幼なじみは事情通
「歌音、あんたのことが気になるんだってね」
今日のおかずについて考えながら歩いていると、伊生は息するようにそう言った。
「……ふうん」
頭の中が真っ白になる。気に……なる?
「なに、嬉しくないの?」
「確認しとくが、気になるっていうのはどういう意味での言葉だ?」
こいつのことだ。叙述トリックの可能性は十分にある。
「気になるは気になるでしょ」
「はっきり言え」
「『好き』ってことでしょ」
「……恋愛感情って意味か?」
「そりゃそうでしょ。歌音、うっとりした目で言っていたもん」
「……へえ」
やったあああ! などと喜び舞い上がるほど、俺は馬鹿じゃない。もう一ヶ月前の話だが、俺は見事に、こいつに騙されたからだ。
「疑ってんの?」
「どの口がほざきやがる」
「まだ根に持っているの? お互いさまでしょ」
「俺が騙したみたいな言い方するんじゃねえよ。とにかく、俺はお前のそういう話をもう信じん」
「疑り深いわねえ。人生損するわよ」
「……オオカミ少年の話、知っているか?」
「ああ、あれでしょ? 少年の言葉を信じなかったせいで、けっきょくはみんな狼に襲われたっていう話でしょ」
「なんで村人たちの方をディスってんだよ。嘘つきは救われねえって話だよ」
「心を引き締めろって意味で、嘘をついたと思うんだけど……」
どこまで加害者びいきする気だこいつ……。
「あーもう分かったわ。じゃあ『仮定』の話でいいわ。ならいいでしょ?」
「ああ、それならいいぜ」
暇つぶしだと思えば気が楽だ。俺は伊生のしょうもない「もしも話」に付き合ってやることにした。
「それで、気になるって言われて、どう思う?」
「そりゃ嬉しいよ」
女子から好かれるなんて、たとえ仮の話でも嬉しくないわけがない。
「ふーん。で、付き合うの?」
「好みの相手ならな」
だが、付き合うかどうかは別の話。選り好みできるほど良い男じゃないが、それでも付き合うなら好きになった相手がいい。
「歌音、大きいわよ」
ピクリと耳が動いてしまった。
「へっへへ……体は正直ね……!」
「女騎士を襲うオークみたいな言い方すんな」
「最近のオークは優しいっていう風潮よ」
「知らねえよ」
……落ち着け、ただの「仮定」の話だ。俺は自分の中の欲望を押し殺す。
「で、付き合うの?」
「しつこいなお前……言っただろ。当分恋はいいって」
失恋した後すぐに他の女子と付き合うなんて考えられない。俺は首を横にふった。
「もったいな。あんたを好きだなんて言う人、この先あんたの息子か娘くらいよ」
「それだと『俺の嫁』もじゃねえのか?」
「嫁は……いないわ」
「ああ、亡くなったっていう設定か」
「最低ね!」
「何もしてねえよ!」
仮定の話とはいえ、いつの間にか俺が最悪な人間になっていた。というか、そもそもそんな男に娘を残していくわけがない。親権は間違いなく嫁側にあり、俺は慰謝料+養育費を渡すことになるだろう。
「いや、そんなマジメに考えられると……引くんですけど」
自分から振った話題のくせに、伊生は俺の細かなシミュレーションにドン引きした。
「とにかく、そういうつもりはない。これでいいだろ」
強引に俺は話をしめた。だが伊生は見合い相手をすすめてくる、近所のおばちゃんのごとく、迫ってくる。
「いや本当にいい子よ?」
「あーはいはい。そうだね」
適当に受け流すも、妙なリアリティがあった。もしかして、本当なのか?
