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12.氷


 朱閣宮に行く必要がない日は、明渓は朝から蔵書宮に入り浸っている。お気に入りの三方を壁に囲まれた奥の席で一人紙をめくっていた。


「久しぶり。また会えたね」


 振り返ると人懐っこい顔で笑う春鈴(シュンリン)がいた。以前きのこを食べてしまった侍女だ。


「隣、座る?」


 そう言って書物をずらして場所を作ると隣にちょこんと座り、明渓の前に積まれた本をパラパラとりめくり始める。


「本当に、本が好きだよね。今日は何読んでるの?」

「ここより寒い所に住む人はどうやって冬を乗り越えているのかなって思って。まだまだ寒いし、何か参考になる物があれば嬉しいんだけど」


 つまりは、ちょっと試して見るのに良い話題(ネタ)を探しているのだ。火鉢で温めた石で暖が取れるらしいから、今晩あたり試してみようかな、とか考えている。


「あっ、これ私した事あるよ」


 そう言って春鈴が指差したのは、氷の上を滑って対岸に、渡っている人々だった。


「春鈴って北の出身なの?」

「そうだよー。ねぇ、今からしてみる?」

「やりたい!」


 そんな楽しそうな提案を断るはずがなく、二人はきのこを採った近くにある池を思い出し、東の林に向かって行った。

果たして、池は厚い氷に覆われていた。


「じゃ、早速始めよか」


 そう言うと春鈴は慣れた様子で、氷の上に右足を乗せ、左足で軽く氷を蹴ると、スーッとそのまま氷の上を滑っていく。


「こんな感じだよ。最初は私が手を繋ぐから心配いらないよ」

「絶対、手、離さないでね」


 そう言うと明渓は春鈴の手を握り氷の上に両足を置いた。


「うわっ」


 足が前に勝手に進み後に倒れそうになる。両手に力をいれて必死で春鈴にしがみつく。


「大丈夫だって。少し足曲げてごらん」


 春鈴に言われた通り、足を曲げる。へっぴり腰も加わって産まれたての子馬のようで情けない。


 でも、もともと運動神経が良いからだろう。半刻もしないうちにコツを掴み一人で滑れるようになった。調子に乗ってくるくる周り、転んだ時に昨日の侍女珠蘭がこちらに向かって来るのが見えた。


 「明渓様、何をされているのですか?」


 氷の上で思いっきり尻餅をついている明渓を見て不思議そうに聞いてくる。

 慣れた口調で良いと言ったけれど、やはり(はば)かられたのだろう。珠蘭の「様」という言葉に隣を滑っていた春鈴の動きが止まる。顔には今まで見た事のない驚愕の表情が浮かび、慌てて氷の上で跪こうとしている。


「そんな事しなくていいから」


 思わず腕を取って引き上げる。


「それよりお願いがあるの。私が嬪だって事を黙っていて欲しいの。その代わり、私もきのこの件は内緒にするから」


 そう言って悪戯な笑顔を浮かべて人差し指を唇の前に立てる。


「侍女の振りをもう少し楽しみたいの」


 春鈴は呆気にとられたように暫くその顔を見ると、苦笑いのような表情を浮かべ頷いた。


 明渓は妃嬪として入内してきたけれど、父親の身分は高くない。身分の高い妃嬪の場合連れてくる侍女も家柄がしっかりした者ばかりだから、侍女であっても明渓の実家より力がある場合も珍しくない。そのせいだろうか、妃嬪よりも侍女の方が気が合うところがある。

 

 明渓は珠蘭を振り返る。


「珠蘭、彼女は春鈴。秋に出会って親しくしているの」


 次に春鈴を見ると、一緒に滑らないかと誘ってみる。しかし、

 

 「いえ、私は身体を動かすのが不得手で。でも、暫く見ていていいですか?」


 そう言うと、珠蘭は池の近くにあった石の上に腰をかけた。


「じゃ、やりたくなったら声をかけてね」


 明渓は再び氷の上を滑り始め、春鈴もその後を追う。暫くそうしてると、何やら珠蘭がうろうろし始めた。


「どうしたの?」

「あの辺りの氷の音がおかしいのです」


 そう言って池の東側を指差し。


「おかしいってどういう風に?」

「あそこを滑る時だけ、音が違うんです。氷の下に何かあるんじゃないでしょうか」


 明渓は指さされた方向を見る。見た目には特に違いはないけれど、珠蘭の耳は明渓のそれよりずっといい。


「春鈴、ちょっと池の東側を何度か滑ってくれない?」

「東側ですか?」


 少し首を傾げながらも、東側を中心に何度か往復してくれる。明渓と珠蘭は池の縁を回るように歩いて東側に移動した。珠蘭の様子を見ていると、時折ピクリと耳を動かせ春鈴が滑った場所をじっと見つめている。


