26熱.2
暗い階段を燭台の灯りを頼りに下りて、厨につくと意外なことにそこにいたのは玉風だった。あちらも突然現れた明渓にびっくりしたようで狼狽えたあと、懐から紙と筆を取り出した。
「連れが熱を出し、薬を飲むのに白湯を貰いに来ました」
明渓の言葉に玉風は釜戸に置いてある薬缶を指差すと、さらさらと紙に文字を書き始めた。
(暗いから近づいてもいいかな?)
火傷の痕を気にしている、と言っていたので蝋燭を近くの卓に置いてから玉風に近寄り、薄暗い月明かりの下で紙を受け取った。
『すぐに用意できるのはこれだけですが足りますか?』
紙にはそう書かれていた。薬缶を持ち上げると、薬を飲むのに充分な量がある。何ならお茶を作ることもできそうだ。
「充分です。お茶も飲みたいので茶器と茶葉をお借りできませんか?」
玉風は今度は棚に向かうと、背伸びをして一番下にある茶葉を手に取る。それと、流し台にある洗った茶器を盆に載せるとまた紙に何か書く。
『お湯のおかわりは必要ですか?』
「熱が下がらなければまた頂きたいです」
『この時間繹文は寝ております。耳が遠く滅多なことでは起きません。薬缶に新しく湯を作っておきます。必要ならご自由にお使いください』
そう言って足元から小ぶりの薬缶を取り出した。
「ありがとうございます。ただ、こちらは大変冷えますので、もし湯が冷めていたら私が沸かしてもよろしいでしょうか」
『お客様にそのようなことをして頂くのは申し訳ありません。この薬缶は冷めにくい金属で作っています。二刻ほどは暖かいです。冷めたころ、私がまた沸かしておきます』
「ありがとうございます」
『厨の横の側溝には温泉の湯が流れています。飲むのはおすすめできませんが、身体を拭いたりすることはできます』
明渓は玉風が書いた紙を受け取ると頭を下げ、片手に盆、もう片手に薬缶を持って厨を出た。
盆には茶器や茶葉以外にも水差しと蝋燭と玉風が筆談に使った紙も一緒に載せたから、持つ手がちょっとプルプルする。
(落としてはいけない)
蝋燭も載っている。落としたら火事になると、そこにばかり気を遣っていたからだろう。二階に上がりきったあたりで人とぶつかりそうになってしまった。
「きゃっ」
「すみません!」
思わず盆を落としそうになったのを、ぶつかった相手、孫庸が慌てて助ける。盆に片手を添えてくれたおかげで落とさずに済んだ。
「申し訳ありません。それから、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。大丈夫でしたか?」
「はい。湯も茶器も落とさずにすみました」
「それは良かった。でも、こんな時間にどうされたのですか?」
孫庸が両手にいろいろ持った明渓を不思議そうに見る。
「実は連れが熱を出しまして、湯を貰いにきました。あと、夜通しの看病になりそうなので茶葉も。濃い茶で眠けを覚まそうと」
「それは大変ですね」
孫庸の視線が少し盆からずれた、と思うと何かに気づいたようにしゃがみ込みだ。明渓が目で追うと紙を拾っている。先程、筆談で使ったものが落ちたようだ。
「この紙は?」
「先程厨に行きましたら玉風さんがいらっしゃって、筆談をしました。あの、それが何か?」
あまりに真剣な顔でそれを読むので明渓は首を傾げる。孫庸も玉風が話せないのは知っているはずだから不思議に思う理由はないはずだ。
「そうでしたか」
孫庸は紙を折り畳むと盆の上に置いた。指先がやけに平たいので何か指先を使う仕事をしているのかも知れない。職人の指や手が仕事によって変化するのは珍しくないからだ。
それよりも、蝋燭に照らされた孫庸の顔がやけに青白く見えたのが気になった。
「あの、お顔の色が優れませんが大丈夫ですか?」
「あっ、そうですか? この辺りは夜は冷えますからね。夏場は涼しくて良いのですが、冬はこたえますね」
「夏に来られたことがあるのですか?」
「笙林が働き始めたころに。湯を案内してもらいました。あと、茶器や薬缶を納めに数回来ています」
茶器や、薬缶と聞いて明渓は手に持っている物を見る。凝った装飾はされていない。芸術性より実用性を重視したものだ。
「私は鋳物師なんです。冬はすぐ湯が冷めますので、冷めにくいように調合した金属で作りました」
「では、これらは孫庸さんがお作りになったのですね」
(どれぐらい冷めにくいのかな? どんな金属でできているのかしら?)
