ヒトガタ
「ぁ…ッァ…」
深秘的に瞬く床。
歩く度にその粒子が舞い上がっていく。
小雨が光を打ち、乱反射させて更に煌く。
その不可侵領域に、彼女は変わらず揺らいでいた。
「芸は終わりか?ENFORCER」
「まだ…ッ、私は…」
トラウマでもなんでもない、ただの記憶が弾けたんだ。そりゃ記憶領域に甚大なダメージが行っただろう。
だが、それのせいで錯乱状態が更に悪化している気がする。殺す気で行く、としても、実力差は歴然だ。
それでも、逃げる選択肢すら残されていないのだ。
「MODE:ΓB、使える?」
「…何だそれ?そんなダサい技あるのか?」
虚を突かれた様に動きが止まった。今までそんな技使った事もないし、…方法は判りそうなものだが、使えば自滅は必至だろう。誰がそんなコスパ悪い技を使うんだ?
「神ノ刻――」
「歯ァ食いしばりなよ…」
「…お互い様だ、模造品」
空間が停止していくのが感覚で分かる。
剣を、血が滲む程に握りしめてしまっていた。
だが、それが何の意思表示になる?自らの方が弱者で、為す術もなく狩られる側だとでも言うのか?
「―我が天命に、安寧を」
タネは判っている。彼女はこの世界を虚数空間の類似物と言っていたが、正確にはフィルターだ。世界を構成する内の時間だけを通さないフィルター。
そして、時間逸脱の極地。
―まだ殺すの?
「ぇ…?」
ここは、私の世界。
私が、居ても良い世界。
だから、
これ以上、誰も私を護らないで…!
「時間逸脱、決まったぜ?」
そのフィルターが、全てに適応されるのならば。
真っ先に適応されるのは発動者自身だろう。
では、何故逃れられるのか。
それは時間逸脱と同じ――
「一瞬テメェが、世界から消えるからだよな?」
この世界は認識できない程連続した時間の連なりによって構成されている。アニメーションのコマの様に、1つずつ静止した空間が存在する。
そのコマから抜け出し、適応させてから戻ってくる。そうすれば、適応されていない自分と、その世界の空間のみが進む。
消えた時間がどうなるのかは知らない。だが、世界を歪ませるんだ。それ相応の副作用だってある筈なんだ…!
「止まってんなら遠慮なく――」
Γは使わない。
アレは、人の為に使うモノじゃない。
でも、それじゃ届かないのは分かってる。
だから俺は、
人間として、
「その存在、殺らせてもらう」
大振りな薙ぎ払い。
受け止めるENFORCERを、力で吹き飛ばす。
時が進めば、この反動は返ってくるだろう。
ならばせめて、
俺は、相手を倒す事だけを優先する。
一撃。
ただそれだけで、自らの体が刎ねる。
だが、痛みも傷も無い。
その痛みは、今の俺には意味が無い。
「時間停止なんざ使った所で――」
解除はさせない。
そんな隙は与えない。
俺が一にすら辿り着けないのなら、
その連撃を以て、俺は一を凌駕する――
「…MODE:Γ――」
全身に激痛が走る。
右腕と、下半身が千切れかかっている。
時間が、動き出したのか…!?
「…無様なモンだね」
「アイツだって消耗してる筈だ。ッ、早く」
「そうだね。じゃ、…トドメを――」
突如として警報が鳴り響く。
聞き覚えのある警告音。
聞き覚えのある空裂音。
聞き覚えのある悲鳴音。
聞き覚えのある狂笑音。
「誰、が」
「…、凛」
「ッ…何だ?」
少しだけ顔を背けた後、左腕を撃たれる。
その痛みと共に、流れ込む情報と記憶。
ENFORCERを、救う方法。
街かENFORCERか、どちらかを救う方法。
前の俺なら、真っ先にENFORCERを助けていただろう。
街の知らない他人を救うよりも、手の届く知り合いを助けるのが俺だった。
でも、それなのに。あの街には、まだ妹達がいる――
「…じゃあ、やるよ」
だったら、俺の答えは1つだ。
「あぁ、……やるか」
―お兄ちゃん
「…あぁ、そうだ」
思考が冷ややかに滞留する。
まるで、締め切られた冬の廃屋の様に。
油の切れたランプの様に。
「自分が人殺しだって事に、甘えるなよ」
冷酷に、そして諭す様に言い放つ。
その言葉に、自らは含まれない。
人を殺したから、私は不幸?
人を殺めたから、失いたくはない?
そんな低俗で陳腐な考え方は、ただ自分の罪から眼を背けているだけだ。
だからこそ、俺は甘えたりなどしない。
「そんな事で悩むなら、さっさと自滅すれば良い」
そんな事で悩むなら、悩む原因を消せばいい。
なんて単純な構造。
なんて単純な幻想。
人は、好きだ。
喜怒哀楽、愛憎無象、閑麗美迷。
その全てが、同じ奴は居なかった。
だからこそ好きだ。
迷って、考えて、戻って、進んで、
そうして人は進化するんだ。
それを止めたいと言うのなら――
「俺は、人間様として、人間を粛清する」




