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文豪と刀剣と  作者: 諸橋カムイ
【序章 入谷の鬼】
2/8

「ギャギャ⁉︎」


小鬼の顔面に驚愕(きょうがく)(ひらめ)き、そして、すぐに恐慌をきたす。


───だが、惑乱(わくらん)しているのは小鬼だけではなかった。


「……え? 何、いまの速さ……」


不意を突かれた。反応が遅れた。「しまった!」と思ったその時───右手はすでに振り抜けていた。


───刀が勝手に動いた。


金之助にはそう感じずにはいられなかった。


「ウギギギギーッ!」


得物を失ってはもはやなす術なく、小鬼はその皮と骨のみの老木のような腕を頭の上で交差し、首をすくめ、両目を強くつむり、来るべき次撃に備えた。


暫時(ざんじ)の沈黙ののち、刃風高鳴らせ、斬撃が放たれる───ことはなかった。


「ギャギャ?」


小鬼はおそるおそる片目を開ける。目の前の人間は、大きく揺れていた。


無防備にも刀をにぎる両手をたらし、前に後に、右に左に身体をゆり動かしている。


小鬼はこの人間が、珍妙な動きで誘いこんだのち、斬りつけるのかと考えた。


「……ね、眠い」


ぼそりとつぶやき、半眼になったり、つむったりしている。


やがてぽろりと刀を二本とも取り落とすのを見て、小鬼は醜怪な顔面に喜悦が(はじ)ける。


「ギャギャギャギャギャギャ!」


黄ばんだ歯列をむき出し、勝利を確信した雄叫びを上げた。


どんな理由か何が原因かは知らない。


だが、いままさに、眼前の人間は立ったまま眠りに落ちつつあるのは事実だった。


首に喰らいついてやる、と膝を折りまげ力をたくわえ、いざ飛びかからんとした小鬼の頭に、何者かの影が落ちた。


「ギャギャギャー」


影の元を見上げ、誰何(すいか)の叫びを上げた小鬼に、


「うせろ、ザコ!」


影の持ち主が一喝する。野太い声音が、雷撃となって小鬼の頭頂から足の先までつらぬいた。


───歴然とした、圧倒的な力量差。生物としての原初恐怖に、


「キャヒン! キャヒン!」


負犬の鳴き声に似た悲鳴をまき散らし、小鬼は四つんばいになって、(やぶ)の中へと遁走(とんそう)した。


「もう……だめだ」


ほとんど失神するように、金之助は睡魔に眠りの沼に引きずり込まれた。ぐらっと、前方へ身を(かし)ぐ。


「おっと」


金之助を散々翻弄(ほんろう)した小鬼を、わずか一喝で退散させた者───墨色の僧衣に身を包んでいる男が彼を受け止める。


「……誰だい……坊さん?」


重たいまぶたをこじ開け、金之助は文字通り「抹香(まっこう)くさい」男の顔を見る。


つるりとした禿頭(とくとう)はなるほど僧職のようだが、夜なのに黒い色眼鏡をかけ、呼気(こき)がとてつもなく酒臭かった。


「……ぐごぉぉぉ!」


金之助は僧衣の男の胸に寄りかかると、「寝息をたてる」を一足飛びに「高いびきをかく」。


「おい、こら、よだれをたらすな!」


男は金之助の頭を鷲づかみにして引きはがす。


「……ふぐぉぉぉぉぉぉ!」


頭がぐるんと後ろにそれるが、一向に起きる気配はない。


「重いっ! 重いっ!」


弛緩(しかん)した金之助が全体重をかけてきて、男はわめく。


「ったく、子守りの数が増えてるんじゃないか!」


激しく舌を打ち鳴らし、金之助をゆっくり地面に横たえる。


「なんだい、なんだい、御物(ぎょぶつ)をこんなにザツにして。御前(ごぜん)にどやされるぞ」


金之助が取り落とした長刀の方を拾いあげ、振る。


───リリーン、リリーンと割かれた(くう)が泣く。それはまるで笛が奏でた優美にして清雅な音色。


男は短く口笛を吹き、


「さすが鬼丸国綱(おにまるくにつな)。しびれるねー!」


浮かれ調子の声をあげた。


刀───鬼丸国綱を蒼月(つき)()かす。


鋒先(きっさき)からそそがれた光が白刃を青く染めながらすべり落ち、男の丸い黒眼鏡に吸い込まれていく。


……と、


───キィーン、キィーン!


