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文豪と刀剣と  作者: 諸橋カムイ
【第一章 浅草寺の異人】
5/8

藤原正真(ふじわらまさざね)作、天下三名槍と言われるこの『蜻蛉(とんぼ)切り』とやり合えるとは……」


栄子(えいこ)はうなる。


「わが祖、前田慶次(まえだけいじ)得物(えもの)皆朱槍(かいしゅのやり)』は伊達じゃない!」


(きん)はそう叫びながら柄に力を込める。


前田慶次郎利益(とします)───加賀百万石の祖、前田又左衛門利家まえだまたざえもんとしいえの甥。


若い頃から弓馬はもとより武芸十八般に精通し、数多くの戦場でその名をはせた益荒男(ますらお)でありながら、和漢の古典を解し、諸芸に通じ、連歌師里村紹巴(さとむらしょうは)、利休七哲古田織部(ふるたおりべ)ら文化人と親交深い風流人。


赤や金の羽織はかまに虎の皮や孔雀の羽根で飾りたてた奇抜な出で立ちで京の大路を闊歩(かっぽ)


派手好きな太閤秀吉からも「むこう何方(どこ)にてなりとも、心ままにかぶき候へ」という「傾奇御免状(かぶきごめんじょう)」を出されたほどの傑物である。


その慶次郎が合戦にて無数の首級をあげた得物が、柄を辰砂(しんしゃ)で深い赤色に染め上げた「皆朱槍」。


山形鶴岡の錦の生家はその慶次郎の子孫であり、皆朱槍は「伝家の宝刀」ならぬ「伝家の宝槍」と三百年代々伝わってきたものである。


「おらおらおらッ!」


その皆朱槍を小枝を扱うがごとく、軽々と頭の上で車輪のように振りまわし、風を巻き起こす───


「くらえッ!」


生み出した旋風を槍身にからませるように、錦は目にも止まらぬ刺突を栄子に繰り出す。


「だから甘いってんだよ、かぶきもん!」


本多平八郎忠勝ほんだへいはちろうただかつ───徳川十六神将、徳川四天王、徳川三傑に数えられる神君徳川家康の功臣。


五十余の合戦にいどみながら生涯一度もその身に傷を負うことがなかった豪傑で、神がかり的ないくさ働きに織田信長、豊臣秀吉をはじめ、敵であった武田信玄にも賞賛された。


その彼が手にしていた一尺四寸の笹穂大身槍(ささほだいしんそう)が「蜻蛉切り」。


穂先に止まったとんぼが刹那(せつな)ふたつに切り落ちた、というのがその名の由来で、「蜻蛉が出れば、敵は蜘蛛の子散らし」と持ち主の忠勝ともど世に歌われた存在であった。


この蜻蛉切、同じものが二本あり、内一本は忠勝晩年、体力の衰えのため思うに振るえないからとその柄を三尺ほどつめた。残りの一本を、刀剣蒐集(とうけんしゅうしゅう)の趣味を持つ木村荘平(きむらそうへい)が手に入れ、その娘の栄子がいま手にしていた。


錦が突き出してきた皆朱槍の切っ先を首を(かし)げ、身をひるがえし、すんでのところですべてかわす栄子は蜻蛉切を振り上げ、打ち下ろす。


槍の長さは通常一丈五尺(4.5メートル)と言われているが、錦のにぎる皆朱槍も、栄子の振るう蜻蛉切も、二丈(6メートル)をゆうに超えていた。


「「うりゃゃゃっ!」」


お互いにその長槍を繰り出し、はじき返す。火花が弾け、金属の打ち合う音が響く。


お互い裂帛(れっぱく)の気合いを込めて鋭鋒(えいほう)突き込むが、そのつど(ふせ)がれ服を割いてすり傷すら負わせることができないでいた。


やがてふたりの周囲には野次馬たちの壁が形成されはじめていた。さもあらん、十代のうら若い洋装とお召し(はかま)の少女が、喝声(かっせい)罵声(ばせい)をあげながら、長大な槍を振るっているのである。目立たないわけがない。


(きん)は叫ぶ。


「ち、ちょと、あぶない!」


なんだ、なんだと浅草寺(せんそうじ)に参拝する者、済ませた者、それらの人たちが足を止め、人だかりがふくらみ、少女ふたりを取り囲む輪は縮まって、いまや見物人に槍の先がふれてしまいそうであった。


「お嬢、場所を移すよ!」


栄子(えいこ)蜻蛉切(とんぼぎ)りを大地に突き立てると、まるでリスのようにするすると柄を登り、石突きの上で───なんとぴょんと逆立ちになる。


柄の先をつかみ、頭を下に両足をピーンと天に向かって伸ばす。出初(でぞめ)の火消しか、見世物屋の曲芸師か、栄子のみごとな軽業に地上から拍手が沸く。


───と、ぐらりと栄子の身体が右に大きく(かたむ)く。蜻蛉切りの柄がしなり、ミシリミシリと音をたてる。


───すわ、倒れるか⁉


見物人たちは悲鳴をあげる。


「ほいさ!」


短い言葉を発して、栄子は両足振る。すると柄は戻り、ふたたび垂直に───は、ならず今度は勢いあまって身体は左へ。


───次こそ倒れて、地面にぶつかる!


