13.剣と酒
◾️◾️◾️◾️ 僑月目線
○○○○ 明渓目線です
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やっと寒さが緩んできたと、僑月はゆっくりと伸びをする。今年の冬は初めて寝込まなかった。それに、日々の基礎訓練の賜物か、体力がついてきているのを実感できてうれしい。
しかし、僑月の気持ちとは裏腹に足取りは重い。理由は簡単な事、昨日青周が北から戻ったと聞いたからだ。
今頃は軍部で帝や東宮達と会議をしているはずだ。
軍部の長は四十半ばの強者で帝の右腕でもある。そしてその副官の職に就いているのが第二皇子の青周だ。
東宮は頭の回転も早く政策にも長けており、何より人を惹きつける才は国の頂きに立つのに相応しいと思う。長男である東宮が帝になる事に不満を持つ者は殆どいないだろう。もし、いるとすれば現在の皇后ぐらいだと思う。
東宮の母親は既に他界しており、今の皇后は青周の母親だ。野心家な皇后には、東宮の母親を暗殺したとか、未だに青周を帝にするのを諦めていない、とか様々な噂が飛び交っている。
(どのみち、俺には関係ない事だけど)
そう、誰が帝になるか、なんて事に僑月は興味ない。今はそれより気掛かりなのは、明渓の事だ。どうやったら、青周と逢わせずに済むだろかと、思案しているうちに、朱閣宮の門の前まで来てしまった。
そして、その前にはいつもはいない従者がいた。
僑月は、頭を下げる従者の前を走り抜け、体当たりするかのように扉を開けて宮に飛び込んでいった。
○○○○
明渓が珍しい顔ぶれの中、柄にもなく緊張しながらお茶を飲んでいると、いつもより大きな足音が聞こえ、バタンとこれまた大きな音で扉が開いた。
「遅くなりました」
息を弾ませながら僑月が入ってきて、扉の前で一礼をする。その姿を見て、何故かこの場にいる青周が、気さくに声をかけた。
「久しぶりだな」
「はっ、はい、ご無沙汰しております。珍しいですね、朱閣宮にいらっしゃるなんて」
「あぁ、時間が出来たので噂の嬪を見にきた」
息切れしながら話す僑月とは反対に、青周はゆっくりと明渓に目を向ける。
武官にしては細身に見えるが、おそらく衣服の下には引き締まった体躯が隠されているのだろう。動き一つ一つに無駄も隙もない。
明渓は二人がどのような関係なのかと首を傾げながら、僑月と青周の顔を交互に見る。
(というか、どうして私はこんな貴い方々とお茶をしているのだろう)
同席するなんて身分不相応だと何度も断ったのに、笑顔の香麗妃に強引に座らされて、今こうして小さくなってお茶を飲んでいる。
「東宮の側室候補としてこちらに通っているというだけでも異例なのに、なんでもお前の剣の指南役もしているとか」
鋭い目がからかう様に僑月を見る。見られた方はなんだか顔がひきつっているようだ。
「今日も手合わせをするのだろう?俺も見物しようと思ってな」
(なぜ?)
口には出せないので、明渓は心の中でぼやく。
青周といえば宮中で三本の指に入る程の剣豪、とてもではないが、お見せする程の代物ではない。思わず、頭をブンブンと振ってみるが、青周はそんな様子を気にする事もなく、ゆっくりと茶を飲んでいる。
それだけなのに絵になるのがこの男の凄い所だ。
淡々と準備を進める僑月を見ながら、仕方なく明渓も髪を首の後で簡単にまとめ剣を握った。
…………
剣を交え出してから半刻が過ぎた頃、青周が思わぬ事を言いだした。
「明渓、俺と勝負しないか?」
「……えっ、あの、私では練習相手にもなりませんよ」
「かまわん」
青周は僑月の手から模造刀を奪うように取ると、明渓の前に立った。
実力の差は歴然としていた。明渓としては、田舎で武官相手に勝ってきた経験があるので、もう少しやれると思っていたけれど、実際には全く歯が立たなかった。
まるで、猫じゃらしでからかうように、明渓の前で剣をふりわざと隙を作る。そして、そこを突いてきた明渓をひらりと躱し、気づけば目の前に黒曜石のような目がある。そのあまりの近さに思わず後退りすると、次は足を引っ掛けられ、転びそうになった所を抱きとめられた。全て一瞬の出来事だった。
「筋は悪くない。顔もな」
「……あの、離して頂けませんか?」
普通なら顔を赤らめる所だが、明渓は眉を顰める。青周は、少し意外そうな顔で手を離しながらも、その顔を覗き込む。
「あの……何か?」
「正妻候補として、俺の宮にも通わないか?」
「……へ?」
思わず間抜けな声が出る。
(正妻?)
