髪飾りと病
例の夜会は2週間後にある。
アスキスはコリーヌにせっつかれ、いやいやドレスの仮縫いに時間を割いていた。
瞳にあわせたブルーグリーンのシフォンをたっぷりと何枚も重ね繊細なレースを袖口とスカートの裾に控えめにあしらった上品なドレスだ。
胸元はレースを使い上手く隠れてはいるがアスキスの美しいデコルテを強調するようにあいている。
「ねぇコリーヌ、もっと首もとが詰まっていてはダメなの?」
アスキスは鏡にうつる自分を一瞥すると言った。
「お嬢様、これくらい大したことありません。他のお嬢様達はもっと胸を強調したデザインばかりでございます」
コリーヌはアスキスの訴えなどまったく耳を貸さない。
「それにこのシフォンもレースも贅沢に使いすぎじゃないかしら?たっぷり二着分はあるんじゃないの?これを半分にすれば薬の材料がもっと買えるわぁ」
アスキスのおよそ令嬢らしくない呟きが続く。
「アスキスお嬢様、たしかに王族に比べればバルトリ伯爵家は下位貴族でございます。ですが王族を除いた貴族の中では由緒正しく更に財力も揺るぎない、伯爵位以上の貴族も無視できない力ある伯爵家でございます。それゆえお嬢様のわがままもいままで許されてきたのでございます。今回はどうしてもバルトリ伯爵家らしい装いでお出ししなくてはなりません。アスキスお嬢様はこれを機会にご自身の身の振り方をお考えくださいませ」
「お兄達がきちんとされてるから大丈夫よ」
アスキスには同じく見目のよい兄が二人いた。
「……アスキスお嬢様っ!ティメオ様が奥様を迎えられたらお嬢様はこちらに居にくくなりますでしょうに……」
アスキスを心配するあまりコリーヌから思わず本音がでてしまう。
「コリーヌって容赦ないわよね。わかってるわよ。だから薬のお金は将来の為に貯めてるじゃない?お兄様に代替わりしたらお父様の隠居について領地に引き込もるのが私の夢よ。領地でハーブをもっと育てて薬の納品くらいは王都にくるわよ。それかフランソワお兄様がどこか爵位持ちのお嬢様がみつからなければ二人で王都の小さな屋敷でも借りてもいいし」
相変わらずの主人の言葉にコリーヌはため息をついた。
「お二方ともに常に引く手あまたでございます。アスキスお嬢様可愛さに遠慮されてるのですよ。さ、ついでにもう二、三着ドレスを作ってしまいますよ」
コリーヌは主人の言葉を戯れ言と切り捨て自身の目的を告げた。
「えっ?いやぁよ!一着で十分だわ。私、今日は薬の納品もあるから忙しいわ」
逃げようとするアスキスにコリーヌは重々しく言った。
「このドレスの仮縫いで他のドレスは十分お作りできますからご心配なく。ところであんなに沢山の製品をお嬢様お一人でどうやってお持ちになるのでしょうか?」
アスキスはお手上げとばかりにゆっくりと振り返った。
「意地悪ねコリーヌ。近くまで馬車を出してよ。そしたら夜会には愛想良く出席するわ」
「ええかしこまりました。そろそろ町娘の真似事もお忍びも潮時とは存じますが……今回はお手配し旦那様のお許しもいただいておきましょう。そのかわり夜会では壁の花になろうとしたりお庭に逃げたりなさいませぬようお願い申し上げます」
コリーヌが宣言しアスキスは項垂れた。
「……わかったわ」
しばらくしていつものように町娘マリーに扮したアスキスはノエルの待つ雑貨店の扉をノックしていた。
「こんにちはノエル。ちょっと遅くなってごめんなさい。今回は多かったからあそこにまとめて置いてるの。運ぶのを手伝ってもらえる?」
淡く微笑むアスキスにノエルはまぶしさを覚える。