「分かりそう?」

「うーん。おそらくですが、あの辺りを滑る時、音が違うように思います」


 珠蘭が指で軽く円を描くようにして、池の一部を指さす。池のほぼ南東で、縁からそう遠くない場所だった。


「どこだろう?」


 そう言って、珠蘭は軽く拳を握り氷を叩いていく。何度か同じ場所を行ったり来たりして叩いていた手がピタリと止まった。


「ここです! 氷の下に何かあります」


 そう断言した。


「何があるか分かる?」

「うーん、木の枝等は音を吸収します。ここは逆に音が響くように聞こえますから金属ではないでしょうか」


 再び叩く。先程より強く叩いてはいるが、明渓には音の違いが分からない。


「長さは二寸から三寸(6〜9センチ)ぐらいだと思います」


 そこまで分かるなんて、凄い。そして物凄く気になってきた。明渓の瞳にはキラキラと輝き出している。


「氷の下にある物を取り出してみない?」

「無理ですよ。道具がありません」


 うーん、と暫く考えた後、パッと花が咲いたような笑みが広がった。


「大丈夫!道具ならあるわ」


 明渓は少し待って、と言うと桜奏宮に走って行った。夕刻になったので人通りが少ないのをいい事に中央の通りもそのままで駆け抜ける。

 そして、息を切らして戻ってきた明渓の手には沢山の塩が入った袋が握られていた。


「そんなに沢山の塩どうするのですか?」

「こうするのよ」


 不思議な顔をしつつ、明渓と塩を見つめるの前で塩を一掴み握ると氷の上にかけていった。



「え!! どうしてですか? 氷が溶けてます!」


 珠蘭が声をあげる。


 明渓は氷が溶けて出来た水を、これまた桜奏宮から持ってきた玉杓子ですくい上げる。そしてまた、氷に塩をかける。それを何度も繰り返していくと、小さな穴が空いてきた。そして、その穴の向こうに薄っすらと銀色に輝くものが見えた。


 その後も、明渓が塩をかけ、春鈴と珠蘭が玉杓子で水をすくい上げ続けた。そして、木立が薄暗くなってきた頃、それは姿を現した。

 明渓が細い指でゆっくりとつまみあげる。ずっと氷の中にあったので、少し触れただけでも指先が凍るように痛い。


(かんざし)ね」

 

 その手のひらには銀色で細かな細工がされている簪が載っている。もとは、いくつか石がついていた意匠(デザイン)に見えるが石は近くには見当たらなかった。腐食も進んでおり簪が池に沈んでから随分歳月が経っているせいかも知れない。しかし、その細かな意匠からかなり高価な櫛であった事が分かる。


「誰かが落としたのでしょうか」

「高価な物のようですし、妃嬪が着けていた物じゃないかな」


 簪の腐食から考えて水に沈んでから十年以上は経っているようだった。


「この簪、どうしますか?」


 春鈴が、明渓の持っている簪を覗きこむようにして聞いてきた。


「腐食が激しいから売ってもお金にはならないし、かと言ってまた池に捨てるのは気がひけるし……」


 どうしようかと考えていると、何だか珠蘭の様子がおかしい。立ち上がって周りをキョロキョロしてしている。


「どうしたの? 珠蘭?」

「あの、……声が聞こえませんか?やっと……会えた?……出れた?みたいな…………」


 『私、幽霊の声が聞こえるんです』初めて会った時の珠蘭の言葉を明渓は思い出した。

 ぶんぶんっと頭を振る。


(いるわけないわっ!)


 でも、三人で顔を見合わせる。辺りはもう薄暗い。


「帰りましょう」

「はい」

「そうですね」


 三人には競うように早足で木立を駆け抜けて行く。宮に戻ってからだった、明渓が簪を持っていない事に気がついたのは。


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