幼なじみは走り出す
べつに初恋というわけではない。初恋は幼稚園の時にすでに終わり、今まで何人も女の子に恋をしてきた。
だからといってその恋をしている時は全力全開。そしてそれは今回の場合も同じだった。
特別な理由はないがしいていうなら席が隣だったからだろう。俺は高校に入ってから今日まで、同じクラスの築島奈江さんに特別な感情を抱いていた。
「あ、今年もよろしくー」
二年になって初の登校日。俺は築島さんとまた席が近くになった。
よろしく! 俺はぐっと握りこぶしを作って歓喜した。
去年は色々とタイミングが悪く、けっきょく仲を縮められることはなかったが、今年は違う! 俺は今年中になんとしてでも彼女と恋人……まではいかなくても仲を深めたい! 俺は積極的に彼女に話しかけることにした。
といっても相手は女子。下手な話題は逆効果。だから俺は世界共通、誰もが好きな「漫画」の話をすることにした。
最初は世界で一番売れている漫画から、徐々にどこまでいけるかという「ライン」を探ることにした。
「ほんと? わたしもあの漫画好きなんだ!」
すると意外なことに、築島さんはけっこうな漫画通で、世間じゃマイナーと言われている漫画を知っていた。
ここが攻めどころ……! 俺はその日に古本屋に行き、その作者の別の漫画を全巻購入し、築島さんに貸すことにした。
「あ、ごめん。もう読んだことあるんだ」
まあ、その作戦は失敗したが、俺は確実に築島さんとの距離が縮まっているのを感じ取った。
そして今日、俺はさらなる一歩を踏み出さんと、昼食を一緒に食べないかと誘った。
「あー、それであんたの下心を感じ取られたのね。ご愁傷様」
そこまで聞いた伊生は、俺に合掌した。
「茶化すんじゃねえ築島さんはこう言ったんだよ……」
奥歯を噛みしめ、俺は自らに自覚させるかのように、あの時築島さんが言ったセリフを頭に浮かべた。
「彼と食べるから、ごめん」
たった一言。シンプルかつ的確な「お断り」だった。
その後のことで覚えているのは、妹の作った唐揚げがひどく辛かったことだけだった。昼休みの終わりを告げるチャイムによって、俺は恋が終わったことに気づいた。
「――つーわけだ。満足したか」
一気に説明を終え、だいぶスッキリした。これではっきり吹っ切れる……。俺は築島さんとの思い出を胸の奥にしまいこみ、また明日から普通に築島さんに接しようと決めた。
「…………」
「ん、なんだよ?」
どうせ茶化しに来るに決まっている。そう思っていたが、伊生は何も言い返そうとしなかった。
「うーん、あのさ……」
ようやく伊生は口を開く。よっしゃこいっ! 俺はぐっと腹に力を込め、罵詈雑言に対する覚悟を決めた。
「普通、言うかなあ?」
「何をだよ……?」
「だから……ま、いっか。あたしには関係ないし」
「ちょっ、思わせぶりなこと言うのやめろよ。はっきり言えよ」
もしかして、俺の知らない何かがあるのか? 俺はゴクリとつばを飲み込み、伊生の言葉の先を聞こうとした。
「あー、だから……仕方ないなあ」
伊生は根負けし、スマホを取り出した。
「……あ、もしもし?」
画面をタッチして、伊生は耳元にスマホを当てる。誰かに電話を始めたようだ。
「ちょっと訊きたいんだけ……うん……そうそう……」
小声で何を言っているのか上手く聞き取れない。しばらくして伊生はお礼を言って通話をやめた。
「誰に電話したんだ?」
「奈江に」
「……は?」
全身から汗がわきでてくる。
「い、いったい何を……!」
「『奈江、あんた彼氏いるの?』って」
「やめてくれよおお!」
周りに誰かいるかなんて関係なく、俺は叫んだ。
「こ。このドS女め……! 死体に塩塗って鉄板の上で焼くようなことしやがって!」
「最大限に利用してると思うけど?」
「こ、言葉の綾だ! とにかく、なーんでお前はそういうことを平然とできんのよ?」
せっかく覚悟を決めようかと思っていたのに、一気に台無しになった。俺は耳を塞ぎ、伊生から発せられる声を遮断しようとした。が、時すでに遅し。伊生は音速で俺に言った。
「奈江、彼氏いないわよ」
人間、あまりにショッキングな言葉を聞くと、自動的に脳にジャミングがかかるようになっている。そのことを俺は身をもって知った。
「あの、君島さん……もう一度お願いできる?」
「彼氏、いないわよ」
今度ははっきりと聞き取れた。俺は唖然となった。
「いやだって……彼と食べるってちゃんと……」