金属音が静かに、だがたしかに、低く高く響く。


「なかなか(なま)めかしく泣くじゃないの」


鳴いているのは、男が手にしている鬼丸ではなく、金之助が放り出したもう一本の刀───脇差の方。


「ニッカリも小僧より、このマムシの周六さまのようなジェントルマンに抱かれたいよな。わかる!」


自分のことを「マムシの周六」とやくざ者のように呼び、僧侶の姿容(すがた)なのに酒の匂いを漂わせ、手には抜き身の刀をにぎっている。およそジェントルマンの対極にいる彼は、嬉々として脇差───ニッカリ青江(あおえ)を拾い上げる。


「ギャギャギャギャギャギャ!」


不快極まる甲高い声をあげながら、さきほど尻に帆をがけ森の中に遁走した小鬼が戻ってきていた。


「あん? なんだコラ、()びにでもきたのか?」


小鬼が丸腰なのを見て、マムシは鼻を鳴らし、


「だったら土下座してもらいましょうか、あぁん? 土下座わかる? ど・げ・ざ」


どう喝する。


だが、対峙した小鬼はおびえの色など微塵も見せず、


「ギャッギャッギャッ!」


腰に手をあて、胸を反らしてせせら笑った。


震え上がっていたさきほどとは違い、傲岸(ごうがん)にも眼技(がんぎ)をくれる小鬼に、マムシはつるりとした両こめかみに、ぶっとい青筋を浮かばせる。


「こっぱっ、ぶった斬る!」


マムシはふた振りの刀───鬼丸国綱とニッカリ青江を胸の前で交差させ、勢いよく外へと振りぬく。


刃鳴りが夜気を裂いた。


「……ギギッ」


怒りで膨れ上がったマムシの気焔(きえん)に、一瞬怯え、半歩後ずさった小鬼だったが、気も身ももちなおすと、頭を後ろに向け、大仰にその枯れ枝のような腕を後ろからまえに振る。


それが合図だった。


森の中から、林の中から、藪の中から、小鬼たちが飛び出してきた。


手に手に、刀や槍などの得物を握り、雄叫びあげて現れる。


「ザコがどれほど集まろうが、どう……と……いう……ことも」


語尾がつまった。


彼に殺到する小鬼の数が、十、二十、三十、五十……ついには百をゆうに超えていたからだ。


「おいおい、これ多すぎだろ。勘弁してよ」


言葉とはうらはらに、その声には喜色がにじむ。


マムシは柄を握る両手に力を込め、そして、小鬼の群れにむかい駆け出す。



(のぼる)は目と口をまるくしていた。全身はうるしをぶっかけられたようにピクリとも動かせない。


「……なんなんだよ」


理解不可能───目の前で展開されていることを、もっとも的確にあらわした言葉だ。


金之助が小鬼に襲われていた。自分が石を投げつけ、異形の者が(ひる)んだ。


そのすきをついて刀を手にした金之助。途端に(ほう)けていたので、升は叱咤(しった)する───そこまでは、声は出せた。


───で、そこからだ。


まるで舞い手のような流麗な所作(うごき)で、金之助は小鬼を翻弄(ほんろう)した。


大小の刀がそれぞれ、まるで一個の生物のような動きを見せつける。


「……あいつ、剣術の心得なんてあったのか?」


───いや、無い、とすぐ打ち消す。


学校でもそれ以外でもかなりの時間をともに過ごしていたが、そんなことはひとことも聞かなかったし、そんな素振りはひとつも見たことがなかった。


そもそも、武術どころか、子どものころから好きでやっている野球ですら、升と知りあってからまったくと言っていいほど上達していない。


およそ身体を使うことすべて「ぶきっちょ」だった……はず。


それが突然、見えない巨大な手による操り人形のように、剣豪はだしの刀術を発揮───そして、その糸が切れたように倒れる。


それを抱きとめたのが一見しただけで「なまぐさ」とわかる坊さんで、その彼はいま無数の小鬼にぐるり囲まれていた。


「……うぅ」


足下に倒れている甲冑(よろい)娘が、意識を戻したのか、小さくうめいた。

 

