海賊カレーと幽霊の晩餐
ヴィカーリオ海賊団では、毎週金曜日の夕食はカレーと決まっている。乾燥させておいた肉を茹でて戻して作るビーフやポークのカレー。時々チキンカレーだったり。肉のストックがないと海鮮カレーになる。どれも僕好みにスパイスが効いていて、こっそりこの金曜を楽しみにしている。ヴィカーリオ海賊団に入って本当に良かったと思える事の一つは、料理人ジョンと出会えた事で間違いない。
彼の作る料理は兎に角美味い。全てが保存食である乾物などから作られているとは思えぬ程の口当たり。香辛料や東の方の調味料を使った料理のレパートリーはとんでもなく多く、なかなか同じ食事が並ぶ事はない。船員からのリクエストは受け付けているものの、食材が揃わない時はなかなか希望通りのメニューになる事はない。港に停泊している間はそのリクエストが良く通るので、船員の中には港に着いても船の中にいる者が少なくない。
その週の金曜も、皆が待ちかねたカレーの日だった。
食堂には炊き上げられた白米と、焼き上げられたナンと言う薄べったいパンとカレーの鍋が並べられ、好きなだけ取って食べるビュッフェ形式が取られている。僕は白米を皿によそってカレーをたっぷりかけて席に着いた。皆口々に「いただきます」と挨拶してから食事をとる。それはジョンの生まれた国の風習らしいが、今ではヴィカーリオの食事前の挨拶みたいになっていた。
食材の命を、いただきます。
「いただきます」
手を合わせてそう言って、スプーンを取ってカレーを口に運ぶ。白米は少な目。カレーに泳ぐくらいで良い。今日のカレーは細かく刻まれたビーフのカレー。舌を刺すような刺激、香辛料の香るカレーは本当に美味しい。
「ようメーヴォ、横座るぜ」
カタンと皿を置いて、ラースが横の席に座った。
「どうした」
「たまには横で飯もいいかなぁって」
ラースの皿にはナンが乗っていて、スープ皿にカレーが乗っていた。
「なあラース。そのパンって美味しいか?」
「食べたことねぇの?」
「この白米が結構美味しくて、そっちにはまだ手を出してないんだ」
「勿体ねぇ!そっちの半分寄越せよ。こっちの半分くれてやっから」
「そんなに美味しいか?」
「絶対ハマる」
結局二人でカレーの具材は何が良いかとか話しながら食事をした。半分もらったナンはモチモチしつつも、焼き目のついたところがサクサクしていて香ばしくて、凄く美味しかった。来週の金曜は絶対にナンを食べよう。
と、思った翌週の水曜日。翌々日にカレーの日を控えていたジョンが船長室を訪れた。たまたまラースに用があった僕はその報告を横で聞いていた。
「アカン船長。食料が足りへん。特に肉魚介類が足りん」
スァッと僕とラースの血の気が引くような音を聞いた気がした。
「マジか!じゃあこのまま行ったら」
「金曜のカレーの日にはみんなようさん食いよるから食料が足りん。カレーが作れん!」
「困る!凄く困る!」
僕は今度こそナンでカレーを食べると決めていたのに!
「ジョン、カレーを作るのに何が足りねぇんだ」
「カレーは出来んでもないが、具材になるもんが少なすぎや。こないだ船長が竜になった時にようさん食ったけぇ、出汁の取れるもんが不足してんねん」
先日の海神からの依頼の件だ。あの時のラースは一人で五人前の食事をしていたし、宝探しの際に余計な滞在期間が増えた事も食料が不足した原因だろう。
「カレーの日をやめにして質素生活していきゃ、何とか次の港まではもつんやろが、なんせ金曜が潰れるとなっちゃあ士気に関わんら?」
「幽霊船みたいになっちまうな、確かに」
僕は本棚にあったこの海域の地図を手に取って、机の上に広げていた。船に乗ってからこちら、銃砲類の管理の傍ら海図の読み方や航路の取り方を少しだが覚えた。
「此処だ。今からの航路なら……この辺りの無人島だろうけど、探索できないか?」
「その海域か……そこら辺なら暖流かなんかが流れてて魚も多そうだな。寄り道するならこの辺りが良さそうだな……」
海図を見ながらラースも真剣な顔で航路を考えているようだ。
「よし、航路変更だ!」
こうして僕らは航海途中で、とある無人島に立ち寄った。そこであんな出来事に巻き込まれるとは思っても見なかった!