と、そこで俺の頭にある仮説が浮かんだ。俺はおそるおそる、伊生に確認を取った。
「聞き間違え?」「その通りよ」
伊生は即答し、補足説明をした。
「昼休みに誰とご飯を食べたのって訊いたら、奈江はこう答えたわ。『花蓮と食べたけど』って」
「花蓮……?」
「あんたの隣の席の子でしょうが。双山花蓮」
「そういやそういう名前だったような……えぇ、でも……聞き間違うかあ?」
彼とカレン……アクセントは似ているが、聞き間違うとは思えない。
「人間の脳っていうのはけっこう馬鹿なもんよ。見えていても聞こえていても、『勘違い』は絶対に起きるわ。それはあたしたちが『身をもって』知っていることでしょ?」
「……それは、たしかにあるな」
認めたくないが、伊生の言うとおりだった。「ただ話しているだけ」で曲解するやつを、俺は去年多く見てきた。
「本当なんだな?」
「……」
伊生は珍しく曇りなき眼で答える。嘘をついてなさそうだ。
「そっか……ふう」
張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れる。俺は膝から崩れ落ちそうなのを、壁にもたれかかって耐えた。
「良かったわねー。首の皮一枚でつながって」
「ああ。本当に良かったぜ。その……ありがとな」
俺は膝に手をつき、伊生に最大限の礼を述べた。もしも伊生が電話してくれなかったら、俺は勝手に勘違いして、自暴自棄になって、「悲劇のヒロイン」を演じるところだった。
「ふっ、いいわよそんなの……はい」
伊生は右手を俺に差し出す。
「何も無いけど?」
「救済料。千円でいいわ」
……天使なわけないか。こいつが俺のみならず、「無償の奉仕」をするなんて考えられない。
「――ほらよ」
財布の中から五百円玉を二枚取り出し、俺は伊生に投げる。
「まいど」
伊生は躊躇なく、五百円玉を二枚受け取った。情報の重要さに比べれば、安いものだ。俺は今月の小遣いが全部失くなっても、満足だった。
さあて、明日からどうやって築島さんにアタックをかけよう。家に着くうまであと少しの間、俺は再び生まれた希望ある未来に心を弾ませた。
「あれ、伊生ちゃん!」
俺の想いが届いたのか、超絶グッドなタイミングで、背後から想い人の声がした。
「あ、奈江……!」
精神を整えている俺の横で、伊生はなぜか気まずそうな声を出した。
「ぐ、偶然ね!」
「そうだねー、それにしてもやっぱり二人って仲いいんだね」
まだ背後を振り返れないが、築島さんのニヤニヤした顔がまざまざと浮かんできた。
あ、これはまずいやつだ! せっかく再びチャンスが戻ってきたのに、これでは意味がない。俺は築島さんの誤解を解こうと、ぐいっと身体をひねった。
「築島さん! その――…………え?」
身体をひねった状態で、俺は動きを止める。あ、あれ……あれ?
これも俺の勘違いなのだろうか? ――いや、こんな至近距離で「聞き間違う」ことはあっても、「見間違う」なんてこと、あるだろうか?
「…………」「じゃね、また明日!」
「あ、はい……」
ずっと俺が黙っていると、築島さんは手を振って右側の道へと歩き出す。
「あの、築島さん」
俺は裏返った声を出し、築島さんを呼び止める。
「なに?」
「あの、その……えっと……」
そこから先の言葉が上手く出ない。というか出したくなかった。
「どうしたの?」
俺は築島さんを、築島さんの「左」を指差し、こう訊いていた。
「双山さんですか?」「いや違うけど……?」
野太く、そして渋い声だった。
「あはは、同じクラスなのに変なの! じゃね、二人とも。行こっ、剣くん」
「あ、ああ……じゃな」
築島さんは弓親剣の右手を掴み、仲よく一緒に歩いて行った。
それはどう見ても「伊生が築島さんと電話を終えてから五分たらず」で出来上がったような、関係には見えなかった。
二人の姿が見えなくなる。俺は首を伊生に向ける。伊生の目は上下左右に泳いでいた。
「――伊生、何か言い残すこと、あるか?」
それで俺はすべてを察した。伊生は観念したように、それでいて開き直ったように笑みを浮かべ、
「……いい夢見れた?」
と言って脱兎のごとく走り出した。
「てめっ……くそっ!」
すぐさま追いかけようとするも、足に力が入らなかった。
足だけじゃない。俺はもう、その場に立っていることすら危うい状態だった。
今度こそ間違いなく、俺の恋は終わりを告げた――。