めまぐるしく変わる摩訶不思議な光景に、まばたきすらせずにいた升は視線を少女に向け、


「……空から降ってきたんだよなぁ」


さきほど強打して、いまだジンジンと痛む後頭部をさする。


「……そっか、頭を打ったんだっけ」


はははっと乾いた笑いをたて、


「医者に行かなきゃ」


ぼそりつぶやく。


この一連の奇天烈(きてれつ)な光景は、自分が頭を打ったことによるものと結論づけた。


––––と、その時、


「呼んだ?」


升の横に医者がいた。


童顔を口ひげで隠した青年医師───山奥なのに白衣をまとった医者らしい医者が横にいた。


ギョッとした表情を浮かべる升。


次の瞬間、彼の両目がぐりんと白目をむき、


「……ハッヒ〜ン」


気のぬけた声をあげ、仰向けに大地へ倒れた。


「なかなか効くじゃない、これ」


青年医師は手にした注射器を押して、ピュッ、ピュッと薬液を出す。


(のぼる)に気づかれないよう近より、これを素ばやく二の腕に打ちこんだのだった。


「……う、うーん」


「おや、眠り姫がお目覚めかな」


さきほどよりさらに意識が戻りはじめた少女のそばにかがみ込む。患者の不安を取り除く柔和な表情は医者のそれ、であった。


───が、白衣の左すそがめくれている。そこから日本刀の(つか)がとび出ていた。


医師なのに帯刀(たいとう)しているという物騒この上ない人物は、刀以上に凶器な睡眠薬入り注射器を白衣の右ポケットから出したケースに収めて戻すと、反対のポケットから、折りたたんだハンカチを取り出す。


「……ここは?」


少女は意識を取り戻した。


つぶやきつつ、その端正な容貌(かお)にはふさわしくない武骨極まる甲冑をガチャリと鳴らして、上半身を起こす。


「やぁ、夏ちゃん」


「……森先生?」


夏───樋口(ひぐち)(なつ)はよく知る者の顔を見て安心したのか、その形のよい唇の端に笑みを浮かべた。


青年医師───森林太郎(もりりんたろう)はニコリと微笑み返す


夏の肩にポンと手を置き、彼女の後ろに回った林太郎は───手にしたハンカチで素早く夏の口と鼻をふさいだ。


「……ふぐぐぐっ」


安堵から驚愕へと表情を変えた途端、ふたたび夏は気を失い、その場に崩れる。


「こっちも()くね〜」


林太郎はクロロホルムを染みこませたハンカチをポケットに入れて立ち上がり、神経質そうに白衣の襟を整えた。


「おりゃゃゃぁ!」


ふた振りの刀を握りしめたマムシは雄叫(おたけ)び高らかに、闇の中から無限の連なりのように()き起こる小鬼の、殺気と憎悪うずまく大海へと飛び込んだ。


「おらおらおらおらぁぁぁ!」


襲い来る小鬼たちを斬り、突き、()ぎ、叩き、払う。


「ギャギャギャギャギャ!」


小鬼の首が飛び、腕がもげ、足が転がり、腹が裂ける。

 

