金剛の執行者
「そんな雰囲気で処女なんだねぇ貴女」
「…」
紅雪の処女なんて聞いた事も無い名前だった。だが、奴が黙っているのは処女と煽りを受けた事では無い様に見える。第一、処女の何が悪いのか分からない。そんなの人の勝手だろうさ。
「で、それがどうしたって言うんだ。生きている時間稼ぎでも、もっとマシなのを寄越すだろうに」
「時間稼ぎ?根本から間違えてるよ」
「何が間違えてるのか知りたいと思う意味はねぇな」
「貴方はそう言っていても、彼女はどうかな?」
相当ショックか何かを受けているらしい。手が震えている。生憎と顔は見えないが、恐らく苛立ちか恐怖か絶望の色が射しているだろう。もとから頼るつもりも無かったから別に良いが。
「さぁ、始め――」
その瞬間、肩から横隔膜の辺までに、一筋の線が走った。余りに一瞬過ぎて、傍観者も、当事者さえも理解が出来なかった。一瞬と言う言葉すらも合わないかも知れない。それ程規格外の現象だった。
「紅く染まる世界の様に」
言葉の直後、今度は右足先から鎖骨に線が走る。別に切断されている訳では無い。ただ一筋の線が走っているだけだ。なのに動けない。特別な呪術や魔術、果ては科学の線も疑った。だが違う。
「雪白の如く舞い踊る様」
視界が失われる。何をされたのか理解が出来ない。苦しみも怒りも痛みも無い。あるのは穏やかで冷たい虚無感。死にゆく人が感じる穏やかな安らぎや、深い孤独感は無い。
「処刑対象の意思を待たず」
聞こえるのは紅雪の処女の声のみとなる。処刑される人間は、自らに決定権を持てない。罪の重みや恐怖などでは無い、純粋な感情。
「女々しき者への粛清を」
視界が戻り、線が消える。安堵と復讐の表情を浮かべた瞬間、紅い雨が一瞬降りかかる。そう、一瞬。体が斬られているのが分かる。痛みも感じる。だが自ら死ぬ事だけは許されない。
自らの血で紅く染まる世界の様に
生に足掻き雪白の如く舞い踊る様
価値無き処刑対象の意思を待たず
無へ堕ちる女々しき者への粛清を
「人間ノ刻」
言葉と同時に目の前の奴の動きが止まる。人も機械も、理解不能な事は苦手だ。紅雪の処女は俺の目の前で、泣きながら剣を握っていた。
名前の事などどうでも良いのだろう。ただ、人殺しとしての自分が憎かったし、認めたくなかった。だが、それは俺も同じ。人殺しと後ろ指を指され、非難された事は数え切れない。だが、それで泣くのは違うじゃないか。大切なのは、自らの過去を潰さない事なんだ。
でも、そんなの言える訳無い。目の前で女の子が泣いている所に、追い打ちをかけるなんて俺には出来ない。
「…良いか?ENFORCER」
「ッ…なに…?」
「俺達人殺しはな、後ろ指を指されるのは運命なんだ。辛いだろう、…でもな。1人で抱え込むな」
右肩に優しく手を置くと、崩れる様に寄りかかられる。ゆっくりと左手を頭に回し、引き寄せる。
「可愛い妹を聞くのは、義兄貴の役割だからな」
「!!」
「エスカもお前もアイツらも、誰かが欠けると寂しいだろ?」
処女の意味は純潔。この子は、ただ加害者なだけじゃ無い。必死に生きようと努力して、生きる為に後ろ指を指され、全てに怯えながら生きなければいけなくなったんだ。人殺しだからって、無意味じゃ無いんだ。
「苦痛は自らで味わえば良い。だが、苦悩は皆で消せるならそれで良いじゃないか」




