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文豪と刀剣と  作者: 諸橋カムイ
【第二章 姑獲鳥(バシリスク)】
8/8

「「に、(にわとり)ッ⁉︎」」


頭の上で揺れる朱色(あけいろ)のとさか、くちばしの下で震える緋色(ひいろ)のひげ、そして金之助(きんのすけ)(のぼる)を見すえる深紅の双瞳(りょうめ)


まぎれもなくそれは鶏───雄鶏(おんどり)であった。ただし、その大きさは庭を走るそれの何十倍。


───コケケケケケケケッ!


巨大鶏は叫び、両の翼を広げた。左右の障子が破れ、へし折れ、弾け飛ぶ。


「なんじゃこりゃ!」


升は叫ぶ。人間の身の丈を越す鶏など彼の常識の範疇外(そと)である。


───が、あの夜、まじまじと刀を振るう鬼の姿を見せつけられた後からは「これは夢だ幻だ!」で片づけることをやめた。


どんなに奇妙、奇天烈、奇々怪々なことでも一度は現実として受け止めよう───そんな考えかたをすることに決めた。


そして「とんでもない現実」を目の当たりにした升の答えは、


「逃げる!」


一択即決。


「金之助、逃げるぞ!」


そう、かたわらにいる友に声を飛ばす───が、返事が戻ってこない。


「お、おい、金之助⁉︎」


「……」


目の前の巨大鶏の動きを意識しつつ、升は金之助を見て───そして、凍りつく。


金之助は石の像と化していた。


いままで息をして動いていた金之助の、髪の毛の一本一本、着物のしわのひとつひとつ、その微細(こまか)なところまで、精巧緻密に作り上げられた灰色の像がそこにあった。


石像の金之助の表情は、眉を吊り上げ、目を見ひらき、唇からは今にも驚愕の声が飛び出さんばかり。


「き、金之助!」


驚いて石像に触れようとした升に、化鳥ごしから声が投げつけられた。


「さわっちゃダメ!」


「……え、えぇぇっ!」


あわてて伸ばした手を引っ込める升に、さらに少年からの声が届く。


「目をつむって! じゃないと石化の呪いかけられちゃうよ!」



───金之助が石像と化す、ほんの数分前。


國男(くにお)寅彦(とらひこ)愛々堂(あいあいどう)の裏手、住居側の入口にいた。


こんにちは、と少年たちは声をあわせて宅人を呼ぶ。


「はーい!」


家の内から声が帰ってきた。出迎えを待っているその時、


───シャー、シャー、シャー!


ふたり背後に「ひとならぬ者」の気配を感じて、


「うわっっ!」


國男と


「ひやっっっ!」


寅彦はふりむくことなく横っ飛びに地面に転がる。


いくつもの颶風(ぐふう)が生じた。


───それを巻き起こしたものの正体は、無数の蛇の首であった。


軒先から十匹以上の蛇───大人の拳ほどの頭を持つそれらが、牙列(がれつ)むき出し、一斉に國男と寅彦のうなじに喰らいつこうとした。


(あやかし)ッ!」


地面を転がり、片ひざ立ちになった時には國男は懐の薬研藤四郎(やげんといしろう)を抜き放ち、両手でかまえていた。


寅彦も起きあがり、背に結っていた厚藤四郎(あつしとうしろう)を抜こうとした───が、抜けなかった。


「ありゃ⁉︎」


右手を背にまわし柄をにぎることはできたのだが引き出せない。


たるみを作らずぴっちりと背中にくっつくようにきつくむすび止めたので、刀身を抜くことができない。


「ちょっと、何やってんの寅ちゃん!」


もたつく寅彦のもとへ駆け寄ろうとするが、初撃をかわされた蛇たちは國男の腕二本分はあろう太い身を伸ばして襲いくる。


頭に、首に、肩に、腕に、喰らいつこうとかっとあぎとを開いて國男に迫る。


「来んなッ!」


迫る蛇頭(じゃとう)をかわし、國男(くにお)はその首に薬研藤四郎(やげんとうしろう)白刃()を叩きつける。


───名刀工、粟田口吉光(あわたぐちよしみつ)(きた)えし刀身(やいば)。大蛇の鱗を、肉を、骨を、紙を切るがごとく断ち斬り落とす。


「はッ! はッ!」


國男が短い声を発する数と蛇の首が飛ぶ数はぴったり同じであった。


右に左に刀光がひらめき、宙を飛んだ首は地に落ちる前に石化し、砂化(さか)して消えいる───だが、胴の方の切口が蠢動(しゅんどう)したかと思うと、またたく間に頭が再生していく。


しかも、


───シャー、シャー!


───シャー、シャー!


……ふたつ。


───シャー、シャー!


───シャー、シャー!


───シャー、シャー!


───シャー、シャー!


