第26話 アオヒメ
「行けるか、亀」
「休み過ぎて、身体が鈍ってんな」
と亀は首と腕を回した。
「早く行きましょう。斐殿が待っていますよ」
一行は宿を発った。
「大丈夫か」
馬に跨る亀を眺め、兎が問うた。
「斬られた腕は、まだちっと痛てぇし、力も完全には入んねぇな。あぁ、何か、思い出したら腹が立ってきた。今度あの賊頭に会ったら、必ず斬ってやる」
「もう、止めてよ。斬るとか、斬らないとか」
「そいやぁ、形名。おめぇの剣技は、俺らの父上殿に習ってんだろ。あの技は何だ。俺らも父上殿に習ってんだけど、あの技は知らねぇよ」
「技って」
「形名が賊頭に斬り掛かった時の技だよ」
「僕、能く覚えて無いんだ」
「そんな訳ねぇだろ」
気持ち良い程に空は澄み渡り、温かい日差しが一面の緑を照らし、穏やかな風が漢人の集落へ向かう一行の肌を撫ぜた。
「形名殿。あそこです」
「変わった建物が沢山在りますね」
形名は興味を示した。
一行が馬を下りて寺の門を潜り、中へ入って声を掛けると、本堂から斐が出てきた。
「待ち兼ねたぞ」
「亀がすっかり何時も通りに成りまして、斐殿の指示に従って養生を行ったのですが、愚図は治らぬ様です」
「流石に傷寒雑病論にも愚図の療治は載って居らぬ。ところで、甕依殿、如何じゃ、身体は」
「身体の張りは日に日に良く成って居りますが、腕の方が」
「腕は暫く掛かる。身体と共に、徐々に、徐々に、動かして慣らして行かねばな」
すると本堂の奥から、
「おーい、非文。何をして居る」
と女の子が斐を呼んだ。
「碧姫様。形名殿、菟道殿、甕依殿が御着きに成りました」
斐が答えると、本堂の中から、青野の幼き姫、碧が顔を覗かせた。
「非文、童は行かぬぞ」
「碧姫様、何時までもここに居続ける訳には参りませね」
「嫌だ。童を捨てた父上の元になど帰るものか」
「国と国とが結び付くのに、子供を相手国へ送るのは古よりの慣わし。御父上様は碧姫様を捨ててなど居りませぬ」
「非文。御主は首を切られ掛けた事が有るのか」
「有りませぬが」
二人の会話に、形名等は呆気に取られた。
「斐殿。そちらが青野の御姫様で」
兎が尋ねた。
「そうじゃ。酷く拗ねて居ってのう」
「拗ねて居るのでは無い」
「分かりました。少しお話をしましょう」
と斐は碧を宥めると、
「皆様方は中へ入って下され」
と、一行を本堂に入る様に促した。
「嫌だ。お前らは帰れ」
碧は本堂の入り口で大の字となり、一行の侵入を拒んだ。
「のう。御姫様。我等は帰っても良いのですよ。でも、本当に其れで宜しいのですか。もう既に、姫様を探す衛兵が刀支の里に入って居ります。この寺に衛兵が訪れる日も近いのですよ」
「五月蝿い。嫌だ。帰れ」
しゃがみ込んで碧に目線を合わせて、優しく話しかける兎が困っていると、
「姫様」
と斐は後ろから碧を抱え上げると、一行を本堂の中へ入れ、周囲を注意深く確認して扉を閉めた。
「菟道殿の言う通り、数日の内に、各務野の衛兵がここへ姫を探しに来る。其れ故、即刻、姫をここから連れ出して欲しいのじゃ」
碧を膝の上に置いて、動かぬ様に抱き抱える斐が頭を下げた。
「嫌だ」
と碧が愚図るので、斐は碧の口を塞いだ。
すると、突然、斐は、
「痛っ」
と叫びながら手を振って、
「碧姫様。ここで捕まって、私共々、死にたいのですか」
と碧を諭した。
「嫌だ」
「そうですよね。碧姫様。折角、各務野を逃げ出し、生き延びたのに、ここで捕まって死にたい訳が無い。逃げますよね。ですから、即刻、こちらの方々とお逃げに成って頂きたいのです」
碧は黙って俯いた。
「それでは、皆様、どうか碧姫様を宜しく頼みます」
それに形名が応え、
「碧姫様、宜しくお願いします」
と頭を下げると、
「おい、ちび、名は何と申す」
と碧が形名に向かって指を刺した。
「碧姫様」
斐は諌めたが、形名は意に介さず、
「形名と申します。宜しくお願いします」
と再び頭を下げた。
「其処の御主」
碧は兎を指刺した。
「菟道に御座います」
兎は形名に倣った。
「おい、其処の太いの」
と斐は亀に頭を下げると、碧の腰の辺りを抱え、
「喝」
と叫んで、碧の尻を一つ叩いた。
「痛い」
と碧は叫び、大声で泣き出した。
「碧姫様。彼等はこれから其方を無事に青野へ送り届けて呉れる恩人ですぞ、其れなのに、何故其の様な態度を取るのです」
碧は泣き喚いた。
「ねぇ、ねぇ、碧姫様。我等は貴方の家来に成ります。ですから、機嫌を直して頂けませんか」
形名が碧に話し掛けた。
「形名。俺は嫌だぞ、そんな姫」
「形名殿。私も、我慢が成りませぬ」
亀と兎には、形名の意図が分からなかった。
「碧姫様。如何して私を家来にして呉れ無いのですか。家来を連れて青野に帰るなんて、格好良いと思いませんか」
涙目の碧は決まり悪そうに形名を覗い、
「童の家来に成るのか」
と鼻声で尋ねた。
「はい」
「本当か」
「ですから、早速、お供を連れて、青野へ帰りましょう」
兎と亀は呆れ顔で、二人の遣り取りを眺めていた。
「済まぬ。形名殿」
斐は頭を下げた。
「いえ、いえ、亀の命の恩人ですから」
形名は、亀に笑顔を送った。
「斐殿。申し訳御座いません。危うく、碌で無しに成る所でした」
冷静と成った亀は斐に頭を下げた。
「それでは、早速、皆様は加尓の里に向かって下され。里に入れば、漢人の仲間が次の手配をして居る」
「では、碧姫様。御指図を」
と形名が促すと、
「皆の者、加尓へ向かうぞ」
未だ鼻声の碧が、拳を突き上げ下知を下した。