アララト諸島。そこには世界の全ての生き物が存在していると、ある生物学者が言った自然豊かな諸島郡。豊か過ぎる自然ゆえに、人がそこで生活をするにはあまりにも脆弱で、ジャングルは獣たちの楽園となっている。暖流が流れ込む海には豊富な種の魚が存在する。また陸地にも豊かな生態系をはぐくんでおり、遠泳航海をしている船乗りたちの最後の補給所とも言える。
ただし、陸にも海にも強者は存在するので、生半の腕で安易に食料品が確保出来ると思ったら大間違いだ。本当に逼迫した食糧事情にならない限り、滅多な事で船乗りはこの海域に近寄らない。
だが、今我らヴィカーリオ海賊団はその逼迫した状況に置かれている。危険が待ちかまえていると知りながら、アララト諸島の中の比較的大きな島に上陸した。
船長ラースと僕、料理人のジョン、あと調理担当部から二名の五人で森の中に入り、残りの船員たちは船で釣りと、素潜りが得意な者で海の探索に当たる。船医マルトの驚異的な肺活量と風の魔法を駆使した素潜りで、どれだけの魚を採ってくれるか今から楽しみだ、とジョンが笑っていた。銛のような槍を持ったマルトが何とも頼もしく見えたものだ。
「よぉし、各員解散!森の探索部隊は出発だ!」
どうぞ気を付けて、と言って見送ってくれたマルトから、飲み薬一式(解毒・気付け・麻痺抜き・胃薬他)の携帯セットを受け取り、僕らは早朝の森へと足を踏み入れた。
そこは木々の合間から木漏れ日の射す美しいジャングルだった。しかし何処からともなく聞こえる鳥の鳴き声と、一時たりとも切れない何らかの視線を感じる。言い知れぬ緊張感がある朝靄の中、ジョンとその部下の料理班二名は周囲の空気を気にする事なく、道すがら見つけた果実や野草を収穫している。
「豪気だな……」
「アイツらにとっちゃ此処は食材の宝庫ってこったな」
おもちゃ箱の中を漁る子供の様に目を輝かせる料理班の無邪気さと強靱さには恐れ入る。
「水の音がしよる」
ジョンが先頭を切って足を速める。後を追えば、程なく川の畔へと辿り着いた。水嵩が中々にある大きな川だ。途端、魚が大きく流れに沿って跳ね上がった。
「しめた!サーモンや!」
ジョンが喜び勇んで川へ飛び出そうとした瞬間、ラースがその腕を取った。
「待て、先客が居る」
「なんやて?」
「見ろ、対岸の川下だ」
対岸の川辺に五人ほどの集団がいる。身なりからして同業者、海賊のようにも見える。しかしその絵面に違和感を感じるのは何故だ。
「おぉー……あのイケメン揃いの集団は間違いなく翠鳥だな」
感心するような声を上げるラースに僕も目を凝らして見れば、確かにジャングルに不釣合いな顔の良い男たちが汗だくになってサーモンを獲っている、何とも不思議な光景が広がっていた。その奥にのそりと黒い影が動いた。
「船長、アカンで、グリズリーや!ホレ、川下の方にいんら!」
「おぉっと、恩は売っておくべきかねぇ」
「こんな所からどうする」
「近くまで走るかな!」
バッと走り出したラースに続いて、僕たちも藪を抜けて走り出す。足場の悪い川辺で、大きめの岩を飛ぶように走り抜ける。走りながらラースが銃を構えて一発撃つ。その銃声に翠鳥の面々が一斉に此方へ視線を投げた。ラースの弾丸がグリズリーの額を掠めて注意を逸らした瞬間に、僕は手持ちの小型爆弾をヴィーボスカラートで着火しつつ、弾き飛ばす。パチィンと音を立てて着火した爆弾が宙を舞い、グリズリーの頭の上で破裂した。悲鳴を上げたグリズリーに、料理人とは思えないスピードで瞬歩したジョンが懐に入り込み、一太刀閃かせる。パッと散った鮮血が川に降り注ぐと同時に、グリズリーは絶命した。
