敵に塩、ただし資金は吸い上げる
マルキア国が繁栄する一方で、グロリア帝国ではさらなる社会構造の悪化に苦しんでいた。労働人口が国外に流出しはじめたことにより、帝国を支えていた社会基盤が揺るぎ始めたのである。当然人口の流出はこのまま認められず、早急に対策が求められた。そもそも人口流出の原因は、帝国内では豊かな生活ができないのが問題なのだ。
住民の生活水準の引き上げが必要となると、まずどうにかしないといけないのは、度重なる増税を繰り返した搾取構造の見直しだろう。しかし住民の税を減免するという案には、ほとんどの諸侯が反対した。税を減らすことはすなわち帝国の収入を減らすことに直結する。現在保有する軍備も縮小せざるを得なくなり、それは覇権主義をうたう帝国にとって耐えがたいものであった。
何をするにも金銭が必要なのだが、どこかの予算を保ったまま、他のところに増資することができない。帝国はまさにその問題に直面していた。この状況を打開するために、帝国はマルキアを軍事的に支配し、資金や物資を上納させるために属国化することを、先の戦争では目論んでいた。しかし強固に建設されたマルキアの要塞を攻め落とすことは容易ではなく、侵攻計画は頓挫したままだった。帝国はマルキアへの侵攻をあきらめたと思われていたが、未だ帝国議会では他国への侵攻なくして帝国社会は成り立たないと主張する主戦論者も多かった。
「帝国はかつてマルキアの2倍の国力を誇っていたが、いまではマルキアの成長に伴い、もはや横並びである。このまま時間が経てば国力が逆転するのは明白である。そうなる前に、今攻め込めば五分の勝負で勝ち目はある!」
主戦論者たちはあくまでマルキア侵攻を主張した。下手をすると国が滅びかねないこの決断だが、帝国の指導者達は、もはや博打にすがるしか方法は思いつかなかったのだ。
「諸君らはマルキアの潜在能力を過小評価しておる。今のマルキアは、かつて我ら帝国におびえていた国ではないのだ。再び有事となれば、我々の想定をはるかに上回るほどの動員力と生産力を発揮するだろう。現在見えている戦力など、なんの見積もりにもならん」
主戦論者たちに反対の意を唱えたのは、前回の戦争で帝国軍先鋒を率いたサーヴェル将軍である。彼は将校達の中で、唯一マルキアが建設した要塞をその目で見ている。かの堅牢な要塞を、短期間で帝国に気取られずに急造できた実績こそ、危険視すべきだと説いたのだ。しかし周囲の反応は彼が期待したものではなかった。
「そういう貴公は、現状の帝国はどのような方針を取るべきだというのだ?」
「隣国との国力差を考えれば、侵攻計画は一旦白紙ですな。まずは帝国の内政を改善し、足元をととのえるべきかと」
「勇猛で名高いサーヴェル殿がずいぶんと弱腰であるな。戦う気のない将軍など、以降の作戦立案には参加していただかなくても結構ではないですかな?」
「私は客観的な分析から意見を申し上げているに過ぎません。そこまでおっしゃるなら私を作戦から外していただいても結構ですが、くれぐれも冷静な判断力を失わぬことですな……」
サーヴェルの立ち回りも空しく、第二次マルキア侵攻作戦の案が採択され、帝国は準備を整えることとなった。サーヴェルは帝国を支えてきた歴戦の将であったが、この件以降は帝国首脳部から更迭されることとなった。帝国はすぐにでもマルキアに攻め込みたい状況であったが、前回の戦争では物資不足からの撤退を招いている。今度はそのような事態は避けなければならないため、帝国の将校達は十分な量の物資を調達するべく奔走することとなった。
帝国が再び侵攻計画ををすすめているという情報は、マルキアにも伝わっていた。再三の侵攻を企てる帝国はさすがに捨て置けず、私は議会でこれまでになく強い弁をふるうことになる。
「今後戦争を仕掛けてこないつもりであれば、厳かな隣人として見過ごすこともできたが……再び牙を向くつもりであれば、そうはいかないな。国王様、私は相手が侵攻してくるまえに帝国をつぶすことを提案します」
「マルキアの国力は以前より比較にならないほど増したものの、我が軍はあくまで国を防衛する戦略しか考えられていない。つまり他国に侵攻して占領するような装備も人員も作戦司令部も持ち合わせていないのだ。帝国をつぶすとおっしゃるが、具体的にはどのように?」
