新宿・歌舞伎町の女
警視庁捜査一課の城戸警部率いる捜査班の刑事たちは、東京の世田谷区経堂へと向かっていた。
その日、つまり、十二月九日の早朝に起きた殺人事件の、被害者宅を捜索する為である。
殺されたのは、野川早紀、四十二歳。新宿の歌舞伎町の元ホステスである。
死体が見つかったのは、被害署の自宅からそう遠くない、多摩川の川原である。
腹部には、複数の傷があり、警察は、他殺と断定して捜査が始まったのである。
彼女の住所が示す場所に向かい、そこで待ち受けていたのは、真新しく清潔感の溢れるマンションだった。
管理人に鍵を開けてもらい、捜査員たちが、ぞろぞろと部屋へ入っていく。
「今は、ホステスをしていないのに、相当いい暮らしをしているようですね」
南条刑事が、部屋を見回しながら言う。
「ホステス時代、相当稼いだのだろう」
城戸は、クローゼットの中を確認しながら答える。中には、ブランド物のコートも少なくなかった。
「よくわかりませんが、何だか高そうな化粧品が大量にありますよ」
次にそう言ったのは、化粧台の引き出しを捜索していた、山西刑事である。
城戸は、居間から、洗面台のある部屋へ向かった。
「警部、男物の歯ブラシなんかはないようです。すべて、彼女の物の様です」
先に捜索をしていた、川上刑事がそう報告する。
その間に、門川刑事と椎葉刑事が、マンションの管理人に事情聴取をする。
「野川さんは、独身でいらっしゃったんですか?」
と、椎葉が尋ねる。
「はい、結婚はされていないと聞いています」
「では、付き合いがあった特定の男性は居たんじゃないですか?」
すると、管理人は、少し困惑した顔で、
「さあ、そんなプライベートなことまで詳しく知らないですけど、マンションで彼女の様子を見る限り、交際している様には見えませんでしたけどね」
と、答える。すると、今度は門川が尋ねる。
「では、男性の出入りはなかったわけですね?」
「いえ、全くないわけではありません」
「と、言いますと?」
「二ヶ月に一回くらいだと思います。男性が、それくらいの頻度で、野川さんを訪ねられてましたよ」
「その人は、恋人ではないんですか?」
「私から見てですが、違うと思いますよ。野川さんは、その男性にペコペコ頭を下げていて、親しそうには見えませんでしたからね」
「その男性、どんな方でした?」
すると、管理人は、目線を宙に浮かせて考えながら、
「黒塗りのセダン車で来ていましたし、SPみたいな人もついてましたね──。何をしている人かはわからないですけど、とにかくお偉いさんなのは間違いないですよ」
「似顔絵の作成に協力して頂けますか?」
「わかりました、いいですよ」
「次に、野川さんは、かつてホステスとして働いていたようですが、辞めたのはいつ頃かご存じですか?」
「さあ。彼女がここに越してきたのは十五年前ですが、その時には、もうすでに辞めていたみたいですよ」
「それで、お仕事は何をされてたんですか?」
「それが、特に仕事はしていないみたいなんですよ」
「仕事はしていない?では、どうやって生計を立ててたんです?」
「そうなんです。そこが、私もずっと不思議だったんです。特に働いているわけでもないのに、貧乏どころかそれなりに良い暮らしをしている見た目だったんです。ずっと気になってたんですけど、そんなこと、本人にきくわけにはいきませんからね──」
そこで、椎葉と門川は、管理人の元を離れ、城戸の近くまで歩いて行った。
城戸は、写真立てを手に取って、それをじっと見つめていた。
その写真立てには、今回の事件の被害者である野川早紀が、ある男性の肩に寄り添って、笑顔で写っている写真が飾られている。どこで撮られたのかまではわからない。
門川から報告を受け、城戸は、管理人のいる方へ足早と向かった。
「管理人さん、あなたが仰る男性は、この方ではありませんか?」
そう尋ねる。すると、管理人は、大きく目を見開いた。
「そうです、そうです。この方ですよ」
「しかし、この男、どっかで見覚えがあるんだがな──」
城戸は、そう呟くと、隣に居た椎葉が反応した。
「お知合いですか?」
「いや、知り合いではないと思うんだがね。とにかく、見た記憶が僅かにあるんだよ。だが、誰とか、いつどこでどのように会ったのかを思い出せない」
「警部が過去に担当された、事件の関係者ですかね?」
「その可能性は高いな──」
城戸は、自信なさげに言う。
「前科者カードを洗ってみますか?」
「ああ、洗ってくれ」
その後、部屋にある手紙類、写真等を調べたが、これといって収穫はなかった。捜査員たちが注目したのは、二ヶ月に一度の頻度で野川に会っていた、裕福な暮らしをする男の事だった。
