届いた招待状
穏やかな春の日の午後、アスキスは冷めた紅茶を一口飲むとマイエンヌ公爵家の家紋の封蝋が押された手紙を訝しげに見た。
既に開封して何度も読んだそれは王弟であるマイエンヌ公爵家からの招待状だ。
曲がりなりにも王族からの招待で下位貴族のアスキスには断れるはずもない夜会だ。
18歳で遅めの社交界デビューをはたしたその一度しか夜会に参加せず、表向きは病弱な事にして引きこもり続けて早三年。
今年21歳になるアスキスには当に夜会の招待状など届かなくなっていた。
「ねぇ、何かの間違いじゃないかしら?うちに夜会の招待状がくるなんておかしくない?」
アスキスは二つ年上で姉のような存在の侍女のコリーヌに呑気に問いかける。
コリーヌはため息をつきながら恵まれた容姿を持ちながら自覚がなく、年頃の娘が熱中することには全く興味を示さないアスキスを見た。
真っ白な肌に卵形の小さな顔。澄んだブルーグリーンの瞳は長い睫毛に縁取られている。
小さな口元は瑞々しくふっくらとしており、まるで薔薇の蕾のようだ。
みごとなプラチナブロンドの髪は普段は結い上げることなくゆったりと下ろされている。
同じ年頃の娘がお相手探しやドレスの事で頭いっぱいなのに対してアスキスの頭の中は薬の研究でいっぱいだった。
毎日研究用に使っている部屋に籠りがちで、嬉々として外に出かけるかと思えば森へ薬の材料になる野草を取りに行くか、街へ薬の材料になる材料を買いに行くか薬を売りに行くかで貴族の令嬢らしいお茶会や夜会へのお出かけはほぼなかった。
「アスキスお嬢様、おかしくございません。これは内々に王太子妃を選定する重要な夜会でございます。国中の適齢の貴族令嬢に声がかけられております」
「だったら私一人くらい出なくもわからないんじゃないかしら」
アスキスは街の雑貨屋で手に入れるお気に入りのクッキーを一つつまむと行儀悪く口にほうり込みながら呟く。
「お嬢様、これは王宮主催の夜会に匹敵する会でございますからお断りするなどもっての他です。四の五の仰らず準備にとりかかりますよ。お茶を召し上がりましたらドレスの採寸をいたしますよ」
コリーヌは美しくも世の中からは多少ずれた愛すべき妹とも言うべき主人の為にお茶をいれなおした。
そしてこのアスキスにどんなドレスを仕立てるか頭を悩ませる。
コリーヌの実家は王都では知られた仕立屋である。 コリーヌ自身も優れた仕立ての腕を持つが、変わり者のアスキスにドレスを仕立てる機会は少なかった。
実家に聞くと今回の夜会に向けてすでに多くの令嬢から贅をつくしたドレスの注文が沢山入っているという。
ひそかに焦りを感じつつほっそりとしたアスキスの身体を細かく採寸しながらドレスの構想を練るコリーヌであった。
念入りな採寸の後アスキスは街へ忍んで行った。
急ぎの注文を受けていた薬を雑貨屋に納めに行くためだ。
アスキスの薬はよく効くと評判だった。
特に薬で稼ぎたいわけではないが納めにいくたびに次の注文を受けてしまっている。
いつものように街娘のような格好で雑貨屋を訪ねる。雑貨屋の主人ノエルは代替わりしたばかりで年の頃は25、6歳で身長は高くよく見ると身体も鍛えてあるようだ。艶やかな黒髪に紫がかった瞳で鼻筋の通った整った顔立ちだが意外にも菓子作りの得意な青年だ。また雑貨屋の主人にはそぐわないほどの美男子にも関わらず性格は飾らず温厚だった。
アスキスが薬を納めに行くと薬の代金の他に彼お手製のサクサクのクッキーや季節の果物のタルトなど
何かしらお土産を持たせてくれた。
まるで彼の人柄そのままのような素朴な菓子はアスキスの大好物になり近頃は彼のお菓子を何よりも楽しみに通っている。
「こんにちはノエル、薬を持ってきたわ」
アスキスはすっかりなじんだ雑貨屋のドアを開けて声をかける。
「やぁマリー。ありがとう助かるよ。実はもう次の注文が入っているんだ」
街へいくときにはアスキスは自身の身分を隠し街娘マリーとして振る舞っていた。