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毛国王(the prolog version)  作者: 大浜屋左近
第三章 ~華乃都の貴人~
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第95話 セリザワ

「なぁ、爺。あのキムンカムイは何時倒したんだ。冬に来た時には無かったぞ」


「最近じゃ。冬籠りから覚めた熊が里に現れよってのう。わしが行って仕留めて来たんじゃ」


「知夫理の野郎は仕事をせぬのか。カムイホプニレ(神を山に送るの)は、おさの役目じゃろうに」


「知夫理には、熊は殺れぬ。そして、送り方も知らぬ」


「そんな事も出来ぬのに、彼奴あやつは爺を追い出し、長に成ったのか」


せがれは、蝦夷の風習を嫌うて居るのでな。儂が教えても、決して学ぼうとはせぬ。何でも、殺生は成らぬと申してな。そう、仏教とか言う異国の教えを取り入れるのだとか」


「何言ってんだ、彼奴は」


「それと、そもそも、儂は倅に追い出された訳では無い」


「知夫理が爺を里に居られなくしたんじゃねぇか。それは追い出したのも同じだ」


「ピリカよ、時の流れじゃ。若い者達は、山での獣臭い暮らしは好まぬ。しかも米、米は美味い。生まれた時より、あれを喰らうて居れば、栗や椎、樫の実等を喰らう気など起きぬわ」


「吾は好きじゃ」


「其方は変わり者だからな」


「五月蠅せぇ。それより、今度キムンカムイを狩る時は、吾に殺らせてくれ」


「ピリカには無理じゃ。未だ猪すら一人では倒せぬではないか」


「その話はもうよい」

 ピリカは、一瞬、頬を膨らませたが、

「なぁ、猪肉が喰いたい。そいつを捌いて呉れ」

 と、若古に強請(ねだ)った。


「そんなに喰いたいか」

 と言うと、若古は腰の剣を抜いて、腹の所がからと成った猪の皮を剥ぎ始めた。


 若古は、狩った獲物は、即座に心の嚢を破って失血させ、腹を裂いて内臓を取り出して仕舞う。そして、直ぐにその腹が空と成った骸を縄で繋いで川の淵に沈める。だから、若古の狩場は、いつも川の近くだ。迅速な血抜きと肉の冷却の御蔭で、若古の狩った獲物の肉は美味い。一度この味を味わってしまうと、他の者が処理した肉など生臭くて喰えたものでは無かった。


 ピリカもこの味を覚えて居る。


 だから、猪から次々と取り出される色鮮やかな肉塊を見て、喉が鳴った。


「おい、ピリカよ。よだれだけ垂らして、何もせぬ積りか。沢辺に行って芹を好きなだけ摘んで来い。美味い鍋が出来るぞ」


「分かった、爺」

 ピリカは、小屋を飛び出て、沢へ向かった。


 腹が鳴る。ピリカの頭の中では、芹の猪鍋の味が現実味を帯びて甦った。溢れ出る唾液を何度も飲み込んで、ピリカは駆けた。


 沢辺には一面に芹が生えて居た。


「冷て」

 沢に足を入れたピリカは思わず声を上げたが、夢中と成って芹を抜いた。


「あっ、そう言えば、爺は茎が太いのが美味いって言って居たな」

 ピリカは生い茂る芹の根元を掻き分け、太い物だけを選んで摘んだ。

「爺が喜ぶぞ」

「それにしても冷てぇなぁ」

 ピリカの手と足は真っ赤で有った。


 ピリカは、茎の確りとした、良く育った芹を、両手一杯に抱えると、水場を離れ沢岸に上がった。


 ピリカが冷え切った手足を摩って温めていると、突如、山の奥から狼の吼える音が響いた。一頭、二頭、否、もっとだ。吼える声が次々に増す。

「ホロケウか。いやに激しいな。縄張り争いか」

 狼の争う声は、山の静寂を破る騒音で有った。


 すると次は、その騒音が山の中を駆け始め、それに連れ、茂みが揺れ、草木の葉と葉の擦れ合う音が、上へ下へ、右へ左へと響いた。


「おい、おい。まさかこっちには来ねぇよな」


 悪い予感は的中した。沢の奥の茂みが激しく揺れると、狂った様に吼え、入り乱れる狼達が沢岸に現れた。


「三匹」

 一頭の狼を目掛けて、二頭の狼が次々と攻撃を加えた。攻撃を受ける狼は血塗れで有った。

「ひでぇなあ」


「あれ、まだ出てくんのか」

 再び、茂みが揺れ、二頭の狼が出て来た。


「加勢か。否、違うみてぇだな」

 二頭の狼はその場に留まった。


「どうしたんだ」

 一頭の狼は、争う三頭の狼から眼を逸らし、怯えて居た。


「まだ出て来んのか」

 三度、茂みが揺れた。


「子供」

 二頭の子狼が現れ、怯えた狼に身体を擦り付けた。


 怯えた狼は子狼を舐めた。

「母親」


「如何言う事だ。あの傷ついた狼。そして、それを観て怯える狼。そっか、番い(つがい)か、奴等は。と言う事は、あの傷ついた狼は子等の父親と言う事に成るのか。あそこで眺めているだけの狼は何だ。随分と偉そうだな。そっか、頭か。群れの雌にでも手を出したのか」

 ピリカは頭を巡らした。


「それにしても酷でぇ」

 二頭の攻撃は激しさを増し、血塗れの狼は、身体全体で息をして動けなくなった。が、その眼光は衰えては居なかった。


 血塗れの狼は、頭と思しき狼を睨み付けた。


 頭と思しき狼は、その視線を受け止めると、天に向かって大きく吼えた。


 すると、それに応じる様に、攻撃を仕掛けて居た狼の一頭が、血塗れの狼の喉元に噛み付き、激しく首を振った。


 血塗れの狼は抵抗出来ない。


 母親と思しき狼は、震え乍ら悲しき鳴き声を漏らし、目線を背けた。


 二頭の子狼はその場に伏し、唯、唯、震えていた。


 この残酷な光景は如何程続いたので有ろうか。ピリカには酷く長く感じられた。


 そして、この惨劇は、頭と思しき狼の短い吼え声によって終わりを告げた。

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