脳漿(のうしょう)がぶちまかれ、臓物(ぞうもつ)がこぼれ落ち、血煙(けつえん)立ち昇ると、いう酸鼻な地獄絵図が展開───されなかった。


およそ生物の根幹原理を超越した現象ではあるが、致命傷を負った小鬼たちは断末魔とともにその身を石化させ、すぐに砂化───そして、大地に(かえ)っていく。


マムシが右に左に白刃を(ひらめ)かすたびに砂の竜巻が生じる。駆け抜き、斬り抜けば、砂の旋風が起こる。


「おいこら! なんで夏をまた寝かせてんだよ!」


両腕で斬り伏せ、つかみかかろとしてくる小鬼を足で蹴り飛ばしつつ、首だけ後ろにねじ曲げてマムシは林太郎を怒鳴る。


「うら若き乙女にはかわいそうじゃないですか、こんなバケモノだらけの光景を見せるの」


「ばっきゃろう! おれのほうがかわいそうだわ!」


そう返すマムシだが、まったく同情を誘うようなそぶりを見せない。


そのふたつの切先(きっさき)は苛烈さを増し、彼の周囲にはうず高き砂山がいくつも形成されていく。


(あわ)れむべきは、数を頼りにたたみかけるが、かすり傷ひとつマムシに負わすことのできない小鬼たちのほうであった。


「まったくキリがない……林太郎、はやく手伝え!」


「いやぁ〜、僕もほんと、そちらに加勢したいのですがね……」


荒ぶるマムシに対し、(ひょう)とした口調で返す林太郎。


まったくしまりのない表情をしているが、いまや彼はひとならぬ者の殺意に取り囲まれていた。


「グルルルルルッ!」


狼であった───二本足で立ち、手に手に刀や槍を持った、人狼たち。


鋭くとがった牙列(がれつ)の間から、盛大によだれをたらし、林太郎にいまにも飛びかからんとしていた。


「あぁ、そうか今夜は満月だったっけ」


林太郎はなんの緊迫感も抱いてないかのように、ゆっくり空に浮かぶ蒼月(つき)を見上げ───そして、腰の刀の鯉口(こいくち)を切った。


林太郎(りんたろう)は動いた。


身を低くして振りむく。


───チィン!


───シュッ!


その間に鳴ったのは、ふたつの小さな金属音。


───チィン!


三つ目の音がした時、林太郎はまったく同じ位置に同じ姿勢でいた。


何もなかったようにそこにいた。


彼が確かに動いたことを示すものは、風をはらんで膨らんだ白衣のすそだけであった。


「……ギャギャン?」


林太郎の動きに、首をすくめ警戒した背後の人狼たちであったが、


「ウォォォォォン!」


ただの機先を制するための一瞥(いちべつ)ととらえると、一瞬でもおびえを感じたことを振りはらうよう月に向かって咆哮(ほうこう)


得物を振りあげ、獰猛な(うな)り声を飛ばし、林太郎に迫る───はずであった。


「ギョウォォォ?」


一歩踏み出した途端に、人狼たちの胸から石化と砂化がはじまった。


何が起こったんだ? みなその疑惑を顔に貼りつけたまま、土へと(かえ)っていく。


「どういう構造になっているのか、一度解剖してじっくり調べたいんだけど……斬ったら砂になっちゃうんだよね」


再び姿勢を低くし、正面の四匹の人狼に聞かせるかのように独語。


そして、


「だから、斬る!」


言うなり抜刀(ばっとう)一閃(いっせん)


袈裟斬(けさぎ)り、逆袈裟(ぎゃくけさ)、袈裟斬り、斬袈裟───斬軌(ざんき)が蛇のように人狼の身体の上をのたうち滑る。


「ウォォ……」


断末魔をあげるのもそこそこに、その身は地面に散らばり、消える。


林太郎は居合刀術の使い手であった。


鞘から刃身が抜けた、その刹那(せつな)相手は絶命する。


「さぁ、なるべく大勢できてね。抜く回数がすむから」


僧衣に二刀流のマムシと同じくらい、白衣で居合をあやつるというのは、なかなかに奇異である。


たった二回、鞘から刀を抜いただけで、前後あわせて八匹もの人狼を討った林太郎に、あらためて斬りかかろうとするものはなく、彼が一歩前に出れば正面の人狼たちは後ろに下がり、振り返れば背後の者たちがビクリとからだを震わせる。


「あれ? かかってこないのかな?」


林太郎は医師の顔に戻っていた。柔和な表情で人狼たちを見まわす。


───カシャン!


一匹の人狼が刀を地に捨てた。


───カシャン! カシャン!


