第3話 イワツボ
形名がピリカに再会したのは、あの理解不能な出会いより、数日の後であった。
(見違えたなぁ。そう言えば、あの日は毛皮姿でぼさぼさ頭だったからなぁ)
「何をしてるの」
形名はピリカに優しく尋ねた。
「はぁ」
ピリカは短く不快感を表した。
「どうしていつも喧嘩腰なの」
形名はもう一度優しく尋ねた。
「分かるだろ。人質だぞ、吾は」
ピリカは苛立った。
(もっともだ)
形名は目の置き場に困り、顔を傾けた。
「何だ、今度はだんまりか。気を使って、吾を和ませても良いのだぞ」
ピリカは笑顔を作って言葉を誘った。
「毛野の飯はどうだった。美味いだろ。米は食べたか。早く毛野にも馴染んで欲しいなぁ」
と、形名は明るく返したが、
「はぁ」
と、ピリカは再び凄んだ。
(また喧嘩腰だ)
形名は顔を曇らせた。
「馴染む訳ないだろ。頭を使え。毛野の主」
ピリカは俯く形名を見つめた。
(どうせ何か尋ねれば、また怒るんだろ)
形名には何も言葉が浮かばなかったが、不意にある事を思い出し、懐を弄った。
「おい。お前。むちゃくちゃ気持ち悪いぞ」
ピリカは噴き出した。形名の癖。形名は思いを巡らす時、舌先で鼻の下を舐め、半笑いで白目を剥きながら、頻回に瞬きをして、空を見上げるのだった。
平素に戻った形名はピリカと目を合わせずに、
「あ、これ、岩壺」
と言って、小さな石をピリカの前に突き出した。
「とっておきのやつ。すっごくいい音がするんだ」
形名は続けた。
(何だこいつ。頭がおかしいのか)
ピリカは突き出された小石を見つめ不思議に思った。
「石など要らぬ。キヌの餓鬼は石塊を集めるのか」
ピリカは突き出された形名の手を払った。
形名の指先を離れた小石は地面にぶつかり、ジリリッと心地良い音を奏でて転がった。
ピリカには初めての音色であった。
「何だ、その石塊。転がすと音がするのか」
ピリカは興味を示し、形名に尋ねた。
「石塊じゃない。岩壺って言うんだ。葦の根元に生えているんだよ」
形名はピリカが興味を示した事に喜んだ。
「道奥にこれはないのか」
形名は続けた。
「道奥って」
ピリカは怪訝そうに返した。
「アペの土地だよ」
形名は、知らぬのか、とでも言う様に返した。
「ウタリモシリの事を言うて居るのだな。其方等は吾らの土地を道の奥と呼ぶか。酷い言い様だ。アペの地ぐらいには言えんのか」
ピリカに見据えられた形名は、また地面へ目を向けた。
「まあ良い。吾らの地に、この様に美しい音を奏でる石などない。何処にあるのだ。吾も一つ欲しい」
ピリカは大きな瞳を輝かせて強請った。
(ピリカは可愛い)
形名は出会った時から、うっすらとは思っていたのだが、この時、その可愛いらしさを確信した。
「鍛冶場の倉庫に山程積んである。取りに行こう」
形名は心を弾ませピリカを誘った。
形名は鍛冶場の棟梁夫妻が大好きであった。
鍛冶場の棟梁の名は乙鋤。形名の父、池邊が洲羽より招いた腕利きの鍛冶であった。妻の名は美杢。形名の母、清香の妹であった。洲羽と毛野は祖を一にする同族で、古きより婚儀を重ね、その関係を保って来た。
洲羽一族は、オオナムチの子「タケミナカタ」を神とし、良質な鉄を鍛え、様々な道具を作り出すのが得意であった。毛野の製鉄技術は洲羽より齎されたもので、代々、洲羽の一族が毛野の鍛冶棟梁を受け継いで来た。
形名は自らの生と引き換えに、母の命を喪った。池邉は、毛野の主としての役務を熟しながら、懸命に、形名を育てた。父なりに。当然、母の如く、日々、形名の傍らに寄り添う事などは出来るはずもなかった。
池邊が寄り添えぬ時、形名は乙鋤の家に預けられた。母の温もりを知らぬ形名を、美杢は、姉に与えられた様に、愛した。美杢は形名に姉の面影を感じていた。
父の死後、形名が乙鋤の館を訪れる事はなくなった。
後見として館に入った和気は、即座に、形名に対する主教育を開始した。形名は館を出る事を許されず、日なか、倭風の振舞い、作法、儀礼、出立ちを学ばされた。
「ピリカ、今夜、日が暮れたら館を抜け出そう」
形名は鍛冶棟梁の元へ行く覚悟を決めた。