二
「ちょっと、俺も行く」
覆いかぶさった無数の本をはらいのけ、升もふたりの後を追う。
───だが、部屋を出たところで、廊下の真ん中で突っ立っている成行の、その断崖のようにごつごつとした背中にぶつかる。
「うわっ、何やってるの!」
したたか打った鼻をおさえ、成行の横をすり抜けようとした升は、
「まてっ!」
丸太のような腕でさえぎわられる。
「え? ……えぇっ⁉︎」
とめられたことに声をあげ、とめられた理由にさらに大きな声をあげた。
廊下に───大蛇がいた。
───シャー、シャー、シャー!
鎌首持ちあげ、赤く長い舌をチロチロ動かしていた。その胴まわり、升の太ももほどもある。
「……飼っている、わけではないよね?」
「まさか!」
苦笑交じりに否定すると升に「見ろ」とあごで廊下の先を指す。大きな穴が開いていた。そこから大蛇の体が伸びている。
「どうする?」
との金之助の問いに、
「部屋に戻って外に出る。警察を呼ぼう」
成行はこたえる。三人視線は大蛇のまま後ずさった。
───と、その時、大蛇が動いた。
───シャァァァ!
カッと鋭い牙列をむき出し、飛びかかってきた。
獰猛なあぎとが先頭の成行に食らいつく───まさにその寸前、
「ふんぬ!」
成行は両手で大蛇の首を押さえた。
───シャァァァ!
大蛇は食らいつこうともがくが、成行の怪力がそうはさせじとギリギリつるし上げる。
「はっ!」
短い気合とともに素早く身をさばいて大蛇の首を右わきに抱えこむ。そしてグイグイと締めあげた。
───シャシャシャシャ!
身をよじり、激しく抵抗する大蛇。
「おらおらおら!」
両足を踏んばりガッチリ押さえこんだ成行はさらに腕に力を込めた。腕と胸の筋肉が膨張し、無数の筋と血管が浮かびあがる。
このまま大蛇の首をへし折る段になった時、
───コォケケケケケケケッ!
異声が響いた。
と、同時に、床板が膨れあがり───破裂した。
「な、な、な、なんだ⁉︎」
升たちの眼前が一瞬で真っ白になる。
「羽?」
と、金之助。彼らの視界を覆っていたのは、ゆらり宙を舞う羽毛であった。
───コケケケケッッ!
廊下の床板をつらぬき、天井にぶちあたってそこに現れたのは、巨大な鶏───深紅のトサカを持った雄鶏であった。
「……あっ!」
突然床を突きやぶり、土煙あげて出現した自分の身丈の倍はあろう巨大な鶏に唖然とした成行の、その腕がゆるんだ。それを逃さじと大蛇はスルリと頭を抜く。
そして首を大きくり振りかぶり、成行に叩きつける。
巨体はたやすく宙に浮いて吹っ飛び、
「くぐっ!」
壁に激しく身体を打ちつける。短くうめいて彼は昏倒した。
反撃を終えた大蛇はシュルシュルと鶏の下へと逃げる。
───シャー、シャー、シャー!
───シャー、シャー、シャー!
───シャー、シャー、シャー!
巨大鶏の尾はうごめく無数の大蛇でできていた。
「……な、なんなんだよ、コイツ!」
異様な光景に金之助は声を失い、升は声を震わせる。
───コケケケケケケケッ!
巨大鶏は勝ち誇った雄叫びをあげた。
「「に、鶏ッ⁉︎」」
頭の上で揺れる朱色のとさか、くちばしの下で震える緋色のひげ、そして金之助と升を見すえる深紅の双瞳。
まぎれもなくそれは鶏───雄鶏であった。ただし、その大きさは庭を走るそれの何十倍。
───コケケケケケケケッ!