唖然とする翠鳥の一行に、ラースがニヤリと笑って口を開く。
「危ないところでござんしたねぇ」
「……お前、魔弾のラースか」
「ご存知とは嬉しいですなぁ」
「そっちは蝕眼のメーヴォ……噂はかねがね聞いているよ、死弾海賊団。金獅子に一杯食わせてやったそうじゃないか」
「良くご存知で」
川を挟んでラースと対峙したのは、翠鳥海賊団船長のバラキアだ。噂は此方も聞いていたが、船員のみならず船長も見目麗しい美丈夫だ。倒したグリズリーを調理班の二人が引き上げて早速解体する横で、両海賊団の船長が睨み合っている。
「熊の討伐ご苦労。俺たちに恩を着せようと言うならお門違いだぞ。アレについては俺たちも察知していた。むしろ得物を横取りされたと言っても過言ではないんでな」
「おっと、そいつは失礼した。俺たちが欲しいのは食糧なんで、何なら熊の毛皮はお譲りするが?」
「熊の毛皮に用は無い。ついでに言えば熊肉はウチでは食べないのでね」
じゃ何だよ、と小さく呟き、しかしコレはまずったかな?と言う顔のラースに、そろそろ助け舟でも出してやるべきだろうか。
川辺に未だ沢山のサーモンが跳ね回っている。翠鳥たちは網でそれを獲っていた様だが、水嵩の多さに上手く行っている様子は見えない。彼らの足元に置かれたサーモンの数は高が知れていた。
「バラキア船長。お目当てのサーモンはまだ欲しい所じゃないのか?」
待ってましたと言わんばかりのラースの横に並び、バラキアの後ろに控えている船員たちに目配せする。
「川下に網を張れ。一気に行くぞ」
キョトンとする船員たちを横目に、僕は川の中洲にある大きな岩に向かって、爆弾を弾き飛ばした。
「……っ!川下で網を構えろ!」
何が起こるかを察したバラキアが船員たちに叫んだ。慌てた船員たちが走る背に向かって、川の真ん中で爆発が起こり、巨大な岩が砕け散った。上がった水柱の後に残ったのは、爆破の衝撃波で気絶したサーモンたち。プカリと浮き上がって、激しい流れに飲まれ下流へと一斉に流れていく。何とか網を張る事に成功した翠鳥の船員たちが、大漁過ぎるサーモンに押し流されかけたのには、思わず笑ってしまった。
「噂に違わぬ、奇抜な作戦をする」
「お褒め頂き光栄だ」
「で、何が目的だ?」
「そのサーモンを分けてくれればそれで良い。だろう?」
ラースに同意を求めれば、え?そうなの?と不思議そうな顔で返されて、思わず横っ腹に肘鉄を入れた。
「サーモンは十匹もあれば十分や」
大漁のサーモンの分け前の交渉にはジョンがあたり、随分少ない数の条件を出していた。
「本当にそんなもので良いのか?」
「ウチはあんさんトコに比べたら小さな集団やからな。獲り過ぎはお天道さんに叱られっけん」
「……それでは対等な条件とは言えない」
何だか律儀な人なんだな。別に分け前がそれで良いと言うなら損がある訳でも無し、合意しておけば良いものを。
「ラース船長。この獲物以外にもちょっと話がある。乗るか?」
「……さぁて、それは案件次第ですかねぇ」
ひょっこりと言う具合にジョンの横に並び、不敵な笑みでバラキアに対峙する。さて、此処からはラースの交渉技術のお手並み拝見と行こう。
「聞くだけ聞いていけ。俺たちがこの島に来たのは食糧確保の他に、ある人物について捜索しているからだ」
「此処は無人島じゃないっけ?」
「概ねそう言う事になっているが、此処には隠者と呼ばれる、かつての大罪人が身を隠していると言う噂があってな。それの調査に来ている」
