幼なじみと将来の夢
「お前ってさ、将来の夢とかあるのか?」
ハンバーガーショップ。なぜか隣に座ってポテトを頬張っていた伊生に、俺はふとそう訊いた。
「ふっはひ、ほはふはへへふほ」
「うっさい? ご飯食べてるの? いやどっちかていうと間食だろ」
「……細かいこと言うんじゃないわよ。で、あたしの将来? 安楽死」
「過程をすっ飛ばしすぎだろ。その間だよ」
「楽に生きたい」
伊生はぶれることなく、自分の夢を語る。十年前と変わっていない答えだった。
「ガキじゃねえんだ。そろそろ具体案を出す年齢だろ」
「いやよ。出したら楽じゃなくなるわ。だから、これくらいでいいのよ」
誤魔化すも、伊生はやはり分かっているようだった。「楽な生き方はない」と。
「ま、あえて言うなら漫画家かしら」
「楽とは思い切り真逆だな」
「原作の方よ。あたしに絵なんて描けるわけないでしょ」
「話も作れねえだろ」
「あんなものは有名な漫画三本くらいを上手いこと組み合わせればいいのよ。言うでしょ、三本の矢は折れないって」
「その場合『パクった三本の漫画はバレない』だろ。でも、その発想は悪くないと思うぞ」
もちろん、そのままパクってはいけない。それはただの盗作だ。俺が言っているのは、その漫画の「良いところ」を自分なりにアレンジし、組み合わせていけば、それはもうオリジナルだということだ。
「でしょ? 脳内にはもう、十本ほどの連載ネームができているわ」
伊生は自分の頭を指さし、自信満々に答える。
「寝るごとに一本ずつ消えそうだな。紙に書いとけ」
「不思議と紙に書くと、あたしの理想通りにはならないのよねえ……」
「それはな、世間じゃ『妄想』と呼ぶんだ。原作者舐めんな」
漫画好きとして、伊生の「漫画は絵が命」といった考えは気に入らない。もちろん「絵」で勝負する漫画家もいるが、本当に「原作者」を目指すならば、しっかりとしてほしい。
「ガチ勢こわっ!」
「好きだからこそのエンジョイ勢だよ」
「じゃあ、おどれはなにしてえんじゃ?」
ジュースの氷をかじりながら、伊生はヤクザまがいの言葉遣いで逆に訊く。俺はハンバーガーを食べながら、
「公務員だな」
けっこう最近になって思い始めた「夢」を答えた。
「……ぷっ、あはは!」
すると伊生は、なぜかゲラゲラと笑いだした。他の客の注目が集まる前に、俺はデコピンを食らわせ黙らせる。
「堅実的だろ。馬鹿にするな」
あまりに「つまらない」答えを言ったことに笑ったのだろう。俺は伊生に反論した。すると伊生は笑みを消し、手首を横にブンブンと振った。
「公務員を馬鹿にするわけないでしょ。公務員がいてこの社会は回っているのよ」
珍しくまともなことを言いだした。じゃあ何がおかしいんだ?
