球磨川
管制センターから連絡を受けた牟田は、再び熊本県警の爆発物処理班と共にトンネル内の点検を再開した。
一度点検した場所も、もう一度念入りに捜索する。
だが、どこをどう念入りに点検しても、何も見つからない。
再点検を開始してから一時間、牟田は、管制センターの萩島へ電話する。
「あれから一時間捜索しましたが、何も見つかりません。隊員や警察の方も疲れているようですし、これ以上点検しても、意味が無いかと──」
「わかった、無いものはないから仕方がない。トンネルの規制を解除して、通行再開させよう」
通行止めから約二時間経った正午ごろ、八代ジャンクションから人吉インターまでの通行止めは解除され、肥後トンネルも通常の通行が可能となった。
結局、爆弾どころか爆発もなかったのである。
その爆弾騒ぎから三時間後の午後三時、男の死体が発見された。現場は、肥後トンネルからそう遠くない、球磨川の川原だった。
八代警察署捜査一課の崎田警部と伊藤刑事が、現場へと急行する。
球磨川に沿う国道二一九号線から、河原へと下る。
黄色い規制線をくぐると、薄灰色の小石の上で、一人の男が仰向けに倒れていた。
近くには、中谷橋という赤い橋が架かっている。
崎田は、伊藤と共に、被害者の元へ近づいて行った。
背広を着ていたのだが、腹のあたりが、黒に近い濃い赤で染まっていた。
「腹部に刺された傷が残っている。だから、これは刺殺だね」
一足先に現場に着いていた鑑識の一人が、被害者を指差しながらそう言った。
「凶器は?」
崎田が尋ねると、鑑識の男は、
「ここでは見つかってないね。犯人が、持ち去ったんだろう」
と、答えた。
伊藤が、被害者の上着の内ポケットを探る。
すると、彼は、財布を見つけ出しそれを開いて、中身を確認する。
「城野仁和、熊本県議会議員みたいですよ」
「県議会議員だと?」
崎田は、思わずオウム返しをした。
「これは、厄介なことになりそうですね──」
伊藤は、溜息交じりに言う。
「財布の中の金品は?盗られていないか?」
「どうも、手は付けられていないみたいですね」
伊藤は、紙幣を何枚か掴んで、崎田に示した。
「物盗りの犯行でないとすると、怨恨か。もっと厄介な話じゃないか──」
「第一、県会議員が、こんな片田舎に何の用ですかね?有権者への訪問ならまあわかりますが、今は、選挙戦を控えているわけでもありませんし、なおさら理由がわかりません」
伊藤は、辺りを見回しながら言う。
「だから、犯人が呼び出したんだよ。こんな辺鄙な場所なら、誰にも見つからないと思ったんだろう」
崎田は、そう言ってから、
「ちなみに、マル害の住所は、どこになっているかね?」
と、尋ねた。
「熊本市内ですね」
伊藤は、再び名刺を確認して答えた。
「さあ、ダメ元ではあるが、付近の聞き込みだ」
崎田が、そう言って立ち上がる。
ダメ元であると言ったのは、現場付近にほとんど人家がないからである。
その日の夜、捜査員が、各々《おのおの》の捜査結果を持ち寄り、会議が開かれた。
「まず、聞き込みの結果を教えてくれ」
崎田が言うと、それに答えたのは、伊藤である。
「現場周辺の住民に聞き込んだところ、一件だけ目撃譲歩を掴みました。現場からほど近い、肥薩線の坂本駅から出ていくガイシャの姿を、付近の住民が目撃しています」
「それは、いつ頃の話かね?」
「坂本駅に九時一六分に到着する、下りの観光列車『いさぶろう一号』が到着した時間帯だったので、彼はその列車に乗ったと思われます」
観光列車「いさぶろう」は、熊本から人吉、吉松を結ぶ観光列車である。「いさぶろう二号」が熊本を発車するのは、八時三一分である。
「その列車から降りた、他の客についての情報は?」
「その目撃者が言うには、ガイシャのほかに数人駅から出てきたが、よく覚えていないそうです。他の客は、観光客らしく軽装をしていて目立たなかったのと、逆に城野は背広姿だったので目立って、その目撃者の脳裏に焼き付いていたようです」
「次に、ガイシャの、事件当日の行動についてわかったことは?」
すると、一人の捜査員が立ち上がって報告する。
「ガイシャの城野ですが、秘書に聞き込んだ結果、今日は、夕方に地元の財界人と会食の予定が入っている予定のみだったようです。その秘書は、今日ガイシャと直接会ってはいないようで、城野は、秘書にも理由を告げずに外出したそうです」
「次に、ガイシャの家族関係は、どんな感じかね?」