「一つ、訊かせろ」
あえて仮定の話に乗ってやろう。俺は伊生に一つ尋ねた。
「なによ?」
「歌音って誰だ?」
ありそうで中々ない、可愛らしい名前。だが俺はその名を学校内で聞いたことはなかった。
「は? 本気で言ってるの?」
呆れたような顔になる伊生。それでも俺は知らなかった。
「あのなあ、俺は女子の名前をすべて把握しているわけじゃないんだよ。クラスだけでもかなり多いのに、学校全体なんか分かるわけねーだろ」
「――ちょっと待って……」
眉間に手を当て、伊生は思案顔になる。そして、
「本気で、知らないの?」
先ほどとは微妙にニュアンスが違う言い方だった。
「いやだから知らな――」
と、言いかけて、俺の中にある一つの「仮定」が浮かんできた。
「もしかして……あの歌音か?」
「イエス」
半信半疑が全疑に変わった瞬間だった。
「伊生……すげえつまらねえ」
途中まで騙されそうになったが、タネが別ればあまりに陳腐な嘘だった。
「まあ、それなりには楽しめたよ。じゃあな」
「本気で知らないの?」
「しつけえな。もうお前が嘘ついたのは知っとるちゅーに――」
「同じクラスよ?」
「は?」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
「いやだから、同じクラスよ。歌音。みんな知っているわよ?」
「……嘘だろ?」
と、言ってみたがここでこんな「つまらない嘘」を言うとは思えなかった。
「ちょっと待て。確認する」
俺はスマホを取り出し、アドレスから数少ない男のクラスメイト、鷺沢くんに電話した。
『もしもし?』
すぐに鷺沢くんは電話に出てくれた。
「あ、鷺沢くん、一つ教えてほしいんだけど……」
「なんでも聞いてよ!」
鷺沢くんは何か嬉しいことがあったのか、かなりテンションが高かった。
「えっとさ、同じクラスに……」
伊生のことは伏せ、俺は鷺沢くんに確認を取った。
『うん。そうだよ! なんだよ今さら~!』
照れくさそうに、鷺沢くんは答える。
「……いや、なんでもないんだ。ありがとう」
俺は礼を言って電話を切った。
「どんだけ学校に興味ないの?」
「うっ……!」
悔しいが、今回は伊生の言う通りだったようだ。
アイドルにそこまで興味のない俺も、テレビとか見ていたら「歌音」の顔や名前をよく見かける。つまり歌音とはそれくらい有名なアイドル歌手だ。
そんな有名人(詳しくは知らん)が自分と同じ学校……しかも同じクラスだなんて……俺は自分の無関心ぶりに恐怖を覚えた。
「まあ、芸能活動で忙しいから、めったに学校に来ないからねえ」
「もしかして、うちの学校ってそういうのに力入れているのか?」
「さあ? でも少なくとも、あたしたちのクラスでは一人だけだと思うわよ。それで、どうするの?」
ドヤ顔で伊生は俺に再び問いかける。
「いやどうするのって……『好き』は嘘だろ」
伊生のことを疑ったのは悪かったが、そこは信じられん。というのも、だ。歌音の存在を知らなかった俺が好かれる理由がない……という至極単純な理由からだ。
「……あっ、もしかして、ネトゲか?」
「そんな偶然、アニメの中だけでしょ」
「じゃあ一目惚れか?」
「ぷっ! 惚れられるような顔だと思っているの?」
「じゃあ何だよ」
一つずつ可能性を消していくことで、自分の首が締められているということは分かっていないらしい。俺は伊生がどこで「降参」するのか楽しみになってきた。
「そんなの、『よく話す』からに決まっているでしょ?」
「ん?」
またもや矛盾に満ち溢れたセリフを口にする。伊生のこういう回りくどいところは苦手だ。
「ひどいわね。数少ない友達でしょ。さっきも話してたじゃない」
「数少ないって……俺の数少ない友達は……」
ピタリと足が止まる。全身から汗という汗が湧き出てきた。
「おっ、その顔は……どうやらやっと気づいたようね」
「――嘘やろ」
変な関西弁になってしまう。伊生はニヤリと笑みを浮かべ、衝撃的すぎる言葉を口にした。
「『アイドルの歌音』は……それはもう、超が百回ついても足りないくらい……可愛い可愛い…………『男の娘』よ」