海岸篇(往路)
駐車場に戻り、荷物を車のトランクに積み込む終わると、恵の両親と何を話していたのかと、皐が間髪入れずに尋ねてきた。怒号も罵声を聞こえなかったので、外見上は平穏な会話だったのは想像に難くないが、会話自体は平穏でも内容まで平穏だった保証はない。
恵の父親と母親、すなわち皐の祖父と祖母は、父親である敏彦に何を語ったのか……
「お父さん、お母さんのお父さんとお母さんと何の話をしてたの?」
恵の母親とは、終始穏やかに体は大丈夫なのかとかの話した。恵の父親には、あの日の出来事を自分の口から説明しようとしたのを遮られ、恵に会いに来てくれてありがとう、喜んでいるだろうと言われ、恵が夢にできて、敏彦を赦しているのか、いないのかと言われたという話を聞かされた。そして、自分は責めてはいないが、もし、ケリをつけられずにいるのなら、ケリをつけられるように、儀式や手続きとしての赦しを与えると…
恵の父親には、責める気は毛頭なかったのに、赦されるはずがないと自分で勝手に呪いをかけていただけだった。どこまで話せばいいのかと、少し悩む。
「お母さんのお母さんと話したのは、当たらず触らずの世間話だから、心配するな。おかあさんのお父さんとには、責めてないと言われた。それでけだ」
皐は、敏彦の話を聞いて、何かを隠しているのではと、思った。さっき聞かれたことの理由になりそうなことを、見当たらなかったからだ。
「お父さん、何か隠してない?」
皐は、敏彦に何を隠していること問う。
自分は、秘密を纏っているくせに、他人が秘めようとしたりすることは暴くのだなと、釈然としないものを感じつつも、隠して、あらぬ想像をされても困るので、正直に話そうと、口を開いた。
「お母さんのお父さんに、赦す赦さないは相手がいてのものだから、自分ではケリが付いていても、相手がケリを付けられずに居るのなら、ケリを付けられるように必要な儀式や手続きをするだけだと言われた。あと、数日前、恵が夢に出てきて、『私は、敏彦に赦しを与えて、呪いを解かせた。お父さんは敏彦を責め続けているの?』と言われたそうだ。お父さんが『責める気は毛頭ないが、どう接すれば良いのか分からない』恵に言ったら、『儀式や手続きとしての、赦しを与えればいい』と言われたそうだ」
皐は、敏彦の話を聞いて、それで、さっきあんなことを聞いてきたのかと納得したようで、これ以上は何も聞いてこなかった。
車に乗り込む際に、ふと、江別発電所のほうを見ると、煙突が白煙を上げていた。来た時には、白煙を上げていなかったから、墓参りをしている間に、ボイラーを焚き始めたのだろうか。恵と来た時には三本あった煙突は、発電所の更新で三機三缶体制から二機二缶体制になり二本に減ったが、発電所の出力は微増して、四十万キロワット毎時になったという話だ。焚いてるのは、石狩炭田の露天掘り炭に、今や五指で足るほどに減ってしまった坑内掘り炭が主だが、冬場は釧路炭田の海底炭も焚いているらしい。
名残を惜しみながら、江別発電所の煙突から立ち昇る白煙と別れを告げ、車に乗り込む。ここでのんびりしていると、昼飯と言える時間に着けなくなる。皐が車に乗ったを確認すると、エンジンをかけて、駐車場を出る。駐車場を出てしばらくは、石狩川沿いに海を目指す。終わりと始まりの場所である、あの海岸には、あの事故以来、一切言っていないので、建物の解体や新築、道路の付け替え工事で風景が変わっていれば、たどり着けられるか自信がない。海の家がある海岸なら、施設名で検索して、カ-ナビに案内させる手があるのだが、穴場の海岸なので、海の家なんてものはなく、探し出すのは困難だ。
カビが生えているであろう記憶を掘り起こして、記憶にある道路と現状の道路を突き合わせながら、進むしかない。
皐は車が、円山でも南豊平でもなく、海に向かっていることに気が付いた。どこに行く気なのだろうかと気になり、敏彦に目的地を尋ねようと、声をかけた。
「お父さん、どこに行こうとしてるの?」
敏彦は、皐に行き先を尋ねられて、皐に目的地を伝えていなかったことを思い出し、忘れてたと顔を少し青くした。秘密だらけの皐への意趣返しで、着いてからのお楽しみと言って、着くまで隠すのも一考だなと思い、目的地を暈して伝えることにした。