「あんたがそれを目指していることそのものよ」
「……は? どういうことだ?」
いまいち伊生の言わんとすることが分からない。伊生はため息をついて、
「なれるわけないって意味よ」
「うちは反社会的な家系じゃないぞ」
両親、ジジババ通して、まっとうな仕事に就いている。さらに入れ墨を入れているわけでもない。俺はごく普通の日本男児だ。
「ノストラダムスいわく、『宇宙から見れば人は全て同じである』よ」
「言ってねえだろ」
いまだ大予言を信じている伊生は、妄執から架空の迷言を生み出すタチがある。
「普通うんぬんはひとまず置いておいて、根本的にあんたじゃ公務員になれないわ」
伊生ははっきりと、俺の未来を見てきましたと言わんばかりに、断言した。
「なにを……!」
「頭が悪いからよ」
ちょんちょんと俺の頭に指を押しつけ、伊生は馬鹿にしたように、いや馬鹿と断言した。
「ば、馬鹿……?」
あまりのショックに、俺はカチコチに固まってしまった。自分より馬鹿な奴に言われたら、誰だってこうなる。
「IQ的な話じゃないわよ。まあそれでもあたしより悪いけど。あたしが言っているのは、『学力』よ」
「学力って……いやいや! そんなに悪くねーよ! つか、お前なんか赤点ばっかだろうが!」
これには俺も憤慨する。たしかに俺は九十点台なんざ、小学生の時依頼取ったことはない。だがそれでも、学年順位は真ん中らへんだし、どれも平均近い点数だ。
「あたしは原作者になるからべつにいいのよ。でも、あんたは絶対に『公務員』になれないわ」
伊生は冷たい目つきで俺を見る。
「理由はその態度よ」
「態度? 俺の口の悪いのは、お前限定だぞ」
「熱烈な告白ありがとう。でも私が言ってんのはそういうことじゃないわ。あんたの勉強態度についてよ。ろくに勉強、していないでしょ」
「ふざけんな。ちゃんとやって――」
最後まで言おうとして、俺は声が出なくなる。伊生は俺の代わりに答えた。
「平均点取るくらいの勉強、でしょ。そんな勉強に力を入れているわけでもない学校で、大した努力もしない勉強をしているだけど……よく『公務員になりたい』なんて言えるわね。あたしから言わせれば、あんたの方が仕事を舐めているわ」
ズカンと脳に響くような、きつい一言だった。
「…………」
今度固まったのは、認めたくないからではなかった。伊生の言葉を認めてしまったからこそ、何も言えなかった。
平均点くらい取れたらいい。俺は今までそのくらいの気持ちで勉強してきた。だから、俺は上昇志向というものを勉強に関しては持ち合わせていなかった。
安定した収入を得られるから……そんな理由で公務員を選んだが、それがどれほど大変なことか、俺は忘れていた。
「自分がどれだけ浅はかなのか、分かった?」
「悔しいが、お前の言うとおりだよ」
俺は久しぶり、いやもしかしたら初めて伊生に感謝した。
「今日から本格的に勉強するよ」
「よく言った! さすがあたしの幼なじみよ!」
伊生は俺の背中をバンバン叩く。それに気が取られていると、俺の目の前にホッチキスで綴じられた、分厚いプリントの束があった。
「何だこれ?」
「あんたのために用意した、問題集よ。これを全問解ければ、学力アップ間違いなしよ!」
「な、なに! そんなに上質な問題集なのか!?」
「もちろん! さあ、頑張って! 目指せ公務員!」
伊生は俺の将来を応援し、プリントを押しつけるように渡す。
「――ああ、分かったぜ!」
俺は伊生からプリントを受け取った。伊生はうんうんと喜んだ顔になる。
「で、伊生」
「なになに?」
「期限は?」「三日」
答えた後、すぐに伊生は口に手を当てる。途中まで乗ったフリをして様子を見たが、予想通りだった。
「い、いやこれはさ……!」
「――手伝ってやるよ」
「へ?」
「半分やってやるって言ったんだ。さっさとやるぞ」
俺はホッチキスを外し、プリントを半分ずつに分ける。
「え、なんで?」
「少しばかり感謝したからだよ。その礼だ」
相も変わらず嘘をついて、俺に「課題」を押し付けようとしたのは気に入らないが、心に響いたことも事実だ。
「待って」
それを伊生が止める。
「別に借りを作りたいとか思っているわけじゃねえよ。三本の矢とはいかなくても、二本でも十分力を合わせれば――」
「そうじゃなくて……!」
伊生は必死に俺を呼び止める。そして、
「こっちの方が三枚も多いわ!」
「知るかっ!」
やはり二本の矢。伊生は自分から、俺の感謝の気持ちをへし折った。