他の人狼たちもそれに続き、得物を手放す。


「ふむふむ、殊勝(しゅしょう)な心がけです」


にこやかに口ひげの先をなでる。


「グゥルルルルルル!」


彼我(ひが)の差を見せつけられ、狼だけに尻尾を丸めて降参する───かと思いきや、鋭利な長い爪を持つ十指を大きく開き、


「ワォォォォン!」


人狼たちは遠吠える。


刀や槍など使わず、鋭い(おの)が爪と牙でこの小癪(こしゃく)な人間を斬り裂き、ひきちぎるつもりである。


林太郎は嘆息(たんそく)


「……得物を持っての立会いであればこそ、(あやかし)といえども苦しまずにしてやったのに」


今度は刀をゆっくり鞘から抜く。


「犬畜生になり下がったからには、一度で仕とめないから覚悟しなさい!」


右手をひき、刀を肩にかつぐ「八双(はっそう)の構え」をとると、


「かかってきなさい!」


(りん)と叫ぶ。


人狼───いや、もはや大きな餓狼(がろう)と化した怪物たちが、前後左右から牙と爪を突き立てようと一斉に林太郎に飛びかかる。


───切先が動いた。


───ザン!


───ザン!


───ザン!

 

肉を斬り、骨を断つ音と絶叫の数が同じであった。


林太郎に襲いかかった人狼たちは、一瞬で両手首の先をはね飛ばされる。


激痛でうずくまる者、苦痛に倒れのたうつ者、悲痛な叫びをあげ立ちつくす者───みな一様に切り口から鮮血を(ほとばし)らさせるかわりに、そこから石のように固まり、ひび割れ、砂のように大地にこぼれていく。


手首から、肘、二の腕、肩と徐々に消失。

相当な痛みをともなうらしく、中には卒倒(そっとう)し、痙攣(けいれん)したまま砂となり、消えていく。


小鬼や人狼───林太郎やマムシが「妖」と呼ぶ者たちは、斬っても血を噴き出さない。


その斬り口から石化がはじまり、次第に砂化する。


即死は、すなわち即石化。


深手ならじわじわと死がせまる。人の出血死のようなものである。


やがて林太郎の足下から苦鳴(くめい)が消えた。人狼たちすべてが土に還ったのである。


林太郎は手にする刀を振り上げた。


夜空に輝く蒼月にかざし、


今宵(こよい)虎徹(こてつ)はよく斬れる」


と、独白(どくはく)


それを聞いたマムシが叫んだ。


「違う! それ源清麿(みなもときよまろ)だろ!」


「……もう、無粋(ぶすい)だなぁ。虎徹だから切れたんじゃない。虎徹だと思っていたから切れたんだって、ゆうさんのお父さんも言ってたんだから」


ゆうさんとは、近藤ゆう───新撰組局長近藤勇(こんどういさみ)の娘であり、林太郎の親しい友人である。


今夜、林太郎は生前近藤勇が愛用していた刀を借りて、妖との戦いにのぞんでいた。


「あれ? もう終わっちゃいました、そっち」


林太郎の問いに、


「とっくに、な! ちんたらしてんじゃないよ!」


マムシは怒鳴る。百を越えていたであろう小鬼の群れは一匹残らず斬り倒されていた。


林太郎が人狼を殲滅(せんめつ)するのにそれほど(とき)を要しなかったが、同じ時間でマムシも小鬼の大群を掃滅(そうめつ)していた。


坊主と医者───風姿風貌(すがたかたち)はいかがわしさこの上ないが、相当な手練(てだ)れである。


「だいたい、こんな小者何匹かかってこようと、俺さまにかすり傷ひとつ負わせれないから。もっと、どーんと大物出てこいつーの」


のど仏が見えるほど、呵々大笑(かかたいしょう)する。


と、その時、


───ドゴゴゴゴゴゴーンッ!


大地が揺れた。


地面が大きく震え、足下の小石を()ねあげる。


地の底からどよもすような振動はすぐに突き上げる衝撃へと変わった。


───バキバキバキバキバキバキッ!