再び、伊藤が立ち上がる。
「彼は、四十九歳。妻は居ますが、子どもは居ません」
「子供は、居ないのか?」
「ええ。子供はいないんですが、友人なんかに当たって話を聞いていると、女付き合いが派手なようですね」
崎田は、その報告に興味津々の様子である。
「それで、妻以外で、特定の付き合いのある女性が居たのかね?」
「いえ、それはまだわかっていません。ですが、取り敢えず、夜遊びが盛んな男だったようです」
「では、ガイシャの経歴について聞かせてもらおうか」
「この城野ですが、生まれは熊本ですが、大学を出てすぐに上京し、五年前まで某省の閣僚をしていました。いわゆる、エリートといったところでしょうか」
「結婚は、東京でか?」
崎田が、尋ねる。
「ええ、そうです。彼が二十七歳の頃に結婚し、今に至ります」
「というと、離婚歴もないんだな?」
「ええ、ありません」
「それじゃあ、続きを聞かせてくれ」
「はい。数十年、霞が関で勤めた彼ですが、今から五年前に妻を連れて帰京しています。そして、熊本県議会議員選挙に出馬して、当選。それが、彼の簡単な経歴です」
「仕事上のトラブルはないのかね?例えば、選挙での対立候補が居るとか、議会で重要な議案を抱えているが、反対派の存在が邪魔であるといった、政治家によくあるトラブルだ」
「いえ、選挙が迫っているわけでもありませんし、議会でも殺人に至るような、重大な議案が審議されているわけでもありません。仕事上のトラブルは、無いに等しいと思います」
「となると、やはり気になるのは、ガイシャの女癖か──」
崎田が、言った。
「警部、あともう一つ、関係ないかもしれませんが──」
「何かね?」
「まだ詳しい解剖結果は出ていないのでわからないのですが、簡単な検死によると、発見当時は死後約五時間から四時間程度で、死亡推定時刻は、今日の午前一〇時から一一時ということになります」
「それが、どうかしたのか?」
「今日の午前一〇時から一一時というと、死体発見現場からそう遠くない、九州道の肥後トンネルで爆弾騒ぎがあって、通行が規制されいた時間帯と一致するんです」
「ああ、確かに、そんなこともあったな。結局、爆弾は見つからず、爆発は起きなかったそうだな」
「その爆弾騒ぎの時刻と、死亡推定時刻が一致するのは、ただの偶然でしょうか?」
崎田は、しばらく考えて、
「しかしね、いい歳をした県会議員が、あんなしょうもない脅迫をすると思うかね?それとも、それ以外に何かの共通点があったのか?」
と、尋ねる。
「いえ、私も、共通点と言ったら時刻の一致しかわからないのですが、その時刻の一致は、偶然なのか必然なのか疑問に思っただけです」
「私は、ただの偶然だと思うね」
崎田は、そうきっぱりと言った。
「警部、これからどうしますか?」
「取り敢えず、ガイシャの妻に会ってみたい」
そこで、崎田と伊藤は、熊本市内まで出向いてきた。
被害者の城野は、大豪邸と言うほどではないのだが、それなりの邸宅に住んでいた。少なくとも、崎田の家よりは立派な門構えであった。
インターホンで呼び出すと、女性が一人出てきた。城野の妻、理恵である。
崎田は、理恵に警察手帳を示す。彼女は、どことなく悲しみに暮れているような表情だった。
刑事二人は、ある一室に案内され、理恵と向かい合って座った。
「この度は、ご愁傷様です」
崎田が、そう言って、一礼する。
「夫があんな形で命を落とすなんて、今でも驚いています」
「それについてですが、何か心当たりはありませんか?例えば、ご主人が誰かから恨まれていた節があるとか──」
「ありませんわ。もしあったら、このような感じで夫が他界しても、驚きはしません」
理恵の目から、涙が一滴落ちた。
「旦那さんは、女性関係が派手だったという話を聞くのですが──」
崎田は、言いにくそうに尋ねる。
「それはもう、昔の話です」
「昔の話と言いますと、今は違うんですか?」
すると、理恵は肯く。
「最近は、もう落ち着きましたわ。結婚して数年経ったぐらいの時は、よく遊んでたみたいだけど。でもそれは、私が悪いんです。私が、子どもの産める体じゃないから──。彼も、寂しかったんですよ」
「では、最近になって、女性関係のトラブルを抱えていたこともないんですね?」
崎田は、そう確認を取るように尋ねる。
「ええ、もうないと思います。私達は、熊本に引っ越してきましたから、彼が東京で関わっていた女性も、当分会っていないはずです」