「一寸、石狩に行く」
皐に石狩の何所とは言わず、単に石狩としか伝えなかった。皐のことだから、秘密を暴きにかかってくるのだろうと思ったが、秘密を暴こうと質問をぶつけて来なかった。
「そうなんだ。そこは、お昼を食べられるようなところなの?」
皐は、目的地が何所かと言うことよりは、持ってきた弁当を食べられるようなところなのかと言う意味で尋ねてきた。終わりと始まりの場所である、あの海岸に行く気ではあったが、お昼までそこで食べるつもりはなかった。しかし、一寸休むように、ブルーシートを積んでいたので、食べようと思えば食べれないことはない。
「ブルーシートを敷けば、食べれないことはないけど、砂が乾いてたら、風が吹くと砂塗れになるぞ」
昨日、雨が降ったばかりだから、砂が乾いているということはないだろうが、場所が違えば雨の降り方も違うから、万が一と言うこともある。その時はバケツで海水を汲んで、打ち水でもするか……
「お父さん、海に行くの?」
皐は、砂と言う言葉を聞いて、目的地が砂地で、石狩に行くという言葉から目的が何所なのか推測したようで、その推測が正しいのか、聞いてきた。皐の推測は、ズバリ的中である。皐も知っている、あの海だ。
「ああ、そうだ。皐も知ってるあの海に行く」
皐は、終わりと始まりの場所である、あの海に行くのは初めてだろう。あまり知られておらず、人がうじゃうじゃしていない穴場の海岸なのだが、誰かは土左衛門が打ち上げられる曰くつきの海岸だから、人っ子一人いないのだと思っていたあの海岸。
実際は曰くなどなく、単に入り口が分かり辛くて、地元の人間以外は辿り着けないというだけなのだが、近所にある意味深な名前の海岸があるので、その海岸の噂も影響している可能性は排除できないが……
そろそろ石狩川を渡らないと無駄に大回りをするので、大回りせずに済む最後の橋を渡る。ここを逃せば、石狩川の河口まで対岸に渡れる橋はないので、とんでもない時間ロスになる。この橋を渡れば、また、しばらくは石狩川沿いに海を目指す。石狩川の河口についたら、日本海を横目にしながら、北上して、分かり辛い海岸への入り口を探す。海岸への入り口の目印だったものが、思い出せない。走っているうちに、遠い過去の記憶が断片断片で思い出されると信じ、あの海岸を目指す。
石狩川の河口に到着し、日本海を横目にしながら、北上していくと、見覚えがある個人商店が左手に見えてきた。喉が渇いてたまらないし、昼飯の時に飲む飲み物を調達しようと、商店の前に車を停めた。
「皐、飲み物を買うけど、何飲みたい?」
皐に、何を飲みたいと尋ねる。何も答えずに、車から降りて、店の方に歩いて行った。敏彦は慌てて、車から降り、皐の後を追いかける。
皐は、店内に入ると飲料コーナーの冷蔵庫の方に向かっていった。個人商店がコンビニやスーパーに押されて、品揃えが悪くなっている中で、ここは精肉や鮮魚を取り扱っており、踏ん張っているなと言う印象を抱く。
飲料コーナーに行くと、皐は冷蔵庫の中の飲み物と睨めっこをしていた。お望みのものが無いのか、目移りして選ぶのに難儀しているのか、傍目には判断しかねる。
選びあぐねている皐を横目に、冷蔵庫からペットボトルのレモンティーを二本取り出し、パンコーナーに向かう。皐の弁当がアレだった時の保険のために、予備の昼飯を用意するべく、菓子パンや調理パンを物色する。納品の関係なのか、目ぼしいものは、すでに売れており、口に合いそうなのは、あんパンと豆パンしかなかった。昭和生まれとしては、あんパンと言うと刑事ドラマの張り込みの時に食べてるものと言うイメージが刷り込まれており、外出中に食べるとなると、暗澹たる気分になる。しかし、口に合うものが、あんパンと豆パンしかないので、あんパンと豆パンを一つずつ商品棚からとると、レジに向かう。
レジで勘定をするために、レジ台にレモンティーとあんパン、豆パンを置いた時、皐が飲料コーナーから駆け込んできた。手には、レモンティーとストレートティーがあった。皐は、商品をレジ台に置くと、レジ台に置かれている、あんパンと豆パンを怪訝そうに見つめていた。
