙を置いて、首を傾げながら扉に向かっていく。
「ですから、申し訳ありませんが明渓様にお会いする事は出来ません」
「お願いです。私が来た事だけでもお伝えください」
「困ります。それにあなた、あの領依の侍女ですよね」
明渓は、あれ?と首を傾げる。他の宮とはいえ、魅音が妃嬪を呼び捨てにするなど今までなかったことだし、何よりもう一人の声に聞き覚えがある。
「春鈴?」
「明渓様!」
魅音の後から覗き込むようにして見ると、すがる様な視線の春鈴がそこにいる。どうしたのかと声をかけるけれど、魅音の方を気にするばかりで話そうとしないので、とりあえず宮の中に招き入れ、二人だけで話をしてみる事にした。
「春鈴、何があったの?」
「…私の主人、領依様の不貞の話はもう耳に入っているかと思いますが…」
「えっ!?不貞?」
初めて聞く話に、まず頭に浮かんだのは今日一日、不自然な態度を取っていた魅音のことだった。
外に行かないことに安堵し、やたら休憩を勧めて、作業を遅らせていたのは魅音だった。どうやら、明渓が薔薇の花びらと格闘している間、後宮は大事件に騒然となっていたようだ。
「不貞を働いたのが確かなら、妃嬪は一度別の場所に幽閉された上、実家への処罰が決まり次第、里に送り返されるはずよね」
「はい」
「侍女については、早ければ翌朝、遅くても翌々日には里に返されるとか」
「はい。私も明日、日が暮れる前に荷物をまとめるように言われています」
春鈴はゆっくりと息を吸ったかと思うと、突然床に跪き頭を下げた。
「私を明渓様の侍女にしてください」
話の途中から、春鈴が訪ねてきた意図を薄々分かっていた明渓は、やっぱりそうきたかと、ため息をついた。
「実家に帰れない理由は何?」
「先日、実家から手紙と絵姿が届きました。後宮から出た後の見合いをもう準備しているようです」
「それが、気に入らないと」
「今、私の面倒を見てくれているのは、父方の遠縁にあたる方です。商いをしているのですが、その人が私に用意した嫁ぎ先は、父より年上の男の側室です」
なるほど、珍しい話ではないが、帰りたくないと言う気持ちも分からなくはない。だからと言って、下級妃嬪の明渓にどれだけの事ができるのか…。
明渓は人差し指で顎をとんとん、と叩きながらお節介な自分の性格に少しうんざりもしていた。
「魅音、そこにいるんでしょう?入ってきて」
突然、扉に向かって話しかけた明渓の声に、春鈴の肩がぴくりと跳ね上がった。
「はい、お呼びでしょうか」
扉の向こうで聞き耳を立てていた魅音が、ものすごく怖い目で部屋に入ってくる。背後から蠢く何かが出てきて、今にも頭から飲み込まれそうな気がして、明渓は背中にじっとり嫌な汗が出てくるのを感じた。まさしく、蛇に睨まれた蛙だが、そこを耐えコホンと咳をひとつすると、妃嬪らしい威厳を無理に顔に貼り付ける。
「林杏を呼んできて。風邪が治ったので、医局にお礼の手紙を届けたいの」
「この騒ぎの中ですか?」
魅音の目がさらに細まり、威圧感が半端ない。
病気が治った礼として、医官に文や物を贈るのはよくある事で慣習と言って良いぐらいの事なのだが、今は時期が悪い。
何故、今する必要があるのかと問いかける魅音の言葉を聞き流し、明渓は隣の部屋に向かう。紙を二枚手にとり一枚には定例文から始まる礼を書き、封をする事なく軽く折り畳む。次に紙を縦横二寸程に切り、小さな字で何やら書き込むと匂い袋の中にまだ乾いていない薔薇の花と一緒に無理矢理ねじ込んだ。
(多分彼の性格ならこの袋を開けるはず・・・)
嫌な事に、そう確信めいた自信がなぜかあった。
最後に部屋を見渡し、高級な茶葉を選び風呂敷で包み林杏に手渡し、伝言を頼むと、絡みつく魅音の視線を無視して使いに出させた。
春鈴にも、ひとまず宮に戻るように伝え、その後ろ姿を見送りながら明渓は大きくため息をひとつついた。
ちらっと魅音を見るとものすごい形相でこちらをにらんでいる。見なかった事にしたいが、その顔のままじりじりと近寄ってくるのでそうはいかない。
「明渓様、お座り下さい」
魅音に言われ、静かに椅子に座る。頭を垂れて、形だけでも反省の色を見せてみるが、お説教は一刻にも渡った。
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