「で、その隠者のお宝でも持って帰って来いと?お国の相手をするのも大変だねぇ……」
ニヤリと笑うラースに、場の空気が凍った。切り捨てられても可変しくない台詞だぞ。肝が冷えた僕を他所に、ラースは会話を続ける。
「隠者様のお宝が何なのか、もしくはその分け前がどうなるか……そう言った事が分からねぇと」
話にならない。と、ラースが口を開いた瞬間、怒号と悲鳴が当たりに響き渡った。
「何だ!」
振り返ったバラキア船長の後ろで、控えていたはずの船員たちが倒れている。皆肩や足を抱えている。その傍に、小さな藪の塊が佇んでいる。そう、藪だ。草木の塊のようなそれから、手足が生えている。
「この地から立ち去れ……」
囁く声の聞こえたその藪の中から小さな瞳がギロリと此方を睨んだ。
「蝕のひとみ……」
確かにそう聞こえた。確かにその草木の塊の中に居る人物は、僕を見ていた。
「きぃぃええええ!」
その小ささに見合っただけの素早さで、藪の塊が奇声を発しながらジグザグに走ってくる。当たりが付けれない!咄嗟にヴィーボスカラートを握る手が動かなかった。
「メーヴォ!」
視界が揺れて、岩場に尻餅をついた。ラースが僕を突き飛ばした。藪から生えた手の先が光って、ラースの額に押し付けられる。
「貴様っ!」
バラキアの抜刀した剣が閃くも、素早く藪の塊はラースを跳び越して、球が跳ねる様に森の中へと姿を消してしまった。船長!と叫んだジョンが咄嗟に崩れ落ちるラースを支えて、岩場に頭を打つ事は免れた。が、ラースがピクリとも動かなくなってしまった。
「ラース!おい、しっかりしろ!」
揺すったところで何の反応もなく、グッタリと弛緩した体が腕にずっしりと重い。
「クソっ!さっきの光……ラースに何をした!」
『あぁ、太陽を喰らう忌まわしき瞳の悪魔。この地に入り込むとは汚らわしい』
しわがれた声が風の魔法によって拡散されて辺り一体に響き渡る。
その声を聞きながら、コートの内側の隠しポケットに仕舞っておいた気付け薬を取り出して、ラースの口を抉じ開けて流し込む。ごほり、と吐き出したまま、ラースはその後の反応を示さない。この気付け薬はとんでもなく苦い上に舌が痺れるほど刺激が走ると言うのに、それでも起きないのは可変しい。
『残念だったのぅ、その男は悪魔の身代わりに眠りに就いた。もう二度と目覚める事は無かろう』
「ふざけるな!この森を焼き尽くされたくなければさっさと魔法を解け!」
思わず叫んでいた。鬼の形相をしていたのだろう、バラキア船長が引く気配を感じた。
『おお、見ろその破壊衝動に燃える瞳を。この私に穢れを植え付けた悪魔たちの瞳よ。おそろしや恐ろしや。あの時全ての異界人を滅ぼして置かなかったのが仇となったわい』
「聞こえなかったか!僕は今すぐにでもこの森を焼き払う事だって出来るんだぞ!」
言ってラースを傍らに横たえ、川辺の草むらに最近開発したばかりの新型の延焼弾に火を着けて放る。ドゥバン!と轟音を轟かせ、草むらは抉れて焦土と化し、飛び散った火球が辺りを火の海に変える。
『ひぃ、何と恐ろしい。その膨大な力で全てを破壊し尽くすのが、貴様ら蝕の瞳の民よ……』
「御託はいい!さあ早くしろ!」
『……よろしい、ならば取引をしよう』
「悠長に構えるな。僕は今すぐに魔法を解けと言っているんだ!」
「待って下さいメーヴォさん。此処は相手の交渉を受けましょう。このままヤツを始末しても、魔法が解けるとは限りません」