マムシと林太郎の前にあった森が裂けた。文字通り、山の木々が左右に分かれる。


轟音をあげて(みき)がへし折れ、根が浮き上がって旋風(せんぷう)はらみ土が宙に舞う。


「フンガァァァァァァァ!」


耳をつんざき、胃の()を突き破らほどの咆哮(ほうこう)とどろかせ、それは姿を現わした。


人の身丈(みのたけ)のゆうに十倍以上もある巨人が、森をかき分け、はい出てきた。


奈良の大仏が立ちあがったような巨体。


だが、けわしいその顔と筋肉が隆起した体はまるで仁王像のようであった。


「フンガァァァァァァァ!」


再び大音声(だいおんじょう)て叫び、眼下で刀を構えなおしているマムシと林太郎の鼓膜を容赦なくひっぱたく。


「……本当に出てくるなよ、デカブツ」


マムシは吐き捨てる。


たじろぎつつも、二刀を握る手に力を込めて巨人に斬りかからんと踏み出した、その時───


「ほげっ!」


彼は後頭部に衝撃を受けて(うめ)く。


つんのめるマムシ。と、その顔に向って、上空から何かが勢いよく飛んできた。


「ふんがっ!」


まともに顔面で受け止めたのは、子どもほどの大きさもある熊のぬいぐるみであった。


「うらららららぁー!」


マムシの頭上高くで、少女の声が響いた。


「ショウちゃん!」


のけぞるマムシに代わって、林太郎が声の主の名を呼ぶ。


───もし、(のぼる)がまだ意識をたもっていて、目の前の光景を見たのなら、長期治療入院もじさない覚悟で医者のもとへと向ったであろう。


それほどまでに、いままで以上に信じられない事が展開されていた。


白と桃色のドレスを着た十歳ほどの少女、ショウちゃん───(ほう)ショウは、スカートをふくらませ、空を舞っていた。


マムシの頭を蹴りとばして飛びあがった彼女は、抱えていたぬいぐるみを投げ、身を軽くし、巨人の前の木の枝に飛び移る。


───シャーン!


腰間(ようかん)ではなく、背中にひもでくくった自分の身長と同じくらいの鞘から刀を抜き放つ。


「フンガァァァァァァァ!」


大きな鼻腔(はな)から突風のような息を吐き出し、雷鳴のような叫びを上げながら巨人はショウに(いわお)ほどある拳を突き出す。


───バキバキバキバキッ!


大木は一瞬で木くずと化す。

 

その中を仙人の浮遊の術でも会得しているかのように、


「ららららららぁ〜」


鼻歌まじりに、かろやかにすみやかに、ショウはとなりの木へと飛び移る。


「フンゴォォォォォォォ!」


ショウを仕とめ損なった巨人は、今度こそ逃さじとさらに力と速さを加えた次撃を繰り出す。


豪快な炸裂音とともに木の葉、枝、幹、そして根までも天に昇ったが、打ち砕かれたショウの姿は無かった。


「らんらんらん〜」


なんと彼女は軽業師よろしく、巨人が突き入れた腕にちょこんと乗っていた。


「フンガァ! フンゴォ!」


当惑した巨人はショウをふるい落とそうと勢いよく腕を払う───が、少女は瞬時に反対の腕に飛び移る。そして筋肉の隆起したその腕を駆けた。


「しゃららららら〜ん」


うた声をさらに大きくしながら、腕から肩へと走りぬけ、肩から頭頂へと飛び打つる。


「ふんふんふん〜」


「グガァァァァァァァ!」


己の頭の上でごきげんに歌を唄う小娘を握りつぶさんと、両掌ふりあげ、頭頂で柏手(かしわで)を打つ。


───バァァーン!


爆音に夜空がビリビリと震えた。

 

巨大な二枚の壁が両脇からはさみつぶさんとせまり、衝突する直前に、


「たぁらぁぁぁぁぁ!」


後ろ向きに、虚空へと身を躍らせた。


───たん、と巨人の頭を蹴って後ろに飛んだショウ。手にしていた刀を(みね)が背に触れんばかりにおもいきり後ろに振り上げ───


「せぇのぉぉぉぉぉぉ!」


落下と同時に巨人の前額部(おでこ)に打ち込む。


その細く小さい腕のどこにそんな膂力(りょりき)があるのか、と見た者を驚愕(きょうがく)させるほどの勢いで、巨人の額を、眉間を、鼻梁(はな)を、唇を、あごを、喉を切り下げていく。


