28密室、雪の上の足跡.2
「おねぇさん、おえかきして?」
部屋に入って来たのが明渓だと知ると、蘭が筆と紙を持ってきた。それを戸惑いながら受け取り、とりあえず兎を書いてみる。
「わぁ、かわいー、ぶたさんだ」
「…………」
「ら、蘭。お姉さんはお母さんとお話しがあるようだから、少し一人で遊ぼうか」
母の言葉にほっぺを膨らませながら蘭は部屋の隅にいく。聞けば四歳だという。ぷくっとした頬が愛らしい。
「らんもぶたさんかこうっと」
「…………」
「す、すみません。子供ですので。あれ、狸ですよね」
「……はい」
そういうことにしておこう。どれも四足動物、大差ないと思うことにした。
部屋に萌はいなかったが、朱亜がいた。そこでせっかくだし朱亜からも話を聞くことにしたのだ。
「それで、お話しとは?」
「はい。この宿ができた頃から今までのことで知っていることを教えて頂けませんか? いつ頃だれが働いていた、とか」
「はぁ。それなら萌さんの方が詳しいですが、私の知っていることであれば」
明渓はお願いします、と頭を下げた。
「この宿ができたのは十年前。燈実様と奥様が夫婦となってすぐに始められました。当初は繹文さん、萌さんの二人だけを雇っていました。それから二年後宿が軌道に乗り私が雇われました。そして一年後、奥様がご懐妊され、今までのように仕事をするのが難しくなったのでもう一人女中を雇うことになりました」
「それが紗麻さんですね」
「はい。しかし、奥様は流産されまして。そのあと体調も悪かったこともあり、紗麻さんは引き続き働くことになりました。身体というか精神的なものでしょうか。当時もですが、萌さんの話では今でも時折睡眠薬を飲まれているようです」
「皆さん、離れの長屋で寝ていたのですか」
「もとはあそこは二人部屋と物置部屋だったのですが、紗麻さんが来られた際に物置部屋を女中部屋にしたのです。だからあそこだけ少し作りが違っているでしょう?」
明渓は二つの部屋を思い出しながら頷く。白蓮達が寝台周りにいる間に一人いろいろ見て回っていたのだ。大きな違いは、広さと、窓の格子と、薪ストーブだ。あの部屋だけ狭く、窓に細かく縦横の格子があったのも、物置部屋だったと聞けば納得できる。でも、そうなると不思議なのは薪ストーブだ。そのことを聞くと、
「あれは、まだ紗麻さんが来られていない頃、どなたからか薪ストーブの話を聞いて燈実様が試しに作ったのです。使い勝手が良ければ全ての部屋につけるつもりだったのですが、煙突のすす掃除や薪の準備等、面倒ごとが多くて結局やめました」
(なるほど、試作品か)
知ったら作りたくなるその気持ちはよく分かる。
「紗麻さんはいつ頃真ん中の部屋に移られたのですか?」
「私が五年前に辞めると同時に。物置部屋は狭いですから」
「いなくなった笙林さんと面識はありましたか?」
「ありません。私が辞めた頃には奥様の体調も随分良くなっていて、女中は萌さんと紗麻さん二人だけでした。それで、この春、萌さんが辞めることになったのでその代わりにと雇ったのが笙林さんだと。で、その笙林さんが行方不明になったので、私に声がかかりました」
(とりあえず女中の方がいつ雇われたのかは分かった)
ちなみに、繹文は十年間ずっと住み込みで働いていて、身寄りはいないらしい。
「では、朱亞さんが来られたのは燈実さんが希望されたからではないのですね?」
「ええ。あの時は火事で燈実様も大変で、萌さんの独断だったのです。それでも私は雇って貰えるだろうと鷹を括っていたのですが、渋られてしまって」
明渓はうん? と眉間に皺を寄せる。
(その状況で、元女中の朱亞の申し出は願ってもないはず。何か雇いたくない理由があったのかしら)
燈実の女癖の悪さは聞いているけれど、そこに触れて良いのか、どう触れるべきかを悩んでいると、蘭が再び明渓の袖を引っ張った。
「お姉さん、焼き菓子作れる?」
「? 料理は苦手だから……お粥ばかりじゃ飽きるよね。もう少ししたら山を降りれるよ」
朱亞が慌てたように娘の手を引き寄せる。
