幼なじみと舐め合う
「好きな人がいるの……!」
誰も何も聞いていないにも関わらず、伊生はある日そんなことを言っていた。そこまではまだいい。
「そういうことだから、分かってね」
だが、次のセリフはまるで「あきらめろ」と言っているような、俺がこいつに告白したみたいな言い方だった。
無論、これが冗談だとは分かっている。だがそれでも俺はイラッとした。
幾千の数ほど言ってきたが、俺は伊生に「そんな感情」を持ったことはない。
「あ、そう」
だから俺は淡々と答えてやった。伊生は不満そうな顔になっていたので、ざまあみろと思った。
それでその話は終わった。だから俺は伊生の好きな男が誰かなんて知らなかったし、そもそも興味がなかった。
「はあ~、弓親くんと奈江がかあ……」
その興味のなかったことが、偶然を積み重ねていく内に、今朝になって判明した。伊生はタガが外れたように、俺に「好きだった男」の名を口にしていた。
「美男美女、お似合いだもんな」
伊生を慰めるというよりは、自分を納得させるために俺はそう言っていた。
弓親剣士。一風変わった名字と名前の、スラリとガタイの良い、同じクラスの男子だ。
部活は新聞部。その理由を尋ねると、弓親は「自分の名前に反抗したかったから」と教えてくれたが、それが「ペンは剣よりも強し」を意味することは、すぐには分からなかった。
何度か話したことはあるが、普通に性格も良い男で、嫌な顔ひとつせずに俺のしょうもない話を聞いてくれる。
顔良しガタイ良し性格良し……そりゃ彼女がいてもなんらおかしくない。
「――ショックで寝込みながらずっと『ベロリス』してたわ」
伊生はひとり語りを始める。嬉しくないことに、ストレス解消法が同じだった。
ちなみに「ベロリス」とは上から降ってくる様々な動物の「舌」を上手いこと組み合わせて、大きな「ベロ」を作っては消す、作っては消していくを繰り返す……ぶっちゃけるとパクリゲーだ。
ネットでの評価はかなり低いが、あることをキッカケに、俺と伊生はこのゲームのヘビーユーザーだった。おそらく世界中でベロリスにハマっているは、俺と伊生くらいなものだろう。
「ちなみにスコアは?」
「百三十万ベロ。あんたは?」
やっていたことは言っていないが、バレてしまったようだ。
「百二十万……」
正直に俺は答えた。
「ふうん」
普段なら「ざっこwww」とか嘲笑しそうなものだったが、伊生はうなずくだけだった。
「……弓親のどこが好きだったんだ?」
死人に鞭打つ……わけではないが、俺は何気なく尋ねた。
「顔」
シンプルイズベスト、予想通りの答えだった。
「相変わらずだな」
「胸見て好きになる奴に言われたくないわね」
「お前の顔の好みって、よく分からねえな」
胸が好きということは否定せず、俺は長年の疑問を口にした。伊生は好きな男は「顔から好きになる」と言っているが、美少年から渋顔まで……ジャンルが幅広い。
「勘違いしているようだから言っておくと、あたしは顔から入るけど好みの顔はないわ」
「……矛盾してね?」
「してないわ。さらに言うならね」
伊生はごほんと咳払いし、今まで俺が疑問に思っていた謎に答えた。
「あたしは笑顔が好きなのよ」
「笑顔?」
「仕草や行動以上に、笑った顔には、その人の『素』が見えるというのがあたしの信条よ。今まで好きになった人たちは、みんな『いい笑顔』だったわ……」
俺は小学校の頃、伊生が好きと言っていた男子の顔を思い出す。たしかに、魅力的な笑顔だった。
「弓親くんも例外なくいい笑顔だったわ……もしかしたら、一番かもしれない」
ここまで言うとはよほど惚れていたのだろう。……ん?
「弓親ってそんなに笑う奴だっけ?」
けっこう話すことはあったが、俺は弓親が笑ったところを見たことがない。
「あったのよねえ……それが」
そんなことも知らないのと、伊生は自慢げに無い胸を張る。
「そう、あれは一週間前のことだったわ……」
「めちゃくちゃ最近じゃねえか」
遠い目をしながら回想を始め出す伊生。完全に自分の世界に入っていた。
「あの日、学校から帰っている途中に忘れ物に気づいたあたしは、急いで教室に戻ったの。もうすっかり日は暮れていて、教室には誰もいないと思っていたわ。でも中から声が聞こえてきたの。それが、弓親くんだったの」
そう言えばその日の晩、伊生の家にご飯をおすそ分けに行った時、変な顔してたな。
「なんだろうと思って、こっそり隙間からのぞいてみたの。すると弓親くん、スマホを耳に当てながら、めっっっちゃくちゃいい笑顔をしていたの……! それを見てあたしは、一瞬で恋に落ちたわ……!」
うっとりとした、漫画的表現でいうなら、伊生はハート目になっていた。
「そこで、話したのか?」
「ううん。見つかりそうになったから逃げたわ」
なんで逃げるんだよ……と思ったが、そういえばこいつは見かけや言動にそぐわないほどシャイだった。
「あぁ……こんなことなら告白しておけばよかった……」
「後悔先立たずだな。……一つ確認するんだが」
「なによ」
「築島さんと、どうするんだ?」
「……あたしが奈江と友達やめたいって、思っているわけ?」
「ただの一般論だ。気にするな」
「――やめたいわよ」
「え?」
意外なセリフだった。
「もちろん、やめないわよ? でも、すぐには前みたいには話せない……」
顔を地面に向かせ、伊生はぼそりと答える。
「正直なやつだな」
「うわっつらの関係ができないだけよ。でも、奈江ならいいとは思っているわ。……それはあんたもでしょ?」
「……まあな」
先日のあの二人の仲睦まじさを思い出すと、俺は本心から二人にはこの先ずっと幸せであってほしいと思った。まさに理想のカップルだ。
「成人式で会う時には、結婚しているかもね」
「子供もいるかも知れないぞ」
俺たちは二人の未来を想像する。
「なあ伊生」
「なに?」
「ベロリス……勝負しねーか?」
「――いいわよ。負けた方は罰ゲームね」
伊生は嬉しそうにうなずいた。
とりあえず、しばらくは恋はいい。俺はほんっとうに久しぶりに、伊生とあ遊ぶ……「傷の舐めあい」をすることにした。
ここでいったんこの「話題」は終わります