いまや蛇の頭は二十を超えていた。


「……ヒュドラ⁉︎」


國男は(あやかし)の名を叫ぶ。


───バゴォォォォォォーン!


家の中から轟音があがり、玄関から白い「何か」が吹き出し、國男と寅彦(とらひこ)にかかる。


「……!」


頰に貼りついた「それ」を國男は手に取る。まぎれもなく白い羽毛であった。


ふたりの少年は玄関から中をのぞく。


「羽根?」


───コケケケケケケケッ!


巨大な鶏が床を撃ち抜いて屋内に現れていた。その尻から伸びた、のたうつ無数の長大な影───ふたりを襲ったのと同じ大蛇であった。


「コカトリスだったか!」


正体を現した妖の名を國男はまた叫ぶ。


しかし寅彦がすぐにそれを否定。


「……國さん、違う……あれは……バシリスクだ!」


寅彦は怪鳥(けちょう)の先に石像と化した青年───金之助(きんのすけ)の姿を見たのだ。



時をもとに戻す───


「こんな状況で目をつむるなんてムリ!」


(のぼる)は絶叫すると、


───コケッコッココココココーッ!


巨大な雄鶏(おんどり)───バシリスクも黄色く濁ったくちばしを天井に向け、咆哮(ほうこう)。壁や柱や(はり)がビリビリ震え、今にも倒壊しそうである。


「……どうする、どうする、どうする!」


升は焦る。逃げ出したい、いますぐに。全速力でこの場から離れたい───だが……昏倒(きぜつ)している成行(しげゆき)と、まったく信じられない、目を疑いたくなることだが───石像と化してしまった金之助を放っておくわけにはいかない。


ぎりっと奥歯を噛む升。


───と、バシリスクの股の間をするりと抜けて、


「こんちわっ!」


彼の前に丸刈り頭の子ども───寅彦(とらひこ)が現れる。


「わっ!」


本日もう何度目かの驚きの声をあげた升を無視して、


「あらぁ、本当に人が石になっちゃうんだ!」


石像の金之助を見つめる。


徳富(とくとみ)先生からもらった本のとおり!」


興味津々、両目を見開き輝かせながらまじまじ石化した金之助を見回す。


「おい、ガキ!」


升、瞬時に血が沸騰した。寅彦の後ろえりをひっぱり吊るしあげる。石に姿を変えてしまった友をはずかしめられている気がして許せなかった。


「國さん、あと三十秒で倒して!」


頭から怒気立ち昇らせている升を無視して、寅彦はバシリスク越しに國男(くにお)に言う。


「無茶言わないで!」


切羽詰まった声が返ってくる。


國男には無数の大蛇が群がっていた。斬れば斬るほど蛇の頭は増えていくばかり。それでも刀を振るわなけばならない。攻撃のためではなく防御のために。


「國さん、あと十五秒!」


「おい、あと何秒かで、あんなバケモノ殺せるのかよ!」


升は目をむき、顔を紅潮させ怒鳴る。


自分より年下の少年たちだ。たとえふたりがかりでも、とてもじゃないがあの巨体を(ほふ)ることができるとは思えない。


「いや、やらなきゃ! はい、あと十秒! はやくあいつやっつけて呪いを解かないと、このお兄ちゃん死んじゃうよ。砂になっちゃう!」


寅彦はもの言わぬ姿になった金之助を指さす。


「……呪い? 死? 砂?」


非現実な言葉の連続に、(のぼる)は頭の芯が白くなりかかる。


鼻で笑い飛ばそうとしたのをすんでのところでおしとどめたのは寅彦(とらひこ)の言葉。それが本当ならこのままだと金之助(きんのすけ)が───東京でできた初めての友人……いや、升の人生ではじめて心を許すことができる人間をいままさに目の前で失う、その恐怖感がわいたからである。


「大丈夫、この厚藤四郎(あつしとうしろう)さえあれば、あんなやつ、チョチョイのチョイさ!」


赤から青、そして白から、もはや透明になるのではないかと思えるほど急速に顔色を失う升に寅彦ははじけるような明るさで答える。


手を伸ばし、背に負った名刀を抜こうとする───が、やはり引き出せない。何度か繰り返すがやはり抜刀できなかった。


「かせッ!」


升は寅彦の手を払いのけると厚藤四郎の柄をにぎり、鞘から抜く。


───キィィィィィィィィィィン!