「ごめんなさい。初日に紗麻さんが作ってくれた焼き菓子がとても気に入ったみたいで」
「粒々が入っていて美味しかったの」
明渓はにこにこしながら蘭を見る。粥に飽きてきたのは明渓も同じだ。
「おくさまも美味しいって食べてたわよ?」
「蘭、自分が食べたいからって嘘を言ってはだめよ。奥様はあの焼き菓子、絶対口にしないのだから」
「嘘じゃないよ! あげたら美味しいって食べてたわよ」
その会話に明渓の口元から笑みが消える。
「……ねぇ、その焼き菓子、どんなのか教えてくれない?」
「おいしかった……ゥグ」
「すみません。まだ子供なので」
朱亞が強引に娘の口を塞ぐ。塞がれた蘭は両手をジタバタさせている。でも目が笑っているから遊びの延長のように思っていそうだ。
「暫く部屋に閉じこもって粥ばかりだから、……もう、お母さん達の話の邪魔しないで」
「あ、お気になさらず。それより、どんな焼き菓子でしたか?」
「どんな、と言われても。木の実か何かが中に入っていたのですが。あっ、もしかして、紗麻さんの部屋に作り方があるかも知れません」
「そうですか! ありがとうございます」
(これはもしかして……)
糸口を掴んだような感触に、明渓は拳をぎゅっと握った。
明渓とて、遺体が安置している長屋に足を踏み入れるのには勇気がいる。冷たい空気を肺一杯に吸い込み、よし、と気合を入れて一歩踏み込む。目指すは真ん中の部屋だ。
この前は扉の前からチラリと見るだけで中には入らなかった。
生活感がある部屋の中に入ると部屋をぐるりと見回す。
(確かに奥の部屋より広いし家具も多い)
明渓の胸ぐらいの高さの細い棚があり、細々としたものが置かれていた。その中に数冊の本があった。本、というには少々作りが雑で紙の端に穴を開け紐で纏めた粗雑な作りだった。
開けば野草の絵と一緒に料理の仕方が丁寧に書かれていた。と、言っても使われている文字が少ないから紗麻はさほど読み書きが得意ではなかったようだ。字が分からないのを絵で補っているような作りだった。
(焼き菓子、焼き菓子……)
ペラペラと捲っていく。食べれる野草、毒のある植物、アク抜きの仕方。不可抗力のように明渓の頭に入っていく。最後の方に菓子が数種類載っていた。
(どれを食べたのだろう)
あとで詳しく聞いてみようか、と思う。食べれない物が食べれるようになったと聞いて、明渓の頭に一つの仮説が浮かんでいる。もしその仮説通りなら、本当に釦がずれていたことになる。
仮説でありながら確信に近いように思う。そして、おそらくそれこそが紗麻が孫庸に伝えたかったことだと考えている。
次に隣の部屋へと向かう。壊された扉のあとには念のためにと、幾重にも縄が張らていた。明渓は、自分の腰と膝ぐらいの縄に手をかけ、それを解く。
解いた縄の隙間に身体を滑り込ませ中に入る。寒さのせいか、腐敗臭はまだしていない。
寝台の上に盛り上がった布があり、その前に行くとそっと両手を合わせる。
明渓は寝台を離れると、真っ直ぐに薪暖炉の前までいく。正面には薪を入れる五寸ほどの正方形の穴が空いている。手拭を手に巻き、その穴に手を入れ灰の中を探る。
(あった!)
左端にそれは半分ほど燃え残った状態で残っていた。慎重に取り出し手拭で包むとそれを袂にいれる。
(これは事故死ではない。そして本当の死因も分かった)
あとはどうやってこの部屋を密室にするかだ。
(鍵は紗麻さんの懐に扇子と一緒に入っていた)
ちょっと逡巡したあと、寝台に近づく。唇をぎゅっと噛みながら布をとると、両手を胸の前で組んだ紗麻の遺体がある。見つけた時と遜色ないのはやはり気温のせいだろう。
(ここで怯むわけにはいかない)
脳裏に、熱のある身体で泉に向かった白蓮の後ろ姿がなぜか浮かんだ。
遺体の横には扇子が置かれていた。見つけた時は胸元にあったと聞いている。
(この時期に扇子を持っているなんて、どう考えても不自然。そして、鍵は扇子と一緒に懐にあった。それから……)
明渓は、細かな十字の目に組まれた格子を見つめた。
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