己の矛盾
それから、亡霊は念入りに作戦を立てる。観察しては動きを掴み、何度もシュミレートしては考えられるエラーを回避して、再度練り直す。そんな事を朝まで続けていると、目を覚ましたモモネミがこんな事を言い出した。
「ねえ、そこまで慎重にならなくてもいいんじゃない?勇者様程では無いけど、レヴだって強いんだからさ」
それに対して、彼は迷わずに言う。
「死にたくないからな」
「ふうん。でもさ、死にたくないならなんでこんな危ない仕事を選ぶのさ?」
それを聞いて、亡霊の動きが止まった。何故なら、今この瞬間に初めてその当然の矛盾を自覚したからだ。彼はこの十年間の生活で、そんな事は考えもしなかったのだ。
「勇者様の時だってさ、あれ一歩間違えば死んでたよ?とっとと謝ってれば斬られる事もなかったじゃないか」
脳みその回転が止まる。その時、ふと過去に失った二人の仲間の顔を思い出していた。
「……どうだろうな。だが、人は誰しも自己矛盾の一つや二つは抱えているもんだろ」
しかし、妖精はとぼけた様に首を傾げ。
「そうかな、僕はやりたい事しかやらないからわからないよ」
と言った。その時、亡霊は初めてモモネミの顔を真っ直ぐに見た。その目はまるでクリスタルのように白く、青く、キラキラと輝いている。そんな瞳を見つめて、モモネミは「照れるじゃないか」と言って亡霊の頬に肘をツンツンと当てた。
「……ふっ、そうだな」
そう呟くと、彼は初めて笑顔を見せたのだった。
「なあ、モモネミ」
「なあに?」
「生きて帰るぞ」
そう言って、亡霊は再び野営地に目を向けた。
更に観察すること数時間。再び夜になり、ふいにモモネミが口を開いた。
「あの一番奥のテント、魔女の出入りが多いね」
その言葉から、モモネミもしっかりと観察しているのがわかる。テントは三つ、亡霊たちから見てひし形に陣取られており、左側に監視用の簡易的なやぐらが組まれている。中心には大きな煙のない白い炎が燃えていた。確認出来る魔女の数は全部で十人だ。
設置されている物のサイズは、明らかに無数の目を持つ魔獣四頭で運べるものではない。あれも、魔法の力を使って運搬しているのだろう。先の勇者との闘いで、亡霊は自由に物を出し入れすることが出来る方法がこの世界にあるという事を知っていたから、そこに疑問を持つことはなかった。
野営地に見える敵の容姿は、その全てが冴えるような美女だ。と言うのも、ペイルドレーン・ワークスには、淫靡で艶めかしい造形を持つ人間しか住んでいない。あの国に住む魔法使いが魔女だと言われる理由はそこにある。
ペイルドレーン・ワークスに入った魔法使いたちは己の姿を捨て、両性具有の体へと形を変える。元の性別がどうであれ、魔法によって性器を二つもち、胸を膨らませる。常人には理解できない発想だが、そこは狂気の国。魔女たちの行いの理由は、その全てが魔法の発展に帰結する。つまるところ、あの体が魔女たちにとって最も効率の良い形なのだ。
「それでさ、どうやってその人質を助け出すの?多分、あの奥のテントにいるんでしょ?」
「いや、そうとも限らない。あそこを見てみろ」
そういうと、彼はこちらから見て右のテントを指さした。
「今俺たちがいる崖と、奥のテントの裏の山で攻め入るポイントはほぼ左右に限定される。どちらも少し距離があるからな。そして、あのテントが地獄の穴から一番遠く、人の入りが極端に少ない。逆に、左側には監視塔があるだろ。だとすれば、要人を守るとしてお前ならどこに隠す?」
「……そっか。いつでも逃げられるように右のテントにするよ。でも、それならどうしてあの大きなテントに人が集まるのさ」
「あそこが魔女の寝泊まりする場所なんだろう。お前が寝ている間、出てきた魔女が見張りを交代していたんだ」
「それじゃあ、一番手前のテントは?」
「声だ、よく耳を澄ませるんだ」
言われて、モモネミは彼の言う通り耳を傾け、風や葉の擦れる音を遮断して集中した。すると、今まで気にも留めていなかった物音が一変。何かのきしむような音と、口の端から漏れたような甘美で淫乱な声が聞こえてきた。
「やだよっ!なんてもん聞かせるのさっ!」
妖精は状況を悟ったようだ。
「実際のところ、今回の件で攫われたのは貴族の息子だけじゃない。襲撃された現場からは死体が一体しか見つからなかったんだ。恐らくあそこに、男娼としてあてがわれた警護の兵士がいるんだろう」
「……ひょっとして、その貴族の子が攫われた理由って」
「そういう事だ。近年、美少年ばかりが神隠しにあう事件が頻発してる。……表立って公表はされていないがな。ここからは聞こえないが、あの右のテントでも同じような事が行われているんだろう。そしてその魔女こそ、この小隊で最も地位の高い奴だ」
「……魔女の目的ってなんなのかな」
「わからん、わかりたくもない」
亡霊が言うと、モモネミは一瞬だけ声を聞いて頬を赤らめ、視線を逸らして彼に話しかけた。
「それじゃあ、もっと暗くなって見張りが手薄になってから助けに行くの?見た感じ柵もないし、奇襲を仕掛けたらいけそうだよ」
「……恐らく、それは無理だ」
モモネミが「どうして?」と聞くより前に、タイミングよく地獄の穴から這い出してきたであろう魔物が数匹、雄たけびを上げながら魔女たちの野営地に向かって歩いてきた。しかし、やぐらにいる魔女は何もせず、あくびをしてその姿を見ていた。
「くるぞ」
亡霊がそういうと、突然魔物たちの体が白い炎に包まれた。悲痛の叫びをあげる魔物の姿を見て魔女は舌なめずりをする。肉の焼ける臭いは、風に乗って二人の場所まで届いた。
モモネミが驚いたのを察すると、彼は妖精の口を人差し指で塞いで音を止めた。籠った悲鳴が、亡霊の指を震わせた。
「んん……ぷはっ!あ、あれはなにさ!?」
「結界が張ってあるんだ。外から触れると、侵入者がああして燃える。その範囲はテント周り三メートルと言ったところだな。当然、左側にも同じモノが展開されているはずだ」
「ひぇ~。あんなことされたら手の出しようがないじゃないか!どうするの!?」
「どうにもできない。あいつらに結界を解いてもらうしかないな」
「そんなことできるわけないだろ!?じゃあ、男の子を返して欲しいからこれを開けて?って頼むっていうの!?」
「落ち着け。今説明する」
そう言って、亡霊はモモネミに作戦を伝えた。
「……そ、そっか。なるほど」
「作戦の決行は朝だ。それまではゆっくりしていよう。俺も、徹夜続きで疲れた」
亡霊が寝そべると、モモネミは彼の傍らに寄り添って目を閉じた。
月は、もうすぐそこに来ている。




