金貨の預かりは世の中のニーズ
目を開ければそこは見知らぬ空間だった。
「ここはどこか?」
どこかの小部屋のなかのようだが。自分の部屋とはまったく違う。
「おい、執政官殿が到着なさったぞ。お出迎えを急げ」
廊下の向こうから声が響いてくる。
「執政官? 昔の政治家のようなものだったか。ここはお偉いさんの仕事する建物ということか?」
声はだんだんと近づいてくる。
「お待たせしました執政官様。本日よりマルキア共和国の財務担当の執政官として着任していただきます。まもなく任命式がはじまりますので、お急ぎください」
この若い女性は、私に向かって発言したのだろうか。周りを見渡してみる。自分と女性以外は誰もいない。
「執政官って……私のことか?」
私は桐生六助。一応、国会議員をしている。とはいえ政党の中では最若手で、発言力はほとんどなかった。政治家を志したころは、国のためと思って世直しをしようと夢見ていた。しかしいざ選挙に当選して入党してみれば、そこには党首の思想を絶対とする鉄の掟があった。もちろんその政党の理念にいくらか共感したから、党の推薦をうけて出馬したのだが、まさかこれほど理念と実態が乖離しているとは思いもよらなかったのだ。自分に投票してくれた方々のために、何とか世の中を良くしようと何とか政策の案を提出するも
「君はまだその立場にない。しっかり勉強したまえ」
と先輩議員に一蹴されてばかりであった。やりたいことが実現できず、葛藤を抱きながら日々過ごしていたのだが、まさか寝て起きてこんなことになるとは思っていなかった。
女性についていった先には、国王と思われる人物をはじめ、おそらく大臣に相当するであろう者たちが一堂に会していた。ここは議会の場のようだ。私は右も左も分からぬまま、国王により財務担当の執政官に任命された。ちょっと展開が急すぎて、頭が追い付いてこない。ここに来て分からないことだらけだろうから、細かい話は秘書官から聞いておくようにと丸投げされ、私は先ほどいた小部屋に戻ることになった。
「こちらをこのまま執務室としてお使いください。私は秘書官を務めさせていただきます、エリスと申します。何なりとお聞きください」
先ほどから案内してくれている女性は、私の秘書官らしい。よく見てみると、整った風貌をしている。秘書官として傍にいてもらうならこんな人が良い。
「ええと、じゃあ……」
ここはどこか異国なのか? 先ほどの者たちは? 私に与えられた役割は? 私は様々な疑問をエリスに尋ねた。エリスは私の問いにスラスラと答えていく。時には資料も用いて、国家の実態に関することも情報を提示してくれた。
「なるほど……いろいろなことが分かったよ。ありがとう。まず国の現状をまず整理してみよう。今ここマルキア共和国は、隣国のグロリア帝国と国境沿いで睨みあいが続いており、戦争にいつ発展するか分からない、一触即発の状態とのことだね」
「左様でございます。帝国は着々と軍事侵攻の準備をすすめていると聞いております」
「それは大変だ。問題は、マルキアの国力がグロリア帝国に比べて甚だ劣っているという点だね。資料によると……、帝国はマルキアに比べて、人口、鉄鋼生産量、軍事費において約2倍もの国力があるようだ。このままの状態で戦争が始まれば、マルキアの敗北は火を見るより明らかだな。この状況を打開するべく、私はマルキアの執政官の一員として迎えられることになったわけだ」
異国の政治家である私にはマルキアがどうなろうとハッキリ言って関係ない話だ。しかし、何となく地位と役割を与えられると遂行したくなってしまうのが私の性なのだろう。
「私は軍人ではなく、政治家だ。戦争になってしまえば、戦いの部分ではどうすることもできない。だが戦争を回避するために、できる限りは協力させてもらおう」
まずはこの国の財政の仕組みを、エリスからざっくりと教えてもらった。国内では共和国金貨、銀貨、銅貨が流通しており、すべての国の収支や民間の商いも貨幣によって成立しているとのことであった。近代以前においてよくみられていた、典型的な金本位制の貨幣制度である。
「まずは何をするにおいても資金調達だ。最初に中央銀行を設立することから着手しよう」
ここが原点にして、最大の貨幣観の変換点となる。
「銀行……でございますか?それは何を業とすれば良いのでしょうか?」
「最初の銀行の業務は、民間の商人が商いで稼いだ金貨銀貨を預かることだ。当然ここで必要になってるのは、強固な金庫だ。それに金庫番のための兵士も配置する。こうすることで、中央銀行に金貨銀貨を預ければ、稼いだお金は絶対安心であるという信頼が得られる。このことが重要なのだ」
「たしかに町では、金貨泥棒の被害が頻発しているとも聞きます。財産を預かってくれる施設があれば安心ですね。町の夜中に治安維持の兵を巡回させるよりは、予算もかからなさそうです」
「そして金貨銀貨を預けた商人には、借用証書を手渡す。この借用証書が、国の経済において後々非常に重要なものになるのだが……今に分かってくるよ」
こうしてマルキア初の中央銀行が開設された。最初のサービスとして、商人たちの稼いだ金貨銀貨を安心して預かる業務が開始された。なお本来は銀行の預け入れには手数料をいただくのが通例なのだが、それは今回の目的を阻害する可能性があるので、ひとまずは無償で利用できるようにした。
中央銀行が営業開始すると、商人たちはこぞって金貨銀貨を預けるために殺到した。それもそのはず、なにせ金貨銀貨はそれ自体が価値の塊である。すなわち所持しているだけで、盗難のおそれが付きまとう。しかし商人たちは自分の屋敷に保管する金庫もなく、警備の傭兵を雇うことも躊躇する。そんななか、自分の資産を預かってくれるサービスが無料で利用できるのだ。これを利用しない手はなく、マルキア内のほとんどの商人が中央銀行を訪れ、資産を預けていった。
「すごいです! 初日から大盛況のようです! 皆さんはこのような施設を望まれていたのですね」
「商人の方々は、今晩からは枕を高くして眠れるでしょう」
「ところで、預入の際に渡される借用証書は金貨10枚、金貨1枚、銀貨1枚の3種類があるようですが、どれにも貸出者の名義が記載されていませんね」
「良い所に気が付いたね。あえて名義を記載していない点が、より早く目的を達成するための仕掛けなんだ」
結果は思ったより早く、国内にあらわれはじめた。
「桐生様、すごいことが起こっています。なんとこの借用証書、商人たちの間で流通しはじめたようなのです」
「想定通りさ。例えば金貨銀貨を中央銀行に預けた商人たちが取引をするときに、わざわざ銀行から金貨銀貨を引き出して取引し、稼いだ金貨銀貨を再び銀行に預けに来るとった面倒な手続きをとるだろうか? それよりは、いっそこの借用証書で取引した方が便利じゃないかな。そういう発想に行きつくのが銀行開設の本当の目的だったのさ」
極めつけにマルキア共和国は、この借用証書での納税も認めることをお触れとして出した。これは利用しないはずがなかった。この段階でこれまで金本位制であった者達に、紙幣の原点である借用証書を用いた取引を導入することに成功した。この状況を後押ししたのが、マルキアが兵士や役人の給料もこの借用証書で支払うことにしたことだ。最初は証書に価値があるものかと疑問に持つ者もいたが、証書が市中で流通しており、その上証書での納税も認められるとなれば、次第に証書はその利便性から歓迎されていった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。次回、いよいよ銀行の業務である「貸付」が始まります。マルキアの命運はいかに?