貸し出しで貨幣は創造される!?
「次の段階にすすもう。さらに中央銀行が取り組むべき業務は、資金の貸し付けだ」
新しい鉱山を開拓したいという商人ルチアが、銀行に融資を求めてやってきた。
「開発のための資材の調達や工夫の賃金で、あと金貨200枚が必要なのですが、手元の資金はもうないのです。お金さえあれば、目途はたっています。何卒融資をお願いします」
「新しい鉱山の開拓はマルキアの生産力を上げることにも繋がり、さらに大きな雇用を生むことになるな。マルキアとしてもこれを支援しない手はない。良いでしょう。あなた方に金貨200枚を融資しましょう」
中央銀行の帳簿には、ルチア様金貨200枚貸し出しと記録された。商人には銀行の金庫の中の金貨200枚ではなく、金貨200枚相当の借用証書が貸し出された。
「貸し出しも借用証書を発行されるのですね。使いやすいとは聞いておりますが……これではいずれ、金庫にある金貨銀貨の量よりも、市中に出回る借用証書の方が多くなってしまうのではないでしょうか?」
エリスは実に良いポイントに気付いている。先ほどの貸し出しで、金貨200枚分の借用証書は、金庫の金貨銀貨が一切減ることなく、何もないところから創造されたという点だ。当然そうすることで、中央銀行の保有する金貨銀貨の量よりも、発行した借用証書の量の方が上回ってしまっている。
「それで構わないのだ。仮に商人が中央銀行に借用証書を持ってきて、金貨を受け取りたいと希望すれば、もちろんそれは可能だ。しかし全ての商人が同時に換金を求めてくることは現実的にあり得ないからだ」
「たしかに借用証書で取引が成立する以上、あえて金貨銀貨を受け取りに来る方は少ないですね。実際そのようなお客さんは、ほとんどいらっしゃりません」
「そもそもこの貨幣制度を導入したねらいの一つに、貨幣の量が金貨銀貨の総量に縛られないようにするという目的があったのだ。この貸付を続ければ、マルキアは所有する金銀の量以上の賃金を支払うことができるのだ。ひいては隣国との資金力の差を埋めることができるだろう」
中央銀行の貸付事業もきわめて順調であった。これまでは投資すれば儲かる事業においても、資金調達に難渋する商人たちが多かった。しかしその資金を国からの借用することが可能となれば、商人たちはこぞってそれを利用しはじめた。特に農地や鉱山の開拓、およびそれらの加工施設の設立といった事業への融資は国策として積極的におこなった。限られた資金の量でやりくりしていた時代と比べ、飛躍的に生産力が増すことになった。
中央銀行ができたことによって、マルキア国もその機能を存分に生かせるようになった。これまで資金や物資が不足していたことから、国内の老朽化していた橋や道が手つかずになっていた。また、帝国をはじめとした周辺国に対する国防においても、予算不足から兵員、装備ともに脆弱であった。
「課題はまだまだ山積みだな。ためしにそれらを全て改善するための予算案を作成してみたよ」
「これは……昨年のマルキアの税収のおよそ1.6倍の予算ですね。例年であれば、そこからどこを削るかという議論になるのですが……」
「金貨銀貨の貨幣感では、そうなるだろうね。議会で王様達に説明する必要がありそうだ」
私はマルキア議会にて膨大に膨れ上がった予算案が執行可能である根拠を説明することになった。
「……という内訳でして、いずれの予算もマルキア国のために削減不可な費用であります。つきましては、不足分の資金を中央銀行からの借用で補うことを提案いたします」
「それはマルキア国に借金をしろと言っているのかね?」
国王の表情が曇る。
「商人たちへの貸し付けの手続きと同じことを、国と中央銀行の間で行えば、問題ないことでございます。現に我々は借用証書を何もない所から生み出し、資金を調達できるという仕組みを作っております」
「そんな錬金術のような話があるのか?」
他の執政官たちも首をかしげている。
「実際に目にすれば簡単なことでございます。エリス、例のものを」
エリスは国王達の前に、金貨1000枚分のマルキア中央銀行の借用証書、そして「マルキア国政府様、金貨1000枚貸し出し」と書かれた帳簿を提出した。
