第八十八話話「迷いの森」
「⋯⋯それじゃ、向かうか。本当にこの森でいいのか?」
「おう、この森奥に洞窟があってその中に奴は潜んでるんだ」
鬱蒼とした森を目前に、僕たちは歩みを止める。明らかに異様な雰囲気が木々の合間を流れる。進むのを拒否したい。
「⋯⋯どうしてなんでしょうかね、なんか嫌な雰囲気ですけど」
「そうかしら? 少し暗いとは思うけど⋯⋯」
気のせいか、と自分を騙しつつ僕は森の中に足を踏み入れる。ザクザクとした分解しかけの落ち葉が足音を増幅させ、森の中に響き渡る。
「⋯⋯それにしても、見通し悪いですね」
僕のその言葉に返答はない。あたりを見渡すと、そこには誰もいなかった。
「⋯⋯え、皆さん?」
はぐれたのか、もしくは魔物に幻覚を見せられているのか。とにかく、この状況をどうにかするしかない。
⋯⋯ふと、植物に道を聞くという案を思い出す。
「⋯⋯はじめまして森の木さん、僕の仲間の居場所ってどこかわかりますか?」
手頃な木の幹に触れて声をかけてみると、いつものように声が聞こえてくる。こういう時はこの能力がとても役に立つなぁと我ながら誇りに思った。
「君の仲間に会いたいならばこの青い蝶について行くといい。案内してくれるよ」
どこからともなく現れる美しい蝶。それは僕の肩に止まり、少し羽を休めるとひらひらと音も立てずに飛び立つ。
「ご親切にありがとうございます! それでは」
木にお礼を言い、蝶を追いかける。キラキラと太陽光を反射しているのか薄暗い森の中でも見つけやすい。
——その時、不意に足が宙に浮いた。
ドシン、と大きな音とともに上から舞い降りる枯れ葉。どうやら穴に落ちてしまったらしい。
「⋯⋯プクク! 成功したわ!」
頭上から可愛らしい声が聞こえて来る。その方向に目を向けると、そこには青い蝶が空中で羽を忙しなく動かしながら止まっていた。
「⋯⋯妖精の仕業か」
蝶を睨むと、それは光の粉を纏い人間に羽が生えた姿へ変貌する。この悪戯には僕も怒りを隠せない。
穴から何とかして這い上がると、妖精たちの笑い声があちこちから聞こえて来る。どうやらここは迷いの森らしい。
「うわぁ、最悪だなぁ」
服の土を払い落とす。迷いの森の植物たちはほとんどが嘘つきだ。でも、本当のことを言ってくれる植物を探さないと。
落とし穴にはじまり、蔓に足を引っ掛けられて頭から転んだり、ぬかるみに足を止められたり⋯⋯。話を聞けども本当のことを言ってくれる植物も妖精もおらず、苛立ってきた時だった。
「ん? 甘い香り⋯⋯」
森の中にはそぐわない甘い香りに足を止めると、それはどうやら森の奥から流れてきているようだった。これが罠かもしれないと思い足を進めるのが躊躇されたが、他に手がかりもない以上手詰まりであるため疑惑を抱きつつ森の奥へ足を踏み入れた。
大きな茂みに小さな鳥が舞うようにも見える白い花が数え切れないほど咲いている。どうやらこれが甘い香りを放っていたようだった。
「スイカズラかぁ。いい香り〜」
そうだ、せっかくだし話を聞いてみよう。もしかしたら正直者なのかもしれない。
「すみません、この森で仲間と離れたのですがどこにいるか分かりますか?」
「あー、この道をまっすぐ行けば多分会えると思うわよ?」
「ありがとうございます。向かってみますね」
どうやらこの一本の獣道の先にいるらしい。⋯⋯本当だろうか? また嘘をついているのではないか?
いろいろな可能性を想像しながら歩いていくと、足元が急に崩れる感覚を覚えた。
落とし穴の中へハラハラと舞い落ちる枯葉が僕のことを嘲笑っているようだ。どうやら嘘をつかれたらしい。
執念で落とし穴からよじ登り、スイカズラの茂みへ戻る。すると僕が落とし穴に落ちたことを知っているのか意地悪に笑っていた。
それに僕の怒りは頂点に達した。
近くにあった茂みから一輪のスイカズラの花を引きちぎる。無論叫び声の後に抗議の声が上がるが、それには耳を傾けずに準備を進める。
「最初からこうすればよかった」
手頃な枝を見つけて、地面に円を描く。その中に図形を描けば準備は完了。
スイカズラの花を一輪真ん中に置いて呪文の詠唱をすると、無事に魔術は成功したようで僕の杖はフワフワと宙に浮いていた。
「それじゃ、みんなのところまで」
僕の言葉の通りに杖は一方向に進み出す。いくら迷いの森とはいえ道教えの魔術にかかれば無事に合流できるだろう。
「⋯⋯おいおい、どこに行ってたのかと思ったら⋯⋯。って、どうしたんだよそれ」
「⋯⋯僕もこれほどまでに苦労するとは思いませんでしたよ」
指摘するのも最もだろう。なんせ顔面は泥だらけで傷だらけ。服には枝や葉が引っ付いていたりと、普通に森を歩くならば起こり得ない状況になっていたのだから。
「この森、どうやら迷いの森らしくて⋯⋯。植物も嘘つきしかいないのでほんとに困りましたよ」
「⋯⋯迷いの森って、どういうことだ?」
二人の狼獣人は顔を見合わせて首を傾げる。さながらはてなマークを頭に浮かべるように。
「ええっ!? 私でも知ってるわよ? 奥深くに足を踏み入れると罠にかけられたりして遭難する森のことよ! というかなんであんたここが迷いの森だって言わなかったのよ!」
「俺は知らなかったんだよ! その証拠にこの前は迷うことなく出れたんだぞ?」
いがみあうケルの兄とネリルの間に挟まれたケルが困ったように頭を掻き仲裁する。そして困ったような顔をこちらに向けていた。
「⋯⋯二人とも、とりあえず落ち着いてください。ネリル、多分二人が迷いの森の存在を知らないのは無理もないことなんだ」
「⋯⋯どういう、こと?」
「迷いの森っていうのは植物と精霊が共に融合して暮らしていることで成り立っているんだけど、その精霊が狙うのは主に人間なんだ。獣人を狙ったところで鼻もよくて暗闇でも目が見えるからすぐに逃げられる。だから彼らには普通の森にしか見えないってこと」
「じゃあ、どうして私は迷わなかったのかしら?」
「⋯⋯これは予想でしかないんだけど、僕がいなくなる前って僕が先頭でその後ろにケル、ネリル、ケルの兄って並んでいたよね? 獣人の視界から外れた僕は精霊によって転移させられたけど、ネリルは常に二人のどっちかから見られてたから大丈夫だったんじゃないかな?」
「⋯⋯じゃあ、もしかしたら私も迷うことがあるかもしれないってことよね?」
迷いの森というものは人々に恐れの対象とされているためか、ガタガタと震えている。しかし、対策が分かった以上そこまで怖がる必要もない気がする。
「ということで、ペアを組んで視界から外さないようにしたいんですけどいいですか?」
お互いに注意を向けていればきっと迷いの森で遭難することはない。ただ列に並んで歩くだけよりも安全だろう。
「⋯⋯そうね、それならきっと大丈夫」
言い聞かせるようにネリルはゆっくり口に出して立ち上がる。森の中は昼のはずなのにどこかまだ薄暗く感じる。思ったよりも厄介なことになったとは思ったものの、もしかしたら同じように困っている人がいるかもしれない。再び洞窟へと足を進めた。




