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25熱1

誤字報告ありがとうございます


 足湯につくと、子供のようにしゃがみ込み桶に湯を汲みその中に包丁を入れた。二人も亡くなっているので不謹慎なのは分かっている。でも、好奇心は押さえられない。


 桶をじっと見ていると、まもなく刃先から小さな気泡が出てきた。それを観察しながら、三回砂時計をひっくり返す。

 先程湯に入ったのに足先がもう冷たくなってきた。靴を脱ぎ、足を湯につけ桶を膝の上に置いて様子を見ることする。気泡はどんどん勢いよく出てくる。目を凝らせば刃の薄い部分が黒く変色してきているのが分かる。


(これは面白い)


 小さい頃、温泉にきた時にしたかったけれど、両親に反対されできなかった。これぐらい許してくれればと思うもそれには理由がある。幼い明渓では金属が何かを充分に理解できないだろうから、手当たり次第何でも入れるんじゃないかと心配したのだ。衣類とか、食べ物とか、おたまじゃくしとか。


 さらに砂時計を二回ひっくり返す頃、黒い部分がかなり増え、代わりに泡が少し少なくなってきた。


(湯を新しくしたらまた泡が出るかな)


 一度包丁を出し湯を変えてみると再び泡が出てきた。色はどんどん黒く変わっていく。こうなると簪も入れたくなるけれど、せっかく萌が包丁をくれたから我慢をすることにした。


 もう一度、湯を変えようとした時だ。誤って包丁が足湯の中に落ちてしまった。この足湯、深さはそれなりにある。それに日もほとんど沈み温泉の底が見えない。


(これは……明日にしようかな。繹文に取ってもらうように頼めばいいでしょう)


 刃の潰れた古い包丁だ。錆びていいからとくれたのだから特に差し障りもないだろう。そう思い足を湯から出して手拭いで拭くと、少し後ろめたく思いながらも足湯を後にした。


 白蓮の側には春蕾がいる。それなら給仕を手伝おうと厨に行くと再び萌と出会った。手には粥が入っているだろう鍋を持っている。


「私達の部屋の分なら持っていきますが」


 左手に桶を持ち、右手を差し出すと申し訳なさそうに萌が頭を下げた。


「そうですか、ではお願いします。奥様から、『お兄様が三人分纏めて用意するようご希望されている』と聞いておりますのでそのようにしています。それから、ご主人、具合が悪そうでしたが大丈夫でしょうか」


 (やっぱり!)


 手が熱いから気になっていた。医官だし薬を飲むだろうとは思っていたけれど、やはり体調を崩したようだ。明渓は鍋を受け取ると早足にで三階に向かった。その姿は夫を心配する新妻に相応しく、萌は目を細めながら後ろ姿を見送った。



