黒い糸2
その黒い糸は、蜘蛛が吐き出す糸のように
とても細く見えた。
両側から軽く力を加えるだけで、すぐに切れてしまいそうなその糸は
それが当然のように、僕の小指に絡まっていた。
まるでその糸に気づかなかっただけで
昔から僕の小指に絡まっていたような
寝起きで働かない頭は、そんなありえない錯覚を思い描かせた。
僕は鼻を鳴らすと、まだ覚束ない左手で、その糸を外そうとした。
そして、あることに気が付いた。
その黒い糸は、絡まっているのでは無く、結ばれているということに
僕は眉を少し寄せ
結ばれてるのか?
そう思いながら、黒い糸を見つめた。
すると、すべてを吸い込むような漆黒の色が、僕の心を不安へと誘った。
そして、その不安は、糸の先をたどることで、急速に増していった。
「え!?うそだろ……」
僕はそう呟いて、目を見開き糸の先を見つめた。
視線の先には、糸が続いていた。
その糸が、ドアをすり抜けていたのだ。
理不尽なビジョンは、僕の心を揺さぶった。
「うえ!……なっなんだよこれ!」
一瞬、時が止まったように動けなくなり、慌てて結び目を探した。
もちろん、その黒い糸を指から外すためだ。
「あれ、ない?……ない!?……ない〜!!?」
必死に結び目を探すが、いくら探しても見つからなかった。
見つからないというより、結び目が無いと言ったほうが正しかった。
「ちょっ、ちょっと待てって、なに!?」
不安はどんどん大きくなっていった。
僕は焦りながら、部屋中を見渡した。
焦点の合わない視線は、勉強机の所で止まり
机の上に置かれた鉛筆だてで定まった。
鉛筆だてのなかには、朝日を受けて微かに光る
鋭利な刃物が存在を主張していた。
「おお!ハサミだ!ハサミだよ〜」
微かに光るハサミが、僕には神々しくさえ見え
それは心に芽生えた不安を、一瞬で消し去り
僕を安堵させた。
いくら結び目が無くても、ハサミで糸を切ればいいのだから。
そのこと気づいたからだ。
震える手でハサミをしっかり掴むと、恐る恐る刃の間を糸に合わせた。
そして僕は、瞼を閉じると、勢いよく刃の間を交じり合わせた。
しかし
「う……うそだろ〜」
ゆっくり開いた、瞼の奥に見えて来た物は
ハサミの刃を理不尽にすり抜ける
黒い糸だった。
黒い糸は、なんどハサミで切ろうとしても、切ることが出来なかった。
僕は今、鏡を見なくても想像が出来た。
自分の顔が引き攣っていることを。
11月も半ばだというのに、額からは、汗が流れだしている。
結び目も無く、ハサミで切ることの出来ないその黒い糸は
僕に恐怖を植え付けた。