白刃が鳴く。


寅彦を床に放り投げ、バシリスクへ向きなおり、にらむ。


「あと三秒だっけ? 充分だな!」


何かに()かれたように半眼になり、口の端に薄ら笑いを浮かべた升。


「このチキン野郎、ゴーゴーヘルだ!」


叫びながらバシリスクへ斬りかかる。


……若き日の正岡子規(しき)、帝国大学在学中、英語はいつも落第点であった。


「いくぞ、ゴラァ!」


寅彦の背から抜いた短刀───厚藤四郎をにぎりしめ、巨大鶏(バシリス)のその血の色をした目をにらみつけて升は喝声(かっせい)をあげる。


いざ斬りかからんと、一気に踏み出す───ことができなかった。


「……!」


……両足が石になっていた。


(すね)(ひざ)太腿(ふともも)、腰、腹、胸、肩……


「ちょ、まっ!」


石化の波は一気に頭頂(あたま)まで達する。


「……!」


金之助と同じように升も驚愕(きょうがく)の表情のまま塑像(そぞう)となった。


「あっちゃぁ〜、ヤツの目を見ちゃダメでしょ!」


手の平でピシャリと自分の顔を叩く寅彦。


バシリスクにはにらんだものを一瞬で石化させる呪いの力がある───そう徳富(とくとみ)先生から渡された本に記されていた。


「だっからぁ、目をつむれっていったのに、この鳥頭(とりあたま)!」


───コケッコココココココココッ!


寅彦のあきれ声を聞いて、バシリスクは勝鬨(かちどき)のように翼を広げ、ひときわ大きく鳴いた。


ビリビリと世界が揺らぐ。


痺れる鼓膜に寅彦は顔をしかめると、


「ちくしょう!」


バシリスクの股下へ頭から飛び込む。


ぐるぐると前転しながら寅彦は國男(くにお)の元に戻った。


「何やってんの!」


起きあがった寅彦の尻に食らいつこうと牙を伸ばしてきた大蛇の頭を、手にした短刀───薬研藤四郎(やげんとうしろう)で切り落としながら國男は叫ぶ。


「早く刀抜い……てるね……って、あれ? 厚藤四郎は?」


「……石になっちゃった」


ぼそりとつぶやくと寅彦はささっと國男の背中にくっついた。


───シャーシャーシャーシャー!


蛇たちは新しい獲物の登場に鎌首もたげ歓喜の声をあげた。次の瞬間、一斉にふたりの子どもを襲う。


「……ち、ちょっと、離してよ!」


寅彦(とらひこ)が着物を強くにぎるので國男(くにお)は刀を振るうこと、おもうに任せられない。無数の蛇頭を追い払うことが精一杯であった。


───コケッケケケケケケッ!


雄叫(おたけ)びをあげ、壁を壊しながら、妖鳥はふたりの方へ振り返る。


「やっばぁ〜い!」


バシリスクの目線を避けなければならない。叫びながら寅彦は顔を國男の背中に押しつける。


「……」


國男は緊張にからだを硬くする。


───と、


「たららららら〜ん♪」


少女の歌声が崩れかけた家屋に響き、


「ルルルルルルルルン♪」


楽しげな音曲(メロディ)を口ずさみ、現れたピンクと白の洋装少女───(ほう)ショウ。


「ショウちゃん!」


「な……ツッ!」


───ボスッ!


なんでここに? と國夫が発する前に、彼女が抱きかかえていた大きな熊のぬいぐるみを顔面に投げつけられ言葉を飲み込む。


「あ、危ないよッ!」


國男の後ろから顔を出して寅彦は叫ぶ。


───が、それが聞こえているのか、いないのか、


「ふふふふん♪」


バシリスクの前に鼻唄交じりでショウは立った。


––––ケケケケケケケケケケケケッコー!


怪鳥は喜悦(よろこび)の声をあげる。またまた、新たな獲物が現れたことに。


目を見開き、石化の呪いをかけんとした───まさにその時、ショウの手から発せられたふたつの銀光が宙を走る。


吸い寄せられるようにその光はバシリスクの双瞳(そうとう)へと一直線に向かい───そして、突き立った。


───ギゲゲゲゲゲゲッッッ!


聞くに堪えない濁音だらけの奇声を発しながらのけぞる(あやかし)


「……!」


ぬいぐるみがぶつかって赤くなった鼻を押さえながら國男は見た───バシリスクの両目それぞれに短刀が深々突き刺さっているのを。


「すごい、ショウちゃん!」


寅彦は國男の背中から飛び出し、喝采。


ショウは、両腰に(はい)した短刀を抜くが早いか、バシリスクの両目に向かって投げつけ、あやまたまずふたつの刃は化鳥の妖眼を射ったのだった。


「あああああっ!」


寅彦、また声をあげる───今度は絶叫。


「……クゥ」


ショウが床に倒れてしまったのだ。


巻き髪を揺らしながら、ドレスのすそをはためかせながら、糸が切れたあやつり人形のように、ことり、と静かに崩れ落ちる。


「───助けなきゃ!」


國男と寅彦が踏み出したとき、大きな影が風をはらんでふたりの脇を素早く駆け抜けていく。

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