「春蕾兄、開けるわよ」


 声と同時に扉を開けると、泣きそうな顔でおろおろしている春蕾がいた。


「白蓮様のご様子は?」

「先程ご自分で薬を飲まれた」


 鍋を机に置き寝台に近づく。赤い顔で荒い息をしながら白蓮が明渓を見上げる。


「大丈夫ですか?」


 手を額に当てるとかなりの熱があった。


「湯に入るまでは何とかなるかと思っていたんだがな」


 困ったような苦笑いを浮かべるも額に汗が浮かんでいる。手元にある桶を春蕾に渡し水を入れてくれるように頼んだ。


「薬は飲まれたのですね」

「あぁ」


 寝台横の卓にはいくつかの薬包がある。


「一つ頼まれてくれないか。もし、俺の意識が朦朧とするぐらいの熱が出たら一番右端にある薬包を飲ませてくれ。中身は解熱剤だ。一包で効かなければ二包頼む」

「分かりました。飲み込むのが苦しそうなら水に溶かしたものを用意して良いですか?」

「水には溶けにくいから、少量の湯に溶かしてから適温に水で薄めてくれ」


 赤い顔で指示をだす白蓮に、明渓は真剣な顔で頷く。皇族の看病となれば責任重大だ。思わず肩に力が入る。その姿を見て白蓮は眉を下げた。


「そう力むな。よくあることだ。それに俺は医官だぞ」

「ですが……」

「あ、それから」

「何でしょうか?」


 熱で潤んだ目が少し悪戯気に細められた。


「俺が充分に飲み込めない時は……」

「その時は?」

「是非、口移しで」

「…………春蕾兄に伝えておきます」


 明渓は源泉さえ凍る目で病人を睨め付けた。白蓮は、その目に安心したかのように少し頬を緩める。


「心配するな」

「はい。粥は食べれますか?」

「少しなら」

「無理しなくてもいいですよ」

「いや、少しでも口にできる内に腹に何か入れておいたほうがよい。それから、後で良いので水差しがあれば貰ってきてくれ」


 病人に指示されるというのも情けない話だけれど、白蓮は医官な上に、今までの経験上これからどれだけ熱が出るか分かっているようだった。

 出会って一年以上も経つのに、元気な姿しか見たことがない。比較的図太い明渓だけれど、不安がないはずはない。


 とりあえず食べれるということなので、お椀に粥を注ぎ、白蓮の背中を支えながら起き上がるのを手助けする。背中に枕を詰め、体勢を整えたところでお椀を差し出すが


「……受け取っていただけませんか」

「手に力が入らぬ。食べさせてくれ」

「…………」

「本当だ。嘘ではない。下心を起こす気力もない」


 明渓はじとっと熱で潤んだ目を見る。手に力が入らないのは嘘かも知れない。でも、明らかに目の前にいるのは病人だ。紛れもなく、れっきとした病人だ。


 渋々匙に粥をとり白蓮の口元に運ぶ。


「熱そうだ」

「猫舌ではありませんよね」


 熱々の二色饅頭も平気で頬張っていた。


「病気だから」


 匙を持つ明渓の手がプルプル震える。


(目の前にいるのは病人、病人、貴人、変人、いや、病人)


 自己暗示をかけると粥に息を吹きかけ冷まし、それを口元に運ぶ。白蓮は思っていたより大きな口でそれを食べるとすぐに嚥下し、早くと急かすように明渓を見る。また粥を掬い冷ますと口に運ぶ。意外とよい食べっぷりなのでおかわりが必要だと思っていたけれど、一杯食べるともういいと言って床についた。


 気配を消すように戻ってきていた春蕾から水を張った桶を受け取り、手拭いを浸し額にのせる。目を閉じ既に眠っているようだ。


「大丈夫なのか?」

「そう願うわ。今夜は私もこっちで寝る」

「あぁ、そうしてくれ。それから、とりあえず俺達も食べるか」


 二人は向かいあって座るとぬるくなった粥をお椀に注いだ。 

 味気ない食事を終えると、時間潰しに雑談をし、その流れで温泉で萌から聞いた話を春蕾に伝えた。


「仲の良い夫婦に見えたけれどな」

「玉風さんの様子は?」

「ずっと黙って俯いている。筆談で話は聞いたが、あの日は萌の叫び声がするまで隣の部屋で寝ていたそうだ」

「一緒には寝ていなかったの?」

「焼け落ちた部屋にいた時は同じ寝台だったそうだ。今使っている部屋の寝台は一人用で狭いから別々に寝ているらしい」


 燈実の切り傷は喉。背後から喉を切り裂けば返り血はほとんど浴びない。玉風とて殺害することは可能だ。


「しかし、玉風が燈実を殺す動機はないんだよな。宿はこれから再建、大変って時に肝心の主がいなくて一番困っているのは玉風だろうし」


 実は夫婦仲は良くなかったかもしれない。でも、萌の話では燈実の浮気癖は今に始まったことではない。それなら、宿が焼け、道が塞がったこの状況でわざわざ殺しはしないだろう。他に機会は幾らでもある。

 そう考えてから明渓は燈実の顔を思い出す。


(確かに優男風の顔をしていた)


 女にもてなくはないだろう。やや気が弱い気もするが、恐妻家の尻に引かれる夫に同情する女、そんな女の同情心に漬け込む男、という絵面も珍しくはないと思う。


「気になるのは女中にも手を出していたってことだよな」

「そうだけれど、多分萌さんは違うと思う」


 明渓は四十半ばのやや肉付きの良い女中を思い出す。燈実の浮気話を教えてくれた時の表情から、彼女はそこには無関係な気がしていた。


「燈実は二十代後半、ま、愛に年齢は、というけれど俺もあの二人からはそんな雰囲気は感じないな」

「朱亞さんはどう思う?」

「それなら笙林は?」


 二人は顔を見合わせる。色恋沙汰には疎い二人だ。微妙な空気はよく分からないので、あり得ないとも言い切れない。


「明日そのあたりを調べてみるか」

「早く武官達が来ればいいわね。白蓮様も心配だし」


 明渓は立ち上がると、白蓮の額の手拭いを新しいものに変える。部屋は暖められていて寒くはない。赤い頬に軽く触れるとびっくりするぐらいに熱かった。


「解熱剤を飲むためのお湯を貰ってくるわ」


 水差しも頼まれていたな、と思い出す。時間は丁度子の刻。まだ繹文は起きてるかな? と思いながら厨へと向かった。

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