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第四十六話「私の街よ、行ってきます」


「え⋯⋯。そんな、あまりに急な話じゃないかい?」


 シーンと張り詰めた空気が流れる。コップを置く音も、誰かが廊下を歩く音も、そこには存在しなかった。

 デヴァリニッジを去る旨の話を宿の主人に伝えると、まずはじめに返ってきたのは困惑の返事だった。

 掃除をしていたホウキの手を止め、こちらをただじっと見つめている。


「すみません、いきなりこんなことを言ってしまって。ですが、城下町まではかなりの距離があるので早めにここを発たないといけないんです」


 宿のロビーにいつもと違う寂しそうな空気が流れるのが、少し申し訳なく感じる。それもそのはず、城下町に行くとなるとこの街をずっと南に進んでいくとても遠く険しい道を進まなければいけないのだ。本によると気候も植生も文化も何もかもこことは異なっているらしい。そんなところに向かうというのは命がけのことでもあるのだ。


「⋯⋯分かった。それなら私たちは止めないよ。気をつけて、行っておいで」


 どうしてこのような選択をしたのかという経緯を話すと彼は諦めのような表情を見せ、微笑みを浮かべた。納得してもらえたのだろう。

 すると、畑仕事をしていたはずのリリアさんが裏口から走って来た。


「⋯⋯ネスロさん、本当にここを出るんですか!?」


 リリアさんも信じられないと言った様子だ。肩を掴まれ軽く揺さぶられる。頭がグワングワンして酔いそうだ。


「ちょ、リリアさん⋯⋯。頭が」


「あぁ! すみません。あまりに驚いてしまって⋯⋯」


「こちらこそすみません、新しい精油。結局作ることができませんでしたね」


 新しい香りの精油の研究を日々重ねていたが、それを披露することなくここを離れることがなんとも口惜しい。


「それより⋯⋯! 絶対に帰ってきてくださいね? 約束ですよ」


「もちろん! 絶対に帰ってきたら顔を出します。安心してください。あ、それと。これが今のところ考えている新しい精油のレシピです。実際に作ったわけではないのでどんな香りになるかは分からないのですが、ぜひ作ってみてください」


 マリジさんの小屋までの地図とレシピを書いた紙を渡し、握手を交わす。すると、今までの思い出が走馬灯のように溢れてきた。

 初めてここに来た時に、獣人達との壁を感じたこと。だんだんといろんな人と打ち解けていったこと。事件やトラブルに巻き込まれたこともあったけど、たくさんの人と触れ合うことができたのはとても楽しかった。

 何もないならずっとここにいたい。長閑で温かくて、それでいて活気もあるこの街が大好きだから。


「はぁ、なんだか寂しくなるねぇ。でも、行っておいで! あの子はこの狭い世界しか生きることしかできなかったからね。その分、頑張ってらっしゃい!」


 奥さんに手をギュッと力強く握られ、少し痛いが旅立ちは笑顔で始めようと思いにっこりと微笑む。


「はい! ありがとうございます。それじゃ、街の人に挨拶をしてからこの街を旅立とうと思います」


 ケルを呼ぼうとすると彼は沢山の子供達にまとわりつかれていた。とても重そうだが彼自身なんともないようで軽々とした表情をしている。この辺はさすが剣士だなぁと感心せざるを得ない。


「なんで? ねえ! なんでどっか行っちゃうのー」


「行かないでよ〜!」


「ケルお兄ちゃんモフモフ〜」


 一斉に言葉を発する子供達。大きな声はいつも以上に賑やかだった。


「落ち着けっ、落ち着けって! ⋯⋯いいか? 俺はこれからお宝を探しに出かけるんだ。いい子に待ってられたらそれを影絵でお話を聞かせてやろう。待っていられるな?」


 子供たちはしばらくそわそわとしたのちに納得したようだ。大きく一度頷いた。


「よーし、いい子だ。それじゃ、行ってくるからな。⋯⋯よし、ネスロ。行くか」


「そうだね。あ、長い間お世話になりました。きっと。⋯⋯いや、絶対に戻ってきますから!」


 みんなが手を振ってくれるのに僕たちも手を振り返し、宿のドアに手をかける。呼吸を整え、思いっきりドアを開けた。




 使う前は埃に塗れていた精油蒸留機も、今ではかつての輝きを取り戻したようでキラキラとしている。それを横目に見つつ、この街を出ることを話すとマリジさんは少しだけ驚きの表情を見せた。


「城下町まで行くのかい⋯⋯? なんだか寂しくなるねえ」


「でも、いつかは帰ってきますから! それと、新しい精油のレシピを僕が泊まっていた宿で働いているリリアさんという人に渡したので、よかったら一緒に作ってみてくださいね」


「分かった。是非とも作らせてもらうよ。そうだ、これを持って行きなさい」


 そう言うとマリジさんは小さなボトルをどこからか取り出し、僕に手渡した。


「⋯⋯これって」


「そう、私たちが作った精油だよ。もしも辛い時があったらこの香りで癒されてね」


「ありがとうございます⋯⋯!」


 しばらくボトルを眺めていると、本当に此処を発つのだという実感が湧いてきた。

 正直、今の僕では力不足なんじゃないかなどの不安はずっと抱えていた。少しは成長しているだろうが、やはり旅をするとなると心許ない。


「よし、それじゃあ出るか」


「⋯⋯そうですね、マリジさん! 行ってきます!」


 小屋を出て、今度は街の出口側にある商店街を目指す。


「じゃあ、買い物を済ませて出発するか」


 長旅に備え、食料や薬を買っておいた方がいいだろう。それだけじゃない。ケルの剣も研いだほうがいいだろうし、ローブに空いてしまった穴も直してもらったほうがいいだろう。

 まだまだ街を出るにはすることがあるようだ。商店街の一つのドアをノックした。

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