胸まで割り裂いた時、ショウは刀から手を離した。


刹那(せつな)、彼女の全身から力という力が抜けたように、ぐったりと四肢(からだ)を投げ出し、仰向けに落下する。


「ホガァァァァァァァ!」


巨人は深々切り下げられた激痛に(もだ)える。


斬り口が石へと変わり、砂が漏れ出す。それを片手で必死に押さえながら、もう一方の手を伸ばし、ショウをつかみ、にぎりつぶさんとする。


───そして、五指が少女のからだを捕らえた。

 

一瞬にして圧し潰され、ドレスは血と肉の袋と化す───はずが、その前に巨人の手は石へと変わり、ボロボロと崩れ出した。指と指の間が割れ、抜け落ち、ショウの小さな身体がこぼれ出る。


「ショウちゃん!」


林太郎は駆けだす。


さきほどの俊敏な動きとは嘘のように、重力にされるがまま、髪は逆巻き、スカートをはためかせ少女は落下する。


肩から崩れ落ちた巨人の腕が、中空で石つぶてとなり、走る林太郎に降りそそぐ。


頭や肩を撃つときにはすでに砂に変化しているなので痛みはないが、舞いあがって白い幕となって視界をさえぎる。


腕をあげてひさしを作って目への進入を防ぎながら、ショウが落下してくる場所へとたどり着いた林太郎は両手を大きく広げる。


───ドンッ!


受け止めた。


「……ツッ!」


樋口夏(ひぐちなつ)のように甲冑をつけているわけではないが、木のこずえよりも高いところから落ちてきたのだ。林太郎は抱きとめたと同時に尻もちをつき、さらに背中を大地に叩きつけた。


腐葉土が衝撃の大半を吸収したが、それでも林太郎は一瞬息をつまらせたのち、


「痛たたたぁ!」


苦鳴する。


呼吸を整えつつ、頭を上げ、胸に抱きとめたショウを見る。


激しく身体をぶつけたのにもかかわらず、少女は寝息を立てていた。

 

完全に熟睡している。


小さな眠り姫を抱きかかえながら、林太郎は立ち上がる。


見上げれば、


「ホガァァァァァァァ!」


いましがたショウに斬り下げられた巨人が、断末魔の叫びをあげながら、砂へと変わっていた。


「……とんでもない娘だこと」


ショウの寝顔に視線を戻す。


男ふたりを横目に、自分の身の丈の数十倍もの敵に切りかかっていく、その肝の太さに感嘆の息をつく。


十数年後、林太郎はあらためて、ショウの女傑(じょけつ)ぶりに驚嘆することとなるが、いまはまだ幼児の面影を色濃く残してあどけない。


「……刀は?」


ショウが手放した刀の行方を確かめようとしたが、探すまでもなく───


キィ───ン! キィ───ン!


腰の源清麿(みなもときよまろ)に共鳴して、その所在(しょざい)を知らす。


林太郎は大地に突き立つ刀を抜き、夜空へとにかかげる。


───刃長二尺六寸五分(八十センチ)にして、細身で(みね)にむかうにしたがい身幅と反りが小さくなる。

 

源頼光(みなもとのよりみつ)酒呑童子(しゅてんどうじ)を討った時に使ったとも語られ、六人もの人間の胴を一太刀で両断したと言われる剛剣───童子切安綱(どうじきりやすつな)は、月の光を受けて鈍く光った。


ショウを抱き、安綱を手にして林太郎はマムシのもとに戻る。


「おいおい、また眠りこけてるのかよ! 若い者には、いま野宿が大流行だな!」


激しく舌打ち鳴らしてから、マムシは肺の空気を全部使ったため息をつく。


彼の足下には金之助、(のぼる)、夏がならんで寝ていた。


マムシが目の届くところに運んできたのである。夏には着ていた僧衣がかけられていた。


彼本人は引きしまった身体に、貼りつくような鎖帷子(くさりかたびら)姿。

 

それが(うろこ)のように見えて、「マムシの周六」の通り名を見る者にいよいよ納得させる───抱きかかえた大きな熊のぬいぐるみがなければ。


(……やさぐれぶっちゃいるけど、なんだかんだ気くばりのできるひとなんだよね、マムシさんは)


