幼馴染み3
聞こえて来た声は、確かに明日香だった。
しかし、僕には背後にいる女性が、明日香だという確信が持てなかった。
「明日香……?」
確かめるように、よそよそしく名前を呼びながら、後ろを振り向いた。
寒空の下、一人の女性の姿があった。
その女性は、僕と一緒で走っていたのか
両手を内股にした膝に置いて、勢いよく白い息を吐き出している。
顔は見えない。
頭を俯かせているために、胸まで伸びる赤茶げた髪が邪魔をしていた。
それでも、線の細いきゃしゃな体が
やはり、その女性は明日香だと僕に教えた。
目の前にいるのは、紛れもない明日香だった。
だが、目に飛び込んで来たその明日香を見て
僕は目を丸くした。
幼馴染みの明日香とは、幼稚園のときからずっと一緒だった。
お互いの親同士が仲がよく、昔はよく家を行き来するほどの仲だった。
しかし、僕等が歳を重ねるにつれて、それは極端に減っていった。
なんとなく、明日香の家に行くのが、気まずく思えてきたからだ。
思春期というものなのだろう。
高校生になり、同じクラスになったが、今では話しも余りしなくなった。
会話は減ったが、明日香とは長い付き合いだ。
明日香のことなら、すこし以上に知っているつもりだった。
遅刻など、絶対にするような女性ではない。
こんな時間に、学校の教室以外で彼女を見たことがないほどだ。
今僕の目の前にいるということは、限りなく遅刻になるということ……。
だから僕は、目を丸くして驚いたのだ。
「寝坊しちゃった」
顔を上げた明日香が、屈託の無い笑顔で言った。
その笑顔は、学校でも何人もの男達を虜にした笑顔である。
僕は何度か、そういう男達から仲介を頼まれたことがある。
人気があった。
幼馴染みだからか、僕は一度も明日香をそういう目で見たことはない。
「寝坊〜?おまえでも寝坊することあるんだ〜」
からかうような口調で、言葉を返した。
「なによ……翔こそ何ニヤニヤしてたの?」
「なんでもね〜」
言ったところで、理解しては貰えない
そう思ったから、理由を話さなかった。
「ふ〜ん」
それが不満だったのか、明日香は不機嫌そうに、少しだけ口を尖らせた。
それから二人で、学校への道を歩きだす。
明日香も遅刻を覚悟したのだろう。
僕のだらし無く遅い歩きに合わせるよに、隣を歩いている。
その鼻からは、流行りの歌のメロディーが、微かに漏れていた。
「な〜、これどう思う?」
少し歩いたところで、僕はそう訊いた。
「なに?」
明日香は眉を少し上げ、僕の方を振り向いた。
僕は明日香の顔の前に、黒い糸の結ばれた右手を差し出した。
「なによいきなり!?」
「だから、俺の小指どう思うかって!」
なぜか嬉しそうだった明日香の表情は、みるみる雲っていった……。