「ここに金貨1000枚分の借用証書がございます。国王様、この借用証書、今すぐにでも使用可能です。なおこれを調達するために、金庫の中の金貨は1枚も減っておりません。帳簿に貸し出しの記録を書いただけです」
実際に中央銀行との手続きをとって目の前に借用証書を調達してみせると、執政官達も不可思議ならが認めざるをえない。なぜならこの借用証書は、実際にマルキア内で流通しているのだから。しかしここで執政官から、さらなる反論があった。
「借金によって国の財政を賄うのは不健全ではないか? たしかに何もないところから資金を調達できるようであるが、借金である以上、いずれは返済する必要があるのだろう?」
「そのような疑問をお持ちになることは当然でございます。しかし民間の商人たちが中央銀行への借金することと、国が中央銀行に借金することは実は明確に違いがあるのです」
「いったい何が違うというのだ?」
「商人たちは銀行に借りた資金を返済する必要がございますが、マルキア国は中央銀行に返済の必要がございません。理由はいたって単純です。中央銀行の経営者は我々マルキア国だからです」
「返さなくて良い借金など前代未聞であるな」
「国が中央銀行を経営しているということは、すなわち国の収支のなかに銀行の収支も含まれることになります。より分かりやすく言うと、国が中央銀行に金貨1万枚借用すれば、中央銀行は国に金貨1万枚貸出すことになる。この両者の決算は通算されるため、どれだけ国が中央銀行から資金を借用しても、連結決算で常に収支はゼロという仕組みなのです」
本当に返さなくても良い借金なのか、その事実を緩やかではあるが。場の者達は飲み込もうとしていた。
「対外国や民間に対する借金であれば返済の必要がありますが、自国の銀行への借金は、言い換えれば貨幣を発行しているだけなのです。目の前の借用証書を見ていただければ、理解し易いかと存じます。したがって返済の必要などないのです」
ここまで事実を述べてきて、さらにひとつの疑問点が沸き起こる。
「では国は中央銀行さえあれば、無限に貨幣を発行できるのか?」
「結論からいえば、理論的には可能であるが現実的には難しいということになります。なぜ難しいかというと、どれだけ資金を生み出しても生産力が伴わなければ、それは貨幣の価値を下げることに繋がってしまうからです」
仕組みを理解した者が次に思うことは、まさに今議題になっている、貨幣を発行できる上限についてだ。
「具体例を出しましょう。橋をつくる件に例えると、マルキアは100の橋をつくる材料も労働力もあるが、資金は80の分しかない。そのような状況であれば20の資金を中央銀行から借用して足してやれば、貨幣の価値を損なうことなく100の橋をつくることができるでしょう。ここまではよろしいですね」
「うむ。続けてくれ」
「では一方で、同じ状況の場合に、120の資金を足してやればどうなるでしょう。資金は200あっても橋をつくる力は100しかないのだから、やはり100の橋しかできない。それどころか資金が過剰にあるせいで、橋の価格が2倍になってしまいます。この状況は貨幣の価値が半分になってしまった状況であり、好ましくありません」
「つまり貨幣を発行する上限は、その国の生産力に制約をうけるということか?」
「ご明察の通りです。ひいては国を発展させるには、資金の量を増やすのではなく、生産力を高めることが最も健全であるといえるでしょう。私たち中央銀行が農業、鉄鋼業への融資を続けてきたのは、まさにこの生産力を高めることを後押ししたかったからです」
これまでの説明で、今まさに国の貨幣感が変わろうとしている。そしてなぜ昨年の税収を大きく上回る予算を組んだのか、ここまで聞けば理解できるだろう。
「話を戻しますが……本年度の予算案、税収を大きく上回る額は、不足分を中央銀行からの借用で補うとしてよろしいですね?」
「よかろう。桐生殿が国を良くするために尽力してくれていることも伝わった。貴公に一任する故、これからのマルキアをよろしく頼む」
「しかと承りました」
国の貨幣感が目まぐるしく変わってまいります。マルキアはいったいどのような国家に変貌するのでしょうか。次回ご期待ください。