巨大鶏は叫び、両の翼を広げた。左右の障子が破れ、へし折れ、弾け飛ぶ。
「なんじゃこりゃ!」
升は叫ぶ。人間の身の丈を越す鶏など彼の常識の範疇外である。
───が、あの夜、まじまじと刀を振るう鬼の姿を見せつけられた後からは「これは夢だ幻だ!」で片づけることをやめた。
どんなに奇妙、奇天烈、奇々怪々なことでも一度は現実として受け止めよう───そんな考えかたをすることに決めた。
そして「とんでもない現実」を目の当たりにした升の答えは、
「逃げる!」
一択即決。
「金之助、逃げるぞ!」
そう、かたわらにいる友に声を飛ばす───が、返事が戻ってこない。
「お、おい、金之助⁉︎」
「……」
目の前の巨大鶏の動きを意識しつつ、升は金之助を見て───そして、凍りつく。
金之助は石の像と化していた。
いままで息をして動いていた金之助の、髪の毛の一本一本、着物のしわのひとつひとつ、その微細なところまで、精巧緻密に作り上げられた灰色の像がそこにあった。
石像の金之助の表情は、眉を吊り上げ、目を見ひらき、唇からは今にも驚愕の声が飛び出さんばかり。
「き、金之助!」
驚いて石像に触れようとした升に、化鳥ごしから声が投げつけられた。
「さわっちゃダメ!」
「……え、えぇぇっ!」
あわてて伸ばした手を引っ込める升に、さらに少年からの声が届く。
「目をつむって! じゃないと石化の呪いかけられちゃうよ!」
───金之助が石像と化す、ほんの数分前。
國男と寅彦は愛々堂の裏手、住居側の入口にいた。
こんにちは、と少年たちは声をあわせて宅人を呼ぶ。
「はーい!」
家の内から声が帰ってきた。出迎えを待っているその時、
───シャー、シャー、シャー!
ふたり背後に「ひとならぬ者」の気配を感じて、
「うわっっ!」
國男と
「ひやっっっ!」
寅彦はふりむくことなく横っ飛びに地面に転がる。
いくつもの颶風が生じた。
───それを巻き起こしたものの正体は、無数の蛇の首であった。
軒先から十匹以上の蛇───大人の拳ほどの頭を持つそれらが、牙列むき出し、一斉に國男と寅彦のうなじに喰らいつこうとした。
「妖ッ!」
地面を転がり、片ひざ立ちになった時には國男は懐の薬研藤四郎を抜き放ち、両手でかまえていた。
寅彦も起きあがり、背に結っていた厚藤四郎を抜こうとした───が、抜けなかった。
「ありゃ⁉」
右手を背にまわし柄をにぎることはできたのだが引き出せない。
たるみを作らずぴっちりと背中にくっつくようにきつくむすび止めたので、刀身を抜くことができない。
「ちょっと、何やってんの寅ちゃん!」
もたつく寅彦のもとへ駆け寄ろうとするが、初撃をかわされた蛇たちは國男の腕二本分はあろう太い身を伸ばして襲いくる。
頭に、首に、肩に、腕に、喰らいつこうとかっとあぎとを開いて國男に迫る。
「来んなッ!」
迫る蛇頭をかわし、國男はその首に薬研藤四郎の白刃を叩きつける。
───名刀工、粟田口吉光が鍛えし刀身。大蛇の鱗を、肉を、骨を、紙を切るがごとく断ち斬り落とす。
「はッ! はッ!」
國男が短い声を発する数と蛇の首が飛ぶ数はぴったり同じであった。
右に左に刀光がひらめき、宙を飛んだ首は地に落ちる前に石化し、砂化して消えいる───だが、胴の方の切口が蠢動したかと思うと、またたく間に頭が再生していく。
しかも、
───シャー、シャー!
───シャー、シャー!
……ふたつ。
───シャー、シャー!
───シャー、シャー!
───シャー、シャー!
───シャー、シャー!
いまや蛇の頭は二十を超えていた。
「……ヒュドラ⁉」
國男は妖の名を叫ぶ。
───バゴォォォォォォーン!
家の中から轟音があがり、玄関から白い「何か」が吹き出し、國男と寅彦にかかる。
「……!」
頰に貼りついた「それ」を國男は手に取る。まぎれもなく白い羽毛であった。
ふたりの少年は玄関から中をのぞく。
「羽根?」
───コケケケケケケケッ!
巨大な鶏が床を撃ち抜いて屋内に現れていた。その尻から伸びた、のたうつ無数の長大な影───ふたりを襲ったのと同じ大蛇であった。
「コカトリスだったか!」
正体を現した妖の名を國男はまた叫ぶ。
しかし寅彦がすぐにそれを否定。
「……國さん、違う……あれは……バシリスクだ!」
寅彦は怪鳥の先に石像と化した青年───金之助の姿を見たのだ。