誰がモノを言う
腐りに腐った酒の臭いが、意識を呼び戻す。黄ばんでひび割れた壁にカビが大量発生しているだけでなく、足跡が付くほど溜まった埃まみれの床。
それになんだ?この腐乱臭…。
「…んな事言ってないで酒寄越せガキィ!」
「酒ならさっき呑んだだろジジイ!」
向こうの扉から喧しい音がする。俺達みたいな冗談めいた言葉じゃない、純粋な罵詈雑言。…まぁ、少なくともサイコパスじゃないだけマシか。
「はぁ…っ、そういやあのガキはどうした?」
「今お袋が処理してるから黙ってろよ…」
「あぁ?!もっぺん言ってみろ!」
「黙れこの穀潰し共!」
アイツが…、お袋って奴か。で、話の内容上あの娘がイグジストなのか?確かに、こんな野蛮人と一緒にいたら、心歪みそうだな…。
「名前はどうするんだい?」
「んなもん要らねぇだろ。どうせ言わねぇしな」
「同感、考えるだけ無駄だ」
「確かに、奴隷に名前は要らないね」
一瞬、意識が飛びそうになる。吐気を感じる笑い声。何が楽しいのか分からない獣共。いや、獣の方がマシだ。
でも、ここで出て行ったらどうなる?歴史の改変になるんじゃないか?いや、たとえ出て行ったとしても、今の俺が関わる限り未来は変わらない…。
出て行っても、ただの自己満足になるだけだ。
この世界に来てから、3年が経った。真実ってのは、やはり事実じゃないと説明つかないってのは本当らしいな。
レジェクション・オーディエンス
あの母親は、正真正銘のクズだ。家事はしない、稼がない、それでいてヒステリック。暴力なんて日常茶飯事。しかも親父息子じゃなく、まだ3才のアイツにだぞ…?!
アポリプシ・オーディエンス
息子、兄貴だな。比較的大人しいがあくまで比較的だ。腹の中はもう黒ですらない。影で暴力を振るい、万引きは常習。そして未成年の癖に酒呑みやがる。命の重みなんて均一な訳あるか、閻魔様…。
そして、あのクソ親父だ…!
名前なんて知らないし知りたくない。働きもしないで昼間っからスロット、煙草、酒、薬、風俗!アイツに人間やる資格は無い。それだけならまだ他のクズ共と一緒だ。だが、そんな奴等なんて置き去りにする様なクズだ。
あんなのは化物や獣ですらない。
「おい、あのガキはどこだ」
「倉庫にでも隠れたんだろ、馬鹿馬鹿しい…」
「そうか…へっ、優しくしてやるから出てこいよガキ!」
家中に酒をばら撒きながら、隠れている娘を探し、見つけ、酔わせる。この時代、酒はまだ18歳未満は呑むなと定められている。それを知らずとも逆らう父親。
何度か我慢の限界が来た。その度に粛清した。でも気が付くと、そこは殺す前の世界になっていた。俺がどれだけ奴等を殺しても、それが変わる事は無かった。
次に殺したのは、その2年後だった。心がどんどん乾いていくのが解り、助ける事の出来ない苛立ちを自分に返す事しかなくなっていた。
「早く飯作るんだよ」
「…はい」
その日は一段とヒステリックに叫んでいた。
「できま――」
「この汚い料理はなんだいガキ!」
「ぁ…」
「お前のせいで食材が無駄になったじゃないか!」
「…ッ、ごめ――」
「謝ったって許さないよ穀潰し!」
振りかぶる音。また手を上げているんだろう、投げたとしても酒缶だろう。そんな風に思えてしまった。
鈍い音と共に、母親の声が震え始める。頭の記憶が引き摺り出されていく。滴る液体、流れ出る流体、溢れ出る鉄分。その全てが懐かしく、そして心を呼び覚ました。
「堕ちろクソア――」
当たる寸前まで、気付かなかった。
床に撒かれた煙草の燃えカス。
砕けた灰皿。
左目から湧き水の様に溢れ出る血を、
今の今まで見ようとしなかった。
つまりそれは――
「あ、アンタなんだい!早く、通報を…」
「…黙れ」
枯れていた花が蘇える様な開放的な気分の中、思った。
俺もアイツらと同じじゃねえか。




