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14.桜


 桜の花びらがはらはらと散る中、明渓は朱閣宮に向かってゆっくりと歩いていく。少し風が強いので見頃を過ぎた花は、明日には殆ど散ってしまうのではないだろうか。


 こんな日は木陰で書物を読みたい。読み疲れたら草の上に寝転がり、空に舞う花びらを見上げる。そのまま寝てもいいし、また書物の世界に沈むもよし、まさに至福の時!!

 だけれども、悲しいかなここ最近の明渓は忙しい。朱閣宮、青龍宮、蔵書宮を行ったり来たりしている。勿論書物を読む時間はあるが、日中のんびりとはいかない。


 流石にこれだけ出歩いていると不審がられてしまい、侍女達には先日事情を説明した。魅音(ミオン)は涙を流さんばかりに喜び、今日も嬉々として見送ってくれた。


 朱閣宮に着くと、侍女がすまなそうな顔で出てくる。後には、香麗(シャンリー)妃と遊んで欲しげにうずうずしている二人の公主がいる。


「申し訳ありません。本日僑月様が急用でこちらにはいらっしゃらないそうです」


(やったぁ!)


 思わず言葉にしそうになり、慌てて手で口を抑えた。そして、微笑みを顔に貼り付ける。


「分かりました。では、私はこれで失礼します」


(とりあえずは読みかけの……いえ、それとも帰りに蔵書宮に寄って新しいのを借りて……)


 うきうきしながら、香麗妃に挨拶をして帰ろうとしたのだけれど、


「せっかくだから、お庭でお茶をしましょう」

「……はい」


 柔らかな笑顔で言われてしまった。

 やっぱり今日もゆっくり本を読む時間はないとガクッと首を垂れた。


 朱閣宮の広い庭の東側一角は桜の木で埋め尽くされていた。枝と枝が重なりあい、新緑の向こうにちらちらと見える青空が眩しい。


「日当たりが良過ぎるのかしら、このあたりの桜は開花が早かった分もう散ってしまって」


申し訳なさそうに、香麗が話す。


(満開の頃は綺麗だったろうな)


 いつも剣の稽古は屋敷の北側の比較的人の目に付きにくい場所で行う。これ程の桜の木が満開になった所はさぞかし見頃だっただろうと少し悔しく思う。


 公主二人は木の枝で地面に何かしら絵を書いている。

 二歳と五歳と聞いているが、二人とも年齢より大きい。東宮は背丈九寸(180センチ)と大柄だし、香麗も明渓と同じぐらいの背丈があるので、遺伝だろう。姉の陽紗(ヨウシャー)は体格だけでなく聡くしっかりしており、実年齢より二つぐらい年上に見える。今も妹の雨林(ユーリン)の面倒をよく見ている。


(そう言えば……)


 こちらに通うようになって三ヶ月ほど経つけれど、まだ長男には会っていない。


「御子息様をお見かけした事がないのですが、こちらにお住まいではないのですか?」

「あの子は見聞を広める為に、半年前からある方に預けているのよ」


 帝王教育が本格的に始められるのは十歳の誕生日から。それは元服まで行われる事になっている。内容は詳しくは知らないけれど、政治は勿論、歴史、兵法、武術、医学など多岐に渡るらしい。数ヶ月置きに、信用出来る人の下で実務をしながら学んでいると言う。


「まだ、遊びたい年頃なのに大変ですね」


 思わず本音が出てしまった。将来の帝に対して不遜な発言と捉えられてもおかしくはないけれど、香麗相手なら大丈夫だと思っての発言だ。


「そうなの。聞いた話では全然真面目に取り組んでいないようで、どうにも気が違う場所に向かっているみたいなのよね」


 そう言って、ため息をひとつこぼすとゆっくりとお茶を飲んだ。子供も大変だけど、離される母親も辛いだろうなと思う。


「半年も会えないのは寂しいですよね」 

「いいえ、屋敷には時々来てるわよ」


 (……そうなんだ。意外とゆるいな、帝王教育)