また観衆がどよめく。


が、倒れない。


また右へと戻る。


振り子のごとく揺れる栄子。


速度も振り幅も、野次馬たちの心臓の音も最高潮になったところで───


「とぉうっ!」


栄子は飛んだ。


宙を舞う彼女の手にはしっかり蜻蛉切りが握られている。


「はい、っと!」


反動を使って飛び上がった栄子は露店の屋根へと着地した。


息を飲んで見守っていた地上の人々が爆発したように拍手と歓声をあげる。


栄子は芝居小屋の役者のように大仰(おおぎょう)に身を折り、頭を下げて一礼。


そして顔をあげると今度はくるりみなに背を向け───その小さなおしりを突き出し、みずからペンペンと平手で叩いた。


「うっきっきぃ!」


くるり振り向いた栄子は右手で頭を、槍を脇にはさんだ左手で胸をかいて、猿のまねをした。


眼下の観衆はどっと沸く。人の身さばきとは思えぬ動きのあとに、猿まねである。ウケないはずはない。


「……むぐぐぐ」


錦は満面(あけ)に染めた。馬鹿にされているからである。


ただからかわれているわけではない。


錦の先祖、前田慶次郎(まえだけいじろう)にはこんな逸話がある。


小田原の陣、大阪城、伏見御殿、諸説あるが、太閤秀吉が諸国の大名を招いて(うたげ)(もよお)した際のこと、末席にいた慶次郎は芸を披露せよと秀吉に言われた。


───もののふをつかまえて芸をせよとは!


ここは武士の一分(いちぶん)、慶次郎はこともあろうに猿のお面をつけ、扇ふりふり猿舞を披露した。


猿面冠者(さるめんかんじゃ)」と嘲笑される秀吉へ堂々真っ向からの挑発であった。


───が、そこは天下人秀吉。慶次郎のイタズラをにこにこ笑って受け流し、賞賛して褒美を与えたという。


それを知っていて慶次郎の子孫である自分を小馬鹿にした、と錦は思った。


「くっそぉ……」


錦は屈辱に下唇を噛む。


と、栄子は猿真似をやめ、


「ついてこいよ!」


露店の屋根を走りだす。


「チッ! 」


錦は舌を打ち鳴らすと、


「どいてどいて!」


人壁を突き破り、栄子と並行して浅草寺へとのびる道を疾駆した。


「せいゃぁ!」


充分な助走をつけた錦は、皆朱槍(かいしゅのやり)の石突を地面に突き立て、大きく弓なる柄の、その反発力で宙空へと飛翔する。


浅草寺本殿から、のちに「雷門(かみなりもん)」と呼ばれる外門までまっすぐ伸びた表参道の両脇にはレンガ造りの商店が軒を連ね、「仲見世(なかみせ)」と呼ばれていた。


その仲見世の屋根の上を栄子が疾走し、参道をはさんだ反対の店の上に錦は舞い降り、そして駆け出す。


屋根の(つら)なりを全速力で、ときには飛び越え、黒髪たなびかせて(きん)栄子(えいこ)に肉迫した。


「おっらぁぁぁぁぁ!」


───ザァァァァン!


追いつくなり皆朱槍(かいしゅのやり)を突き入れる。


「しゃぁぁぁ!」


───カキィィィン!


栄子はふり返ることなく蜻蛉切(とんぼぎ)りを後ろ手に振り、あやまたずその鋭鋒(えいほう)を弾く。


「ちぃぃっ!」


錦、素早く握る手を動かし、刃を横にして反動を殺してさらに加速。栄子と横並びになる。


───その瞬間、


「せいやぁぁぁ!」


───ブゥゥン!


