エピローグ
ランチボックスが入ったバスケットをもって皐が車に向かいブルーシートの上を片付いたので、シートを畳み始める。隣で焼き肉をしていた近所の農家らしい一団の方を見ると、お開きになり、せっせと帰る準備をしていた。
素面ではないが酔っぱらっているとまでは言えない父親と祖父らしい人物が、石油缶に小さくなった火の着いた炭を豪快に空けて、バケツで水を掛けていた。水を掛けると、石油缶からもうもうと水蒸気と灰が舞い上がった。
姿を見ない所からして子供は遊び疲れたのか、車で寝ているのだろうか?母親は、子供を見ているのか車のドアを開けて、座席に腰かけていた。祖母らしい人物は、ビールの空き缶や肉の入っていたトレー等を袋詰めしていた。
ブルーシートを畳み終え、スーパーのレジ袋に押し込んでいると、皐が車の方から戻ってきた。手伝い事あると言いたげな顔をしていたが、ブルーシートを畳み終えたので、手伝ってもらうようなことも無いので、無いと手を左右に振る。
ブルーシートを押し込んだレジ袋を持って車に向かうと、皐がその後をついてくるのだが、皐は名残惜しそうに何度も海の方を振り返る。
「また連れ来てやるかるから」
皐にそういうと、海の方を振り返るのをやめて、車の方に一目散に駆けてきた。トランクにブルーシートを押し込んだレジ袋を積み込んでいると、皐は助手席に乗り込んでいた。
運転席に腰かけ、靴の側面を打ち合わせて靴底の砂を落とすと、ドアを閉める。外を見ると、焼き肉をしていた近所の農家らしい一団も、帰り支度を終えたようで、車に乗り込んでいた。ビールを飲んでいた父親と祖父らしい人物は、軽トラックと四輪駆動車の助手席や後部座席で、伸びかけていた。
行きは砂にタイヤを取られなかったのに、帰りに取られたのでは詰まらない。エンジンを掛け、副変速機が四輪駆動低速になっているか確かめると、轍のある砂利道を目指して車を慎重に進める。砂にタイヤを取られることなく、轍のある砂利道まで行きついた。ここまで来るとタイヤを取られる心配が無いので、副変速機を二輪駆動に切り替え、車を進める。
車を進めて数分で農家の敷地の私道の様な轍のある砂利道を抜け、舗装された片側一車線の普通の道路に出る。さらに車を進めると、あの丁字路に行き当たる。そう、あの丁字路に……
あの忌々しい丁字路のことを思い出し、嫌な汗が出てきた。汗をかくほど車内が暑いわけでもないのに、敏彦が汗をかいていることに、皐は気が付き声をかけてくる。
「おとうさん、大丈夫?」
首筋や額を触っると、じっとりとしていた。道沿いに、畑への取付道路を見つけ、そこに車を止めると、煙草に火を点ける。普段は口腔喫煙なのだが、勢い余って肺喫煙してしまい、口の中が辛くなる。気を落ち着かせ、口腔喫煙する。落ち着いてきたので、皐を安心させるように言う。
「大丈夫だ」
あの日と、ほぼ同じ時間帯、あの日と同じような状況。海に行って、弁当を食べ、助手席に乗せて……
赦されていると言うのは、何の救いにも助にもならない。あの日とダブっていることが、恐怖を掻き立てる。火を点けた煙草が、あっと言う間にフィルター近くまで灰になる。二本目の煙草に火を点けようとすると、皐が言う。
「お父さん、あの日と今日は違うよ。あの日は海に、他の誰か居た?あの日は、誰が弁当を用意したの?助手席に乗ってるのはお母さん?」
皐は、敏彦が考えていることを見透かしているかのように、敏彦の考えを打ち消すことを列挙していく。あの日と今日は違うのに、無理やり共通点を見出して、怯えるなと暗に伝える。
二本目の煙草に火を点けて、二三度吸うと、皐に言う。
「ああ、そうだな。今日は、あの日とは違うな」
そう、今日は、あの日とは違う。皐の言葉を反芻しながら、二本目の煙草を吸い終わると、ウインカーを上げ、ハザードを消して、後方を確認する。後続車は居らず、ハンドルを右に切り走行車線に戻る。