王の質問に対し、私はその場も誰もが想像していなかった作戦を提示する。
「とりあえず、わが国の過剰な食糧や物資を帝国に売ってしまいましょう。今、彼らはそれらを必死に集めているはずです。相場以上の価格で喜んで買ってくれるでしょう」
「これから侵略を考えている相手に食糧を供給するなど、尋常な発想ではないな」
周囲が驚いた反応を見せたが、私はさらに言葉を続ける。
「食糧だけではなく、武器や防具、軍馬などもさぞかし不足していることでしょう。これらについても、こちらから商談を持ちかけましょう」
執政官達はますます混乱した。そこまでして敵に利する行為をする必要があるのだろうか。この時点では私の意図を誰もくみ取れずにいた。
「私の言う通りしていただければ、帝国は必ず崩壊します。どうかご心配なさらずに」
マルキア国は私の方針に従い、食糧や物資等を販売すると帝国に商談を持ち掛けた。軍需物資を求める帝国は、当然これを即決でこれを受け入れた。
「帝国との商談を終えてきました。こちらが向こうからの支払い金です」
卓上には帝国金貨800枚が並べられた。帝国国内で流通する通貨でデザインは若干マルキアのものとは異なるものの、価値はほぼ等価だ。そのため両国が友好的であった時代は、商人達がどちらの国の通貨でも商談に応じていたとのことである。
「こうしてマルキアは余剰な物資を帝国に売り、代わりに帝国金貨を得ました」
目的を説明するためには目の前に金貨があった方が分かりやすいので、私はあえてこれまでの説明を省いていた。
「まず私の狙いを申し上げておきます。今ここに帝国金貨が800枚ありますね。これこそが私の狙いです」
「敵国の通貨を集めることにどのような意味があるのだろうか?」
「帝国は私がマルキアに来る前の貨幣制度と同様だとうかがっております。つまり金貨銀貨が流通している貨幣制度ですね。これには大きな弱点があります。それは使える資金の上限が、金貨銀貨の量に制約されるということです。ここに帝国金貨800枚あるということは、帝国国内からは800枚の金貨が失われたことになります。つまり帝国内で流通する通過の量が減ったということです」
そこまで説明すると、執政官達も少しずつ私の意図に気付き始めたようだ。
「これを繰り返せば、帝国国内の資金の流動性を削ることができるのです。マルキアの食糧はまだまだ余力がありますよね。こちらも生産量を上げて、どんどん帝国に売ってしまいましょう。途中で狙いに気付いたとしても、気付いた時にはすでに手遅れですよ」
帝国軍はマルキアからの供給をうけて、急速に物資を充足させた。しかしマルキアの想定した通り、以前にもまして財政面に困窮するようになり、もはや兵の定員を減らすか賃金を減らすかを迫られる状況になっていた。
帝国は軍縮を良しとしなかったため、兵の賃金を削る決断をした。しかしこの決断が完全に裏目に出ることになる。これまで必ずしも良いとは言えなかった兵の待遇がさらに悪くなったことにより、帝国兵たちの不満がついに一定水準を超えた。兵が団結して帝国首脳部に反乱をおこしたのである。反乱軍の兵をまとめ上げたのは、もはや現在の帝国に未来なしと判断したサーヴェル将軍であった。かつてない規模の反乱により、帝国軍は内部から瓦解。帝国首脳部はサーヴェル達に屈したのであった。
帝国で反乱がおこったしらせは、すぐにマルキアにも届いた。
「帝国首脳部は壊滅。現在はサーヴェルが臨時に国の代表を務めているとのことです」
「さすがは桐生殿。前回同様に戦わずして、しかも今回は帝国そのものを崩壊させてしまうとは」
「それだけ帝国内部がボロボロだったということです。しかし問題はまだ終わりではありません」
これから今想定されるのは、ほぼ無政府状態となった帝国からマルキアに大量の難民が押し寄せてくることである。難民が到来するとマルキアの社会秩序が崩壊しかけないので、これは無視できない問題だ。ここで私は大きな決断をすることになる。
政治家のつもりが、不戦の名将と呼ばれるようになるかもしれません。次回、舞台が大きく動きます。
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