ホッホッホ、と梟の高笑いのような声が一帯に響く。それが僕の神経を逆撫でして腹立たしい。頭に上った血が吹き出しそうだ。
『そちらの海賊は利口だな。では私の条件だ。そこに居るのは料理人だな?私に食事を作ってくれ。最後の晩餐だ。この島で食える最高のものを用意して来い。それでその男の眠りを解放しよう』
なんて条件だ?面倒くさい条件を出して来る。
「バラキア船長。アナタはヤツについて調査している。間違いありませんね」
「……協力しろと?」
「言ってしまえば、僕らは食事に毒を仕込む事も出来るんです。監視は必要では?」
「……それでその男が目覚めなくても良いのか?」
「魔法と言うのは術者によってかけられるもの。術者より強い力であれば打ち消す事も可能です」
大魔道士と名乗る輩は世界各地にいる。大金を積んでも相殺解除させる事はいくらでも可能なはずだ。例えばあの海神ニコラスも魔法には長けると聞く。条件次第になるが、彼なら話が早い。
「……人命を天秤に載せても、まだ軽いな。俺は別に収穫なく帰島しても良いんだ。適当に見つける事が出来なかったと報告すれば良い」
「貴方は、確か料理が得意だと伺ってますが」
「何の話だ?」
交渉の話ですよ、と僕はコートのポケットから小さな手帳を取り出した。
「先日、海神にある依頼を受けた対価に、僕の血族の残した航海日誌の山を貰いましてね。その中に、僕が読んでもちっとも面白くない記述が並んでいる本がありました。ただ、料理人にとっては興味深い話です。それを訳して纏めた物がコレです」
有体に言えば、それは献立表だ。ただし主な食材は全て保存食で作られると言う献立。そして保存食に関する記述がどんな料理書よりも豊富に記載されていた。それも十数日や数ヶ月と言う時間の保存方法ではない。五年、十年と言う長い期間保存出来る食材の調理方法が記されていたのだ。
「我々のように海洋生活が長い者たちには、欲しい情報だと思いますが?」
そこに待ったをかけたのは勿論ウチの料理長ジョン。そうだ、彼にだってこの話はしていない。
「まってぇぇい!おまっ!旦那!何でそれをワシに教えねぇんじゃい!」
彼の食事は今のままでも十分美味しいし、この程度の情報なら必要ないと判断していたからだ。ただ、料理人として、自分の知らない調理法があると言う事は、それだけで探求すべき対象になる。それは畑は違えど技術者である自分が良く知っている。
「ご覧のように、ウチの料理長にも教えていない極秘情報です。これを報酬にお渡しします。それなら天秤も傾くでしょう?」
「……魔弾のラースの右腕を名乗るだけある。良いだろう。俺も協力しよう」
「ありがとうございます」
交渉成立だ。ジョンが騒ぎ立てているが、それを覆うように再びしわがれた声が響く。
『日没までに北の海岸に料理を用意出来るかね?ほっほっほ、楽しみですなぁ』
戦いの火蓋が切って落とされた。
隠者に脛や足に一撃を喰らって倒れた翠鳥の船員の撤退、ラースを抱えた調理部隊の二人がサーモンやグリズリーを運んでいく中、ジョンを中心に僕らは作戦会議と言う名の献立検討会を始めた。
「まずは翠鳥はん、あの隠者についての情報を何でもええから話してくれんか」
「情報?」
「そうや。出身が何処で、どう言う経緯で此処に住み着いたんか、以前はどんな仕事や役職だったんか、何でもええ」
「何でも良い……と言われてもな」
それの何が料理に必要なのだろうかと言う疑問が抜けぬまま、バラキア船長は隠者についての少ない情報を提供してくれた。