いろいろ聞きたいことはある。気にはなるけれど、今は白蓮が何より優先だ。
それに孫庸が、では、と言って部屋に戻って行ってしまった。
明渓も再び慎重に階段を上がる。部屋に戻ると、春蕾がへっぴり腰で白蓮の汗を拭いていた。
「白蓮様は起きていらっしゃいますか?」
明渓の声に反応したかのように、白蓮が薄っすら目を開ける。
「どこに行っていた?」
「湯を貰いに。あと水差しとかです。薬を作りますね」
湯呑みに薬を入れ、薬缶の湯を入れ軽く混ぜてから水差しの水で適温にする。
「これぐらいで大丈夫ですか?」
首の後ろに手を入れ頭を起こし、口元に湯呑みを近づける。白蓮はよほど辛いのだろう。無駄口を叩くことなくそれを飲み干した。
「汗をかいていますね。もう少し水分をとって着替えた方がよいと思います。着替えは春蕾兄に手伝わせますね」
力なく頷く白蓮をもう一度寝かせ、明渓は一度部屋の外に出た。
(短時間に凄く熱が上がっている)
ふれた首筋はびっくりするぐらい熱かった。
(お願いだからもうこれ以上何も起きないで)
そう願わずにはいられない。
朝方になるにつれ寒さは増してきた。隣の部屋から掛け布団と毛布を持ってきて、布団は白蓮に重ねた。毛布は自分の肩から全身をぐるっと包むようにして巻く。
熱は下がらず、ずっと息苦しそうにぜいぜいと言っている。額の手拭いを取りチャポンと桶につけた。何度もしているうちに水が少なくなってきた。
(水を貰いに行こうかな……あっ、もしかして)
窓掛を開けると、やはり回廊に雪が積もっている。時刻は寅の刻、既に雪は止んでいた。窓を開けると、刺すような冷気が頬に触れる。部屋の温度が下がってしまうと、慌てて回廊に出て窓を閉め、手に持った桶に雪を入れようとしゃがんだ。でも、雪に手を伸ばしたところでちょっと躊躇う。
(新雪だけど、足元はやばいか)
一応、この国一番の尊い血を引く貴人だ。あんなでも。
(欄干の雪にしてやるか)
うーん、と手を伸ばすけれど、届かない。仕方ない、と雪にもう二歩ばかり足を踏み入れ欄干の雪を掴み桶に入れた。
(雪は沢山のあるのよね)
桶の半分弱ぐらいまで雪を入れると残っていた水とかき混ぜる。じゃりじゃりとした手触りに変わったところで部屋に戻り手拭いをひたす。
真っ赤な手で硬く絞ると、それで白蓮の首筋を拭く。状態は、酷くなってはいないけれど、良くもなっていない。
(もう一度解熱剤、飲ませようかな)
それが正解か分からない。でも、何もしなければもっと悪くなりそうで怖い。
「春蕾兄、私、もう一度お湯を貰ってくるね」
「分かった。じゃ、ついでに茶葉も貰ってきてくれ」
春蕾は先程から眠け覚ましに濃い茶ばかり飲んでいる。貰ってきたのを全て使ってしまったようだ。
「分かった」
燭台と空の薬缶を持って明渓は部屋を出た。
シンと静まり返った廊下をペタペタと歩き一階までくる。奥の部屋には燈実の遺体、厨の横の長屋には紗麻の遺体。伽藍の住職を祖父に持ち、墓場を遊び場にして育った明渓でもやはり不気味なものを感じる。
敢えてその辺りは見ないようにして厨に入ると玉風が竈門の前にいた。
「何度もすみません。湯を貰いにきました」
玉風は入って左端にある卓を指差す。そこには小振りの薬缶があった。
「ありがとうございます。それから茶葉……」
明渓が言うまでもなく、玉風は棚に近づく。厨に灯りはなく、頼りは月明かりと明渓が持っている蝋燭だけだ。仄かな月明かりの下、玉風の上半身がふわりと浮かんで見える。背伸びをして一番下の棚から茶葉をとると、それを卓の上においた。
明渓は玉風が卓から離れたあと、薬缶と茶葉を手近な盆に置き礼を言って厨を出た。
外に出て空を見上げると、重苦しい雪雲は見えない。今夜はもう雪は降らなさそうだ。月明かりに照し出された雪の上には、厨に向かう足跡が二人分。明渓は、何となくそれらを踏まぬよう歩き、宿に戻った。
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