警視庁の捜査本部に戻った城戸は、何となくその日の朝刊を広げ、記事に目を通していた。
すると、彼は突然開いていた新聞を畳み、机に叩きつけるように置き、思わず声を上げた。
「そうだ、あれは新聞だ!」
近くに居た小国刑事が、
「新聞がどうかされたんですか?」
と、怪訝な顔つきになった。
「小国君、ここ五日の新聞を持ってきてくれないか?」
そうして、城戸の目の前に、五日分の朝刊と夕刊が集められた。
三日前の朝刊を確認した城戸は、再び声を上げる。
「これだ。これで間違いない──」
彼は、証拠品の中から、写真立てを持ってきた。新聞に載っている男の顔写真と、証拠品の写真の男を比較してみる。それらは、確かに同一人物だった。
「警部、これ、殺人事件の記事ですよ」
山西刑事が、新聞を覗き込むような態勢で言う。
記事によると、男の名前は、城野仁和。熊本県議会議員であることも書かれている。
その記事が伝えていたのは、熊本県の球磨川の川原で、その城野の死体が発見されたという事件だった。
「これは偶然ですかね?東京で殺された野川と言う女と面識のあった、城野と言う男が、熊本で殺されたというのは」
川上が、城戸にそう投げかけた。
「私が思うに、偶然ではないと思うね。何か、関わりがあると思うんだがね」
「一体どんな関係ですかね?まず考えられるのは、城野が、野川の店の常連客だったとか──」
「いや、しかしね。ただの常連客が、わざわざ家にまで訪ねてくるかね?それも一度ではない、二ヶ月に一度もだよ」
「それぐらい、惹かれていたんじゃありませんか?」
そう言ったのは、椎葉である。
「よし、野川が以前勤めていたという、クラブに行ってみるか」
しばらくして、城戸は、夜の新宿・歌舞伎町に出向いた。無数のネオンなどの光が、暗闇に輝いていた。
事前に調べておいた住所に向かって歩き、到着すると、ビルの二階に上がって部屋に入った。
「あら、いらっしゃい。見慣れない顔ね」
若いホステスが、入り口で、馴れ馴れしく話しかけてきた。
城戸は、敢えて身分を明かさず、
「ここのママさん、今いるかな?」
「いるけど、ママがどうかしたの?」
「ママは、いつごろからこの店で働いているのかな?」
「この店がオープンしてからずっとだから、もう二十年にはなるわね」
「それなら良かった、ママと話したい事があるんだが──」
すると、ホステスは、店の奥を少し覗いてから、
「ごめんね。ママは、今、他のお客さんの相手をしているの」
と、言った。城戸が、どうしようかと迷っていると、
「ママが空くまで、私が世話するわ」
と、言ってきて、半ば強引に店に入らされた。
城戸は、酒を何度も進められたが、あくまでも職務中なので、何とか烏龍茶でその場を乗り切った。
一時間弱して、やっと店のママは、客を送り出した。
そして、相手をしてくれた若いホステスがママを呼んできてくれて、やっと話ができた。
「十五年前にこの店で働いていた、野川早紀っていう女の子のことを思い出してほしいんだが──」
すると、ママは肯いた。
「サキちゃんね。確かに覚えているわ」
「そのサキっていう女の子と関わりがあったと思うんだが、この男の人、知らないかな?」
城戸が、城野の顔写真を見せると、ママは、あからさまに嫌な顔をして、目を逸らした。
「ん、どうしたんだ?」
「さては、あなた探偵ね?」
「それを問うのは、少し勘弁してもらいたいんだが──」
「私も、この男のことに関しては、何も話せないわ」
ママは、ツンとした顔で、そっぽを向いてしまった。
「君は、知らないかもしれないが、この野川早紀さんは亡くなったよ。何者かに殺されたんだ。元同僚を殺した犯人を、突き止めるためにも協力してくれないかな?」
「え、亡くなったですって?」
彼女は、突然顔を蒼くした。
しかし、直ぐに表情を落ち着かせ、
「ということは、あなたは警察の人?刑事さんね」
と、言ってきた。
「ああ、そうだ。警視庁捜査一課の者だ。正直に話してくれるね?」
城戸は、渋々警察手帳出して、それをママに示したものの、
「たとえ警察の人であろうと、言えないことだって私にもあるのよ。帰って頂戴」
「これは、事件の捜査のための質問なんだ。必要があれば、君に警察署まで来てもらわなければならない」
彼は、脅すつもりで言ったのだが、ママは動じなかった。
「署まで来てもらうって言っても、それはドラマでよくある任意同行なんでしょ?任意なら、断らせていただくわ」
彼女は、そう言って、店のカウンターに消えてしまった。