少し進むと、あの悪夢の丁字路に行き当たる。丁字路の信号機は青信号だった。あの日と同じように右折するが、左方向から赤信号を冒進して突っ込んでくる大型ダンプは、当然ながらいない。何事もなく丁字路を右折し、車は札幌方面を目指して、車を進める。
今日は何事も起きず、あの日は事が起きた。いったい何の差だ。運命のいたずらとでも言うのか……
「お父さん、余計なこと考えてたでしょ」
皐は、唐突に、そして見透かしたことを言う。
見透かされている。下手なことはできないなと、再認識する。
「お父さん、神様は気まぐれにサイコロを振るんだよ。人間に如何こう出来ることもあれば、人間が如何こう出来ないこともある。それに、神様がサイコロを振ったかどうかは、神様以外は知りようがない。考えるだけ無意味どころか、有害無益だよ」
皐は、神様なんて突拍子もないことを、何の躊躇もなく口にする。しかし、天使と悪魔の羽を翼を背中に持つ皐が目の前にいるのだから、居てもおかしくはないだろう。
神様と言う奴は、気まぐれにサイコロを振って、他人の人生を引っ掻き回すらしい。蛇に唆されて禁断の果実を口にした報いは、楽園の追放だけで十分だろうに……
しかし、神様に造られたつもりはないのに、人生を引っ掻き回されるとは、何の因果か。神様と言う奴は理不尽なことをする。殴れる機会があるのなら、土手っ腹に重い一発を喰らわしてやりたい。他人の人生を気まぐれで引っ掻き回しやがってと、叫びせながら。
「お父さん、何企んでるの?」
表情から何かを読み取ったのか、心を読んだのか、皐が聞いてくる。
「神様とか言う、気まぐれでサイコロ遊びをして、人の人生を引っ掻き回す腐れ外道の土手っ腹に重い一発を喰らわしてやりたいなって……」
神様とか言う奴が、この地上に現れる可能性が極めて低いだろうが、機会があれば何が何でも。
「話が変わるけど、お父さん、オムライス作れるの?」
話が変わるどころか、話の腰を折ってきた。神様の話はタブーなのだろうか、有害無益なことは考えるなと言うことなのだろうか。
「半熟のオムレツをのっけて切り開いたら、オムライスになるようなのは無理だけど、普通のは作れるぞ」
半熟オムレツのオムライスは、個人病院の御曹司のパエリア男と同じアパートに住んでいた関係で、その存在と作り方を知っていたのだが、何度作っても成功せず、終に作るのを諦めてしまった。恵が死んで以降、新しい料理に挑戦する意欲を失ったと言うのもあるのだが……
「玉子の上は、ケチャップ?それともデミグラスソース?」
父親を洋食屋と勘違いしているのか、洋食屋にでもしようとしているのか……
半熟オムレツのオムライスは作れないが、半熟の玉子をのせたオムライスは作れる。それにケチャップは、一寸頂けない様気がするし、恵がデミグラスソースじゃないのと、ムッとした顔して以来、ケチャップではなく、デミグラスソースをかけている。デミグラスソースは出来合いの缶詰を買って来るのだが、必ず余る。翌日は、残りのデミグラスソースで豚肉ハヤシライスになる。
「マッシュルーム入りのデミだ」
デミグラスソースをかけると、皐に言うと、やったあ!と言うを隠す様なこともなく、ガッツポーズをする。明日の昼は、豚ハヤシか。嫌いではないが、どうせなら、紛い物ではなく、洋食屋で本物を食べたい。
「お父さん、早く帰ろ」
これでも空いてる道を選び、物陰に潜む何かや道路上に聳えるハンペンのお世話にならない程度のスピードで飛ばしているのだが……
「ああ、そうだ。明日の朝ご飯は、私が作るから」
麦刈りを終えて別の畑に回送しているらしいコンバインを追い越している時に、不意に皐が言ったのだが、追い越しに集中していたので、何を言っているのか聞き逃した。
「何か言ったか?」