慌てて後を振り返ると、頭を抱えた東宮と、青い顔で震える僑月がいた。香麗は扇子で顔を隠しているが、肩が震えているので笑っているのだろう。
「東宮と話を付けてくる」
そう言って立ち上がると、呆然としている明渓の横を通り過ぎ東宮のもとへ向かって行った。
――それから一ヶ月
明渓は十日に一度ぐらいの割合で、青周の住む青龍宮に出向いている。
行ってすぐ渡されるのは、何故か剣だ。まるで、からかわれているかの様に剣を交わし、お茶を飲み夕刻には桜奏宮に帰る。
今日も着くなりすぐに剣を渡され、そして今、身体を密着させるような体勢で壁に追いやられている。壁と青周に挟まれて、剣が振れない、
「どうする?」
面白そうに明渓を見る顔が直ぐそこにある。暖かい息が額にかかるのが分かるほどに近く、模造刀は首まで二寸の所で止まっている。
「周りをよく見ろ。悪い癖だ、追い込まれたら手が出せないだろ?」
「……足なら出ますよ。出していいですか?」
目線を下に向ける明渓を見て、凄い勢いで青周が離れた。
「冗談ですよ?」
いつもからかわれてばかりなので、ちょっと言ってみただけなのに、珍しく綺麗な顔が引き攣っていた。
その後、初めて食事と酒が用意された。実は酒豪でザルの明渓にとって、これはかなり嬉しい。しかも中々手に入らない銘柄に思わず頬が緩み、杯が凄い早さで進む。
青周は、呑んでも呑んでも酔わない明渓に、なんだかつまらなそうな顔をする。
「酔いませんよ」
「つまらんな」
先程の仕返しに酔わそうとしたが、思い通りには行かなかったようだ。少々不貞腐れた顔で手酌で飲もうとするので、慌てて明渓は徳利を持ち杯に注いだ。
すると、青周も明渓の杯に、これでもかとなみなみと注いでくる。こぼさないようにゆっくりと口に持っていき、一気に飲み干した。
「父に、酔わそうとする男とは呑むな、と言われているのですが」
「いい教えだ」
困り顔のまま、どんどん酒を飲み干す明渓が面白いようで、青周の形の良い唇の両端があがっている。二人ともかなり強いので、次々と徳利が追加されていく。
「青周様、聞いてもよろしいですか?」
「なんだ?言ってみろ」
「どうして私が正妻候補なのですか?」
「…その質問、東宮にしたのか?」
(あれ?なんかはぐらかされた気がする)
「いえ、東宮にはしていません」
「どうしてだ?」
「東宮は始めから私を側室にするつもりはないと思います」
東宮の香麗への溺愛ぶりは目に余るぐらいなので、いくら恋愛に疎い明渓でも流石にこれはおかしいと気づく。自分が側室候補とされているのは、単に帝の興味を逸らすためだと今では思っているけれど、誰も公に言わないので口に出さなかった。
「あの、…質問に答えて頂いておりません」
「あぁ、そうだな…。それは、お前が強いからだ」
「強いから、ですか」
とてもではないが、納得できない答えだ。
「今の皇后は俺の母親だ。これが東宮の母なら何も問題なかった。こういう、ねじれがある時、きな臭い事が起こる可能性が高まる。俺を次の帝にと画策する奴もいれば、逆に疎ましく思う奴もいる」
なるほど、と思う。確かに現皇后については余り良い噂は聞かないし、おそらく敵も多いだろう。
「いつも側で守ってやる事は出来ないからな」
今度の理由は納得できる物だったけれど、余計に妃にはなりたくないと思う。
(私より強い妃嬪を探さなきゃ)
そう誓いながら、最後の酒を細い喉に流し込んだ。
酒を呑んでいたせいか、帰りが随分遅くなった。夕刻であっても桜奏宮まで送ってくれる青周は、勿論今夜も送ってくれるようだ。
通るのはやはり、人通りの少ない東の林なのだが、池の側まで来ると明渓はふと足を止めた。
「どうした?」
「青周様は、幽霊っていると思いますか?」
「どうした急に。怖いなら手でも握ってやろうか?」
軽口をたたく青周を明渓はじろりと睨む。やはり、少しは酔っているようで遠慮がない。
「ただ、この辺りは少し不気味だな。特にあの池の辺りは妙な感じがする」
「怖いなら手を繋いであげましょうか」
眉間に皺を寄せる青周にふざけて片手を差し出す。その潤んだ瞳と、火照った頬が妖艶で人を惑わす事を明渓はまだ知らない。青周の瞳が一瞬大きく開かれ、ごくりと喉が鳴った。
ゆっくりと大きな手が明渓の上に重なる。
「あぁ、怖いな」
明渓は、しまったと後悔したが、自分から言い出したことなので、今更手を解くこともできない。暗い林の中を二人は静かに歩き続けた。
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