会計と袋詰めが終わり、商品を受け取り車に戻ると、皐が、あんパンと豆パンを買った理由を聞いてきた。もう少しで昼食になるのに、菓子パンを買えば、当然理由を尋ねてくるだろう。
「お父さん、何でパンを買ったの?」
皐に、理由を尋ねられ、敏彦はどう答えようかと、必死に考える。まさか、弁当がアレだった時に備えて、買ったとは言えない。皐が納得しそうな、理由を考えなければならない。しかし、中々良い答えが浮かなばい。弁当があるのに、ほかの食い物を買う尤もらしい理由と言えば、アレしかないなと、苦し紛れの理由を言う。
「皐が作ってきた弁当が足りなかった時の保険だよ」
保険には間違いないが、足りなかった時の保険ではなく、皐が恵のアレを引き継いでいた時のための保険だ。しかし、そんなことは、口が裂けても言えない。皐が納得することを祈るのみである。
「本当?」
皐は、苦し紛れの理由を疑っているようで、疑いの眼差しを向けてくる。本当は、別の理由じゃないのと、皐が見つめてくるが、敏彦は、誤魔化すために車のエンジンをかけて、出発するぞと暗に示す。皐は、しかたないなと、シーベルトをして、それ以上を聞いてこなかった。
車を発進させると、海岸への入り口がある道路に通じる、あの交差点を目指して、国道を北上する。買い物をした個人商店がある一寸した街を過ぎると、住宅密集地は皆無になり、完全な田園風景が広がっていた。恵と来た時と違うのは、道路から見える農家の家が新しくなっているのと、減反政策の関係なのか、水田が畑になっていること位だ。今も昔も変わらず、風光明媚な田園風景であることには、変わりはない。
その風光明媚な田園地帯の道路を北上していると、信号機のある丁字路が見えてきた。恵と海に行った帰り道にダンプに突っ込まれた、あの丁字路だ。しかし、丁字路は、直進方向はカーブしていたはずなのに、直線道路になっていた。事故から、二十数年の時が経っているが、その間に道路の線形改良工事が行われていたようだ。事故当時は、防風林として植えていたのか、道路に沿うように蝦夷松が植わっていたが、一本残らず伐採されていて、見通しもよくなっていた。道路が線形改良され、見通しを悪くしていた立木の伐採後も、信号機が残っているのは、死亡交通事故があったからなのか……
丁字路を左折し、あの海岸を目指す。記憶違いでなければ、このまま進んでいけば、二又になっている道に出くわすはずだ。この二又の道路が、農家の敷地の私道なのか、海に通じる道路なのか、困惑させるような代物だった。二又の道路の一方は、舗装され幅もある立派な道路なのだが、この立派な方は行止りで、農家の敷地の私道のような細く砂利敷きで轍のある道が海に通じる道路と言うのが、傑作だった。これなら、穴場の海岸になるなと、素直に思った。
困惑させる二又の道路は、丁字路を左折して、しばらく道なりに進んでいると、目の前に現れた。恵と一緒に来た時同様、来た者を困惑させる状況は変わりはなかった。変わったことと言えば、行止りの立派な道路の方には、ゲートが付いたことくらいだろう。地主が、勘違いして誤進入する人間に手を焼いたのか、それとも地主が変わって、そう言うのが我慢ならないのかは、想像の域を出ないが、ゲートが出来たおかげで困惑しないかと言えば、逆に困惑の度合いを深めそうな気がする。
一見すると農家の敷地の私道に見えなくもない、細く砂利敷きの轍のある道路に車を進める。轍はそれ程深くはないが、腹下が低い車なら進入するのを躊躇する深さがあり、ジープタイプの四輪駆動車で来ていて良かったと、ホッとする。恵と来た時に、四輪駆動のジープタイプの車を借りたのは、砂地で難儀しないようにだ。あの時は、轍らしいは轍はなかったのだが、役所の保全が追い付いていないのか、実のところ本当はこの道は私道で、道路の持ち主が手入れをしなくなったのか……
助手席に乗っている皐に声をかける。
「もう少しで、海に着くぞ」
皐は、海と言う言葉を聞いて、えっ本当と言う表情をし、車窓に食い入る。まだ、海は見える位置に居ないので、車窓に食い入っても海は見えてこないのだが……
手入れがされていない道に、二輪駆動で飛び込むのは自殺行為もいいところなので、一旦停車し、副変速機を二輪駆動から、四輪駆動低速に切り替える。低速で、海に通じる轍がある砂利道を進む。