今度は錦の足元を蜻蛉切りが強襲。


「───っつあぁ!」


()ぐ一閃を錦は跳んでかわす。そして、その高さから栄子の頭に刀身を振り下ろす。


「甘い!甘い!甘い!甘いっっ!」


栄子は柄の腹で受け止め、押し返し、顔面めがけ突き込む。


錦もまたそれを石突で弾き、反撃───二人の少女の長槍の技量は伯仲(はくちゅう)


互いに一歩も譲らないまま、やがて仲見世(なかみせ)は途切れ、浅草寺(せんそうじ)本堂の石段の上へと同時に降り立った。



「……っっっ」


恐ろしい勢いで飛んできた角材の直撃を受けて失神していた美妙(びみょう)は意識を取り戻す。


赤く()れたひたいをさすりながら立ち上がり、ズボンのポケットに手を入れ手ぐしを取りだして自慢の髪型を整えつつ、


「……あの()たちはどこだ」


自分の目の前で、いきなり派手なケンカをおっぱじめたふたりの姿を探す……までもなく見つかった。


参道を行く人々が、


「おい、あっちだ!」


「何だありゃ!」


「急げ、急げ!」


と、騒ぎ立てては本殿の方へ押しあいへし合い流れていた。


「……いっ!」


彼は目と口をまろくする。


───浅草寺の本殿屋根に、ふたつの影。


長大な得物を、振り上げ振り下ろし、突き込んでは弾き返すを繰り返していた。


「……い、一体全体どういうことさ?」


あんな所に登ってまで争っている、その理由を知りたい───美妙、駆けよりたい衝動にかられる。


が、仲見世通りはすでに野次馬たちであふれかえって、こちらから本殿には近寄れそうにない。


「急げば(まわ)れってね」


彼は一度外門を出て、大きく迂回する道を駆けるに駆けた。


案の定、あっさり本堂の裏手に出ることができた───が、そこで彼はぎょっとした。


見あげた屋根の上で裂帛(れっぱく)の気合いを放ちながら槍をぶつけ合うふたりの少女の姿……ではなく、それを下から見ている先客───ひとりの男の、そのいでたちに、であった。


───鎧武者がそこにいた。


仏胴(ほとけどう)佩楯(はいたて)篠臑当(しのすねあて)摘手甲(つみてっこう)……「当世具足(とうせいぐそく)」という徳川の世より前、血で血を洗う下剋上乱世の武士たちがその身にまとった重厚牢堅な甲冑(かっちゅう)すがたの男。


その彫りの深い顔を金糸を思わせるゆたかな黄金の髪がふちどっていた。


ゆっくりと視線を浅草寺の屋根から美妙に移す。


日本人ではない。


はるか海を渡ってきた西洋人であった。


さらに美妙(びみょう)()きつけられたのは太い三日月の下で輝く双眸(そうぼう)


───左右の瞳の色がちがった。


右の目は澄みわたった大空のように青く、そして右目は───沈みゆく太陽のように真っ赤。


金銀妖瞳(ヘテロクロミア)⁉︎」


甲冑姿の西洋人も、左右色のちがう瞳を持つ人間も、美妙ははじめて見た。


(たず)ねたいことは山ほどあったが、続く言葉が喉の奥にへばりつく。


金髪武者の、その総身から立ち昇る殺気に似た威圧感に好奇心より恐怖心が先立ち、うるしをぶっかけられたように両足はその場に固まり、美妙はむなしく口をパクパクと開閉するだけであった。


金髪武者が鎖手甲(くさりてっこう)に包まれた右手を動かす。


「……!」


美妙は小さく身じろぐ。いまの彼にはそれしかできなかった。


武者はすうっと通った高い鼻梁(びりょう)から右半分に手の平をあて、青い瞳を隠す。


赤い右目だけで美妙を見て、


「……あなたもか」


そうつぶやく。


英語、それもかなり語韻(ことば)(なま)りがあった。


右手を顔からはなし、左腰へ流れる所作(しょさ)。そこには大小の刀が差さっている。


「───()られる!?」


美妙は叫ぶ。


声は出た。


だが、足は地に根を張ったかのようにピクリとも動かせなかった。


「持っていろ」


武者は刀を鞘ごと抜くとそれを美妙に投げわたす。


放物線を描いた二尺(六十センチ)の刀は、美妙ののばした両腕のもとへ。


「うわっとっと!」


ずしりと鉄の重みがのしかかる。落とすまいと美妙は腕と胸でしっかり抱きかかえた。


「ショクダイキリミツタダ」


と、武者は言う。


「ショク……ダイキリ⁉︎」


脳内で日本語に変換できず、美妙は頓狂(とんきょう)な声を出す。


「『燭台切光忠しょくだいきりみつただ』、その刀の名だ」


金髪の鎧武者は莞爾(かんじ)として笑う。

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