───でなければ、いま東京で発行部数を伸ばしに伸ばしている「都新聞」の主筆(ボス)にはなれなかっただろし、斎藤緑雨(さいとうりょくう)馬場孤蝶(ばばこちょう)ら、才能も血の気も多い記者(ぶか)たちからも(した)われてはいないだろう。


林太郎はクスリと笑いながら、腕の中で深い眠りについていたショウを三人のとなりに降ろす。


「なにをニヤついていやがる!」


マムシは鼻を鳴らし、ショウの横に熊のぬいぐるみを置いた。


「……べつに」


林太郎はまた笑みを口の端に浮かべる。


「おう、林太郎よぉ〜」


「はい」


「いま、俺のアニキが北海道からこっちに来てるんだ」


「あぁ、四方之進(よものしん)さんですね」


マムシの兄───黒岩四方之進は、明治九年に「札幌農学校」一期生として北海道に渡り、卒業後は開拓使となって、現在「新冠(ニイカップ)御料牧場」で家畜の普及に従事していた。


マムシ自慢の兄らしく、林太郎は何度かその名を聞いたことがあった。


「俺の家にいてな、カレーを作ってくれているんだ」


「ライスカレーですか。それはまたハイカラなものを」


明治二十ニ年───この時代、まだ「カレー」は一般家庭で食される料理ではなかった。西洋文化に明るい、一部の知的階級の人々が好んで食べた高級料理である。ドイツ留学経験者の林太郎はもちろん知っている。


───しかし、西洋で食したカレーと、日本の料亭で出されるそれとは大いに違っていた。


日本のカレーは、輸入した混合香辛料を小麦粉にからめて作っていると聞いた。カレー本来の香りも刺激もほとんどないし、口あたりはもったり。本場のものとはほど遠いシロモノで、林太郎はどうもにも好きになれなかった。


「アニキの作るカレーは、アメリカ人教師から教わったやつでな、種とか葉っぱとか木の皮とかを油で炒めるところからはじまるんだ」


「ほほぉ」


「で、たっぷりの玉ねぎをみじん切りにしてそこに加え、焦がさないようアメ色になるまでじっくり炒める。で、最後に石臼挽(うすび)きした香辛料と、かつお節やら昆布やらでとったダシ汁を加えて煮込む。サラサラしていて、まるでスープさ」


マムシの兄が作るカレーは話に聞いただけでも食欲をそそる。


「美味しそうですね」


林太郎は声を弾ませる。不覚にも腹が鳴ってしまった。


「美味しそう? 美味しいに決まってる!」


───それもそのはず、これがやがて北海道名物となる「スープカレー」の作り方。そして、それを伝えた札幌農学校のアメリカ人教師が、「青年よ、大志を抱け」の名言を残したウィリアム・クラーク博士であった。


「俺ははやくアニキのカレーが食べたい……つまり、はやく帰りたいのだ!」


マムシは地に突き立てていた鬼丸国綱(おにまるくにつな)とニッカリ青江(あおえ)を引き抜き、胸の前に構える。


「はいはい」


林太郎も腰の源清麿(みなもときよまろ)を抜き、童子切安綱(どうじきりやすつな)をにぎりなおした。


「ったく、六人もいて動けるのはふたりかよ」


ぼやくマムシの背に、林太郎はおのれの背をピタリとつける。


「おこしますか?」


と聞くが、ちらりと足下の四人を見たマムシは、(かぶり)を左右に振ってポキポキ首の骨を鳴らす。


「子どもは寝てる時間だ。それに、これぐらい俺たちふたりで充分だろ?」


「ですね」


───ギャギャギャギャギャ!


───ワォォォォォォォォォン!


───フンガァァァァァァァァ!


マムシと林太郎を、無数の小鬼、人狼、巨人がぐるり取り囲んでいる。


さらに、


───キキキキキキキキキッ!


───シュシュシュシュシュッ!


猿の身体にコウモリの羽を持ったもの、蛇の背に鳥の翼を生やしたものなどが、月を(かげ)らせるほど夜空に群れていた。



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