詩を書いたら自分を手放せた
リハビリのつもりで詩を書いた
自分の気持ちに気付く
自分の気持ちを言葉にする
その練習のつもりで
詩
どんな形でもいいんだって
ルールはないんだって
ろくに読んだこともないけど
思いの丈を書きなぐった
読んでくれる人はいなくてもいい
そんな風に強がって
実際は気にして
初めて評価されたときは嬉しくて
次に評価されないことが怖くなった
怖くなったら
こだわりだして
こだわりだしたら
自分の気持ちが分からなくなって
詩を作るのもつまらなくなって
見てくれる人も少なくなった
やめようかな
そう思ったけど
何となく
何となく
詩を書いた
自分のために
自分に読ませたい詩を
思いがけずに評価された
いまいいちの出来でも評価された
なーんだ
私が一生懸命やろうが
無い脳味噌をフル回転させようが
関係ないんだ
そう思ったら
気楽になった
気楽になったら
詩を作るのが
楽しくなった
自分が作った詩が
投稿されて人の目にさらされた瞬間
私の詩は私のものでは無くなる
読んだ人のものになる
私のものでは無いから
どう評価されようが構わない
そんな感覚になった
詩は私の一部であったのに
私から離れた瞬間に
もう私とは全く関係ないものになる
詩を書くことで
私は私を手放せた
私が一歩歩くごとに
残された私の残像を
人は見ている
そんな風に思うようになった
私が私だと思う私と
人が見る私は別物だ
人が見る私がどう評価されようが
私には関係ないんだ
過去の詩を読み返しても
作り出した時のように
心が動かされることもないし
理解すら難しいこともある
私が作り出したことは覚えているのに
作り出した時の感覚は覚えていない
私を理解できるのは
その時の私だけ
詩は
私が私を理解した証だ
私ですら残像の私を理解出来ないのに
人が私を理解できるはずがない
私が一生懸命生きても
無い脳味噌をフル回転させて生きようとしても
人の評価にそれは
関係ないんだ