監獄の渾沌
「…、武藤。跳ぶぞ」
「見えたか!?」
「いいや、別のだな…!」
「でもどうすんだ、俺らじゃ届かないぞ」
「いいから足場になれ!早くッ!」
その場で手を組み、待機する。凛の視力は殆ど無い。むしろ失明寸前だ。何故そんなに悪くなったのかは検討つくが、コンタクトレンズの度が異常に高い。10.5も人間には必要無い。
「どの位だ」
「20m付近で頼む」
「了解した」
そう言うと少し距離を取り、一気に走ってくる。そして一段目の跳躍で手の上に着地し、二弾目で一気に飛ばす。
振り返ると、空中で何かを掴んだらしい。抱える様な体勢で落下している。蒼く光る鎖が、紅く暗く光り始める。太陽すら霧が隠し、その光が微々たる物と化す。
地獄が有れば、この様なモノなのだろうか。折り重なった鎖の雲。紅暗く照らされる世界。
燦然と赫く生誕者が、幽界に降臨した。
「やっと、1つになれた。やっと、元に戻れたんだ」
語彙力が低下している…?いや、恐らく過負荷に耐えられていない。だがソレも時間の問題だ。完全に慣れられてしまえば、先までの思考能力を遥かに超える筈だ。
だが何だ?1つになれたとは、一体何の事だ。
「ふふ、武とぉ辰吉ぃ?だっけ」
「…覚えててもらえて光栄だね、JOKERさんよ」
「?じょぉかぁ?誰ぇ?それ」
本当に言っているのかコイツ?!間延びした言葉に騙されるなよ辰吉!抑えきれていない負の感情が判るだろ!
落ち着け…。まだ焦るな。コイツが俺に対し隙が無い以上、今は攻撃するな。取り敢えず、まだ――
「わたしの名前はねー、」
左胸に風が通る。遅れて聞こえる衝撃音。視界が反転する。込み上げてくる生臭い液体が何なのか、吐き出すまで理解出来なかった。
「イグジスト・オーディエンス。冥土の手土産にどうぞ」
俯せに倒れる。痛みに喘ぎながら左胸を擦る度に、力加減ができず掻き毟る事となる。そのせいで傷が更に広がり、更に血が流れていく。
精神的に幼い印象は、本能的に攻撃を鈍らせる。抗えない人間は、完全に餌食となった。
「?…即死じゃないのか、ちょっと意外だな」
まぁほっとけば良いか、と呟きながら辺りを見回す。ふざけるな、開けるだけ開けて置いて何を言っているんだ。恨みじゃない、怒りじゃない。
俺に出来るのは時間稼ぎだ。傷は癒えない。俺は普通の人間だ。死ぬ時は死ぬし、殺す時は生かす手段を考える。だから俺は――
「あッ…ぐぅ、ッ待ちやがれ…、まだッ」
「黙っててワンちゃん」
右肩に鋭痛。体の内側から引き裂かれる様な、突き刺される様な痛み。投げられた氷が掠めて行った様な痒みが、体中に疾走る。その痒みの直後、先の鋭痛が遅れて発現する。出血は既に致死量を超え、それでもまだ体は動く。
驚いた様な、怯える様な眼をしている。何故動けるのか、何故生きているのか、何故殺せないのか。考えても判らないだろう。そりゃあそうだ、俺は普通の人間。アイツの様に強くて不死身な訳じゃない。エスカの様に理不尽で能力がある訳でもない。
「まだ…俺は――」
「くッ!!」
何かが砕ける音がする。出血は乾き、その眼に映るのは自らの心臓。鼓動が聞こえる。拍動が多くなる。塞がりかけた傷跡から残り屑が吹き出る。更に鼓動が聞こえにくくなる。
それでも良い。今必要なのは力だ。奴らを待てるだけの力が必要なんだ…!!
「―血液循環速度上昇
―潜在記憶技能習得
―身体系耐久力上昇
―無限器官生成開始
行くぜ…、いや、保たせてみせるさ…!」
「今直ぐその首、貰って行くッ!!」
動かぬ体を死に急がせ、死ねぬ人形と化す。だが死なぬ、まだ生きるべきと思うなら。奴らを待てるのは誰だ、俺だけだ。信じられるからこそ捨身が出来るんだ。だから、俺は待てるんだ…!
「無価値の開門」