「マリーありがとう。もちろん運ぶよ。どうやって持ってくるのか心配してたんだ。言ってくれればいつでも取りにいくと言ってるのに」
「大丈夫、家の人にここまで運んでもらったから」
ノエルは彼女が立派な馬車で薬もろとも運ばれてきたのはわかっていた。
わかりやすく慌てる彼女が可愛いらしくてさらに尋ねてしまう。
「お家の人は?お茶くらいだすよ?」
アスキスは目を泳がせながら答える。
「う、ええ、用事があってもういったの。家族はいつも薬を高値で買ってもらってノエルに感謝してるわ」
「ふーんそれならいいけど」
ノエルは手際よく薬の重い包みのいくつかを店に運びこんだ。
アスキスはそんなノエルを今日も彼は素敵だなとぼんやりと思う。
「さ、全部運んだよ。マリー今日は君にプレゼントがある」
男性から贈り物などされたことのないアスキスはその言葉だけで心臓がうるさくなってくる。
「いつも美味しいものをプレゼントしてもらってるわ」
「うん、もちろん甘いものも用意してあるよ。今回の夜会騒動で貴族のご令嬢向けに僕のお店でも髪飾りを結構仕入れてね。ほらマリーのハーブ水とクリームを売るついでに見せれば一緒に買うお嬢様も多いからさ」
そう言ってノエルが取り出した髪飾りは深い鮮やかなブルーグリーンの澄んだトルマリン、濃いグリーンのエメラルド、オリーブグリーンのペリドットを巧みにグラデーションになるように葉の形にあしらった繊細な意匠の髪飾り。
普段めったにドレスや髪飾りに興味を持たないアスキスでも一目で上質な品だとわかる品で思わず目を奪われた。
「綺麗……でもこんな高価なものもらえないわ。私何もお返しできないもの」
アスキスはその髪飾りから目が離せない。
「世の女性はこういった物で気持ちが癒されるのだろう?僕はマリーにも癒しがあればいいなと思うんだ」
「そ、そうね。私は薬で人を癒していきたいと思っているけど。癒しってこんな形のアプローチもあるのよね。多くの女性にはある意味とても有効な治療薬だわね。ただやっぱりこんな高価なものいただけないわ」
ノエルはアスキスの薬剤師としての真摯な思いと髪飾りへの女性らしい反応に手応えをかんじながら言う。
「実は僕はマリーにしか作れない薬で癒しを待っている人物を知っているんだ」
「私の薬を?どんな病気なの?」
とたんにアスキスは眉を寄せて心配顔だ。
「胸がキリキリと締め付けられるようにいたんだり、突然顔が赤らんだりして夜もよく眠れないらしい。最近特に悪くなってきているそうなんだよ。よかったらこの髪飾りの代金の代わりだと思って薬を作ってくれないか?」
ノエル自身が胸に手をあてながら説明する。
「まぁ、それは心配だわ。薬ならすぐに作るから、早く届けてあげて」
アスキスの予想通りの答えにノエルはさらに告げる。
「ありがとうマリー。実は一つ問題があってね、どうにかして薬をお屋敷に届けたいが病気の彼はマイエンヌ公爵のお屋敷にいるんだ。マイエンヌ公爵と言えば王族に準ずるからね。出入りの業者も極限られていて僕なんか入りこめないんだよ。何かつてでもあればいいんだが……」
「マイエンヌ公爵……そうね、つてがなくもないわ……」
アスキスは偶然マイエンヌ公爵の屋敷でひらかれる夜会を思った。
「マリー本当かい?」
「え、ええ、なんとか。その病気の方はマイエンヌ公爵のお屋敷で働いてるの?」
「ああ、彼は庭師でね。マイエンヌ公爵のお屋敷の庭園はそれは見事だそうでね。彼は大抵庭園の薔薇を手入れしていると思うよ」
「お庭に行けば会えるかしら?」
「うん、庭の薔薇のそばに彼はきっといるよ」