私じゃない
凍える様な寒さ。
這う気力すら無い。
薄っすらと見える腕は、ビニール傘の様にか細い。
周りから漂い続ける煙草のニオイ。
咽ようとしても、その度に肺が止めようとしてくる。
どこからか聞こえてくる罵声。
急に体が浮き、そのまま――
『―――』
目を覚ますと、その空間は跡形もなく消えた。体を持ち上げられない事と気力以外は全て消え去った。だが、その後味の悪さは、暫く消えはしないだろう。何も知らないのだから。
「准尉、情報統括センターになんて何しにきたんですか?」
「家主の素性と、ついでに妹の素性」
「そう簡単に渡すでしょうか?」
「その為の借りがあるんだから」
受付を無視し、一気にデータ管理区域まで降りる。場所の変更はよく行われるが、あんな膨大な数のコアデータは人力ではすぐ動かせない。1つでも残っていれば、そこからマザーベースに接続してデータを覗く事が出来る。
まぁ全部武藤の受け売りだけど。
『この先へは生体検査登録者のみ通る事が出来ます』
「生体検査って何するんです?」
「360度上下左右からの全身の撮影、後は指紋、声紋、DNA。処女と童貞と性感帯。歩行癖から催眠猶予。後は…」
「いいです…、もう一杯一杯です…」
「まぁ、まともに通ろうとするとそうなるよね」
パスコードエンターキーを外し、先を熱しながら鍵穴に差し込む。鍵穴にも耐熱を施したのは向こうだ。私のせいじゃない。即席の鍵を造り、正面突破する。もうこの鍵穴は使えなくなったが、最悪ドアを融かせば問題無い。
『ご要件は?』
「操作協力だね。データアクセスを許可してほしいんだ」
『少々お待ち下さい』
エレベーターの降音がする。誰かが降りてきたらしい。こんな早くに許可しに来る事は絶対に無いから、多分見回りだろう。ザルだから問題ない筈。
「何か急用ですかな」
「えぇ、少し必要な情報が有りましてね」
「それはそれは。でも、知っておいでかな」
「関係者以外立入禁止。私達は関係者だから問題無いわ」
暫くの睨み合い。警備員如きが本職2人相手に勝てる道理も無いから強気でいられるが、戦闘中下手してマザーベースにでも触ったら怖い。
『申請が承認されました。お入り下さい』
「…だそうで。分かってくれた?」
「無闇に疑ってしまって悪かったよ。近頃物騒だからね」
「違いない」
足早にその場を立ち去る。あの一件以降、上層部はコッチの組織に逆らえなくなっている。不祥事が公にでもなれば、一気に失墜する政治家なんて沢山いるからな。
「私は家の方を調べるから、ソッチは家主達の情報を」
「了解です」
まだ何台か生きているのがあって良かった。紙媒体で探すのなんて時間がかかるだけだしね。ともかく、家の情報を片っ端から引き摺り出す。
築7年
契約日 2028.5.13
契約者 石破 願柳
一階 2LDK
二階 4
物件情報 事故、事件なし
「石破願柳の詳細確認を!」
「…、分かりました!石破願柳、出生日1975.2.9。享年、…享年!?」
「死亡日時は?!」
「えっと…、2033.9.24です!遺産相続人が家を受け取ったのは、丁度その1ヶ月前になっています」
「相続したのは誰?!」
「…出まし、ッ!?」
思わず口を噤んでしまう様な人間。まさかJOKERではないのか。いや、アレの正体はまだ特定出来ていない筈。じゃあ一体誰…?
「…識別ナンバーF15K-R03、ライナーズ」
「え…?」
血腥い不安定な足場。
綺麗に染め上がる丘陵と、それを乱す死体の山。
―知らない。
穢れきった自らの心。
―知らない。
もう引き返せない。
―知らない。
だから、未来永劫変わる事無く
正義は人間を殺し続けよう。