 そんな事を考えながら、桜の木を見上げる。青葉が茂り木陰になっていて過ごしやすい。でも、


「この辺りは特に桜の木が多いですね。多少、枝が密集しすぎているように思うのですが」

「そうなのよ。だから桜が散ったら枝を少し切ろうと思っているの」


 桜の枝を切る、か……


「それ、今からしませんか?」


 明渓の目がキラキラしてきた。何か面白い事が始まりそうだと香麗妃が二つ返事で許可を出すと、明渓は侍女と下男にあれこれと頼み出した。それから桜の木で遊んでいる公主達のところに向かう。


「ねぇ、面白い事してみませんか?」

「うん、やる!」


 元気に両手を挙げて陽紗が答える。つられて雨林も手を挙げ飛び跳ねている。

 さてと、と言って袖をめくった。


 下男が梯子を持ってきて、伸びた枝を手早く切っていく。大きな枝は侍女と二人で、小枝を公主達が楽しそうに拾っていく。


 ある程度集まったら、それらを一寸から二寸ぐらいの長さにする。小枝は手で折り、太い枝は下男が半分の太さに切ったあと、手で折っていく。一度足で踏みつけて折ろうとしたら、やんわりと香麗に止められた。


 次にそれらを庭に用意した大鍋に入れて煮詰めていく。


「ねぇ、ねぇ、何してるの?」


 興味津々といった感じで公主達が近づいてくる。


「まだ内緒ですよ。火は危ないから私が枝を入れていきます。少し離れていてください」


 明渓の言葉に陽紗は離れるけれど、雨林は相変わらず火の周りをチョロチョロと歩き回る。


「陽紗、雨林、こちらを手伝って」


 見かねた香麗が呼ぶと、二人ははーいと言って駆け寄って行った。そして、数人の侍女達と一緒に屋敷の中に入って行った。


 枝を火で煮詰めていくと水の色が変わってきた。今度はその色水だけを違う鍋に移していく。出来るだけ高い所から空気に沢山触れるように鍋に移していく。こうする事によってよりきれいな色が出やすくなる。空気を混ぜたら、もう一度火にかけ煮たたせる。


 色水が煮たってきた頃、香麗達が両手に布を抱えて戻ってきた。


「こんなに沢山よろしいのですか?」

「いいのよ。刺繍をして妃嬪や侍女に贈ろうと思っていた物だから」


 香麗妃は沢山の白い布を明渓に渡した。今からしようとしている事は『桜染』だ。


 先日、本で読んだばかりで一度してみたいと思っていたところだった。本当は、桜が咲く前の枝の方が綺麗に色が出るらしいけれど、花をつける前の枝を切るのは流石に憚られた。

 布の中には上等の絹の肩巾(ひれ)も混ざっていた。桜染めした後に刺繍をし、侍女達に贈るつもりなのかも知れない。


「では、まず木綿からいきましょう」


 そう言って明渓は長さ三尺(90センチ)程の手ぬぐいを入れていく。絹は熱に弱いのでもう少し染色液の温度が下がってから染めようと思っている。

上等な絹から染める勇気はなかった。


 それを棒で四半刻(三十分)弱かき混ぜ、水で洗い流す。すると布は薄い茶に近い色に変わっている。


「桜色ではないのね」


 少し残念そうに香麗妃が言う。


「一度では桜色にはなりません。これを四、五回程繰り返します」


 明渓は、ふぅ、と額の汗をぬぐった。


「この後は他の方にお任せして、次はもう一工夫してみませんか?」


 お昼寝中の雨林を侍女に預けて、香麗妃と陽紗と一緒に布の一部を紐で縛っていく。こうすれば縛った部分が染まらず模様の様に仕上がる。

 陽紗はこの作業が気に入ったらしく、いくつも縛っていくので、あとで香麗妃がこっそり解いていた。


 先程の布が終わったあとは、縛った布や絹を入れて同じように染める。

 水洗いを終えた布は侍女と一緒に干した。侍女はひたすら遠慮していたが、染め上がりを確認しながら干すのは楽しかった。


 日がすっかり傾いた頃に全ての染色が終わった。

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