国語教師3
見られている……。
そう実感したとき、僕の体は動かなくなった。
金縛りにあったように動けなかった。
手の平にはじっとりと、脂汗が噴き出している。
それでいて背中には、空調が効いた教室だというのに、寒気が走った。
蛇に睨まれた蛙の心境というのを、初めて知ったような気がする。
僕の耳には、金田の声が聞こえていた。
その声は聴覚を刺激するだけで、頭では理解することが出来なかった。
教室のなかに、教壇に立つ佐伯と、二人だけしかいないような……
僕は今、そんな不思議な感覚に囚われている。
佐伯の目は、僕にそう思わせるほど、冷たい視線をしていたのだ。
僕はその視線に、心をわしづかみにされたような気持ちになった。
佐伯の視線が動いたのは、そう思ったときだった。
導かれるように、佐伯の視線を追った。
その視線は、思いも寄らないところで止る。
僕は目を見開た。
佐伯の目も幾分大きくなったように思えた。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
あの杜子春とあだ名を就けられるほど、動揺することのない佐伯が
黒目を小刻みに動かし、動揺したのだ。
僕は見逃さなかった。
それに気付いたのは、僕だけだっただろう。
佐伯の授業を聞く者など、この教室には一人もいないのだから。
だが、僕が目を見開いたのは、佐伯が動揺したからではなかった。
佐伯の視線が止まった場所に、驚いたのだ。
なぜならその視線は、僕の右手に注がれていたのだから……。
糸が結ばれた右手に。
僕はそのことに気付き、机の上に置かれた右手に、視線を落とした。
そしてとっさに、右手の上に左手を重ね合わせた。
重ねた後で、また佐伯に視線を戻した。
すると、僕が視線を戻したときには
すでに佐伯は、あらぬ方向に顔を向けていた。
『気のせいのか?』
頭のなかで呟いた。
「聞いてるか〜!?」
突然、金田の声が大きく聞こえ、僕は我に帰った。
実際には大きな声ではなかったのだが
金田の声が聞こえないほどに、集中していたのだ。
「あ…あ〜」
「あ〜って、どうする?」
「どうするって?」
僕には、金田の話しの内容が見えて来なかった。
当然である、話しなど聞いていなかったのだから。
「聞いてなかったのか!?これだよ〜」
金田は片方の目だけをつぶり、ため息を吐いた。
そして話しを続けた。
「だからさ、マリコが今日の放課後、サッカー部の達也に告るんだと」
達也は校内でも有名だ、次期キャプテンと噂されるほどサッカーが上手く
それでいて、頭も良く顔も良い。
そこまで揃うと、自然に女子の人気も高かった。
しかし……
「マリコ?」
僕はマリコという名前に、覚えがなかった。
頭の中から、必死にマリコの記憶を探した。
だが、やはりマリコという名の記憶は、僕の頭の中になかった。