元々は小人族の有能な学者だった隠者は、とある海域に伝わる古代人の研究をしていた。しかしある時その古代人の末裔たちが住まう集落に辿り着いた後、気が触れたように殺人を繰り返すようになり、この海域に流刑に処された。
「……その古代人って、もしかして」
「お察しの通り、アイツはかつて蝕の民について研究をしていた。しかし何らかの事実が彼を狂わせた」
「人が正気を失うほどの事実など早々にない。彼の掲げていた諸説が瓦解したのが正解でしょうね」
思わず口を挟んでしまった。
「実際どうだろうな。ただ、彼の裁判の記録では『侵略者を倒しただけだ』と供述があったらしい。何にせよ彼はその金環蝕の瞳を恐れ、そして凶行を繰り返した。畏怖すべき対象を排除する事で平静を保っていたようだ」
彼の手にかかって死んだ蝕の民は相当数居るらしいが、無関係の人も少なくなかったらしい。
「蝕の民についてはええわ。あの爺が小人族と分かったからまず一つや」
あとは世界中旅して回ってたって事くらいやな、と言って真剣な顔で虚空を見つめているジョンの頭の中で一体とんな考えが渦巻いているのだろうか。
「料理とそれを食べる人の関係性についてイマイチ繋がらないのだが、説明して貰っても?」
代弁をありがとうございますバラキア船長。
「あの爺さんは最期の晩餐やと言っとった。せやったら、その人間の一生を振り返って満足出来る飯でなきゃアカン。苦楽過ごして、美味いモンを食った後に自分の人生がええモンだったと振り返られるような、そう言うのが最期の晩餐ってモンや」
「……なるほど。以前の彼は研究費用に多額を投じて、貧しい私生活をしていたと言う記録もある。参考になるか?」
「ふむ……あの爺さんの活動中心がどの海域だったかは分かるか?」
「北東の海域だ。フレイスブレイユから蒼林の辺りで主に活動していたらしい」
「北東に住んでた小人族……貧しい生活の中で研究をしていた……か」
口元に手を当てて神妙な顔をしていたジョンが、よし、と膝を叩いた。手に持っていた小枝で地面にガリガリとメニューを書き連ねていく。それを思わず僕もバラキアも見入っている。メニューの横には必要な食材も書き込まれていく。
「ぃよしっ!献立決定や!食材を片っ端から集めんぞ!」
「よし、急ごう!」
日も程ほどに高く上った頃、時間は残されていない。悠長にしていたら間に合わない!
「食材調達や!」
そう言ったジョンを先頭に森の中へ入った。
トナカイを発見した途端にジョンの指示で爆弾を当てずに衝撃派で気絶させろと指示され、言われたとおりに頭の真上で爆破を起こし、その衝撃派でトナカイを気絶させた。
「下手に傷つけると味が落ちんねん」
器用にトナカイの手足を縛り指定された北の海岸まで運び、必要な調理器具を船から持って来た調理班二人と合流した頃には、トナカイはあっと言う間に捌かれて肉塊へと変貌していた。
そんな調子でジョンの指示で僕とバラキア船長は食材狩りに走り回り、調理班の二人が次々と下拵えをしていく流れ作業が出来上がっていた。
日が西に傾き始めた頃には残っていた三人の調理部隊まで合流し、北の海岸には死弾調理部隊の野営キッチンが展開していた。
「さぁて仕上げや!行くで野郎ども!」
残り数時間と言うところでジョンの鬨の声が上がると、調理部隊の面々が一斉に仕上げに取りかかった。
即席で作られた石の釜ではスープがくつくつと煮込まれて、いい匂いが潮風にも負けず海岸に漂っている。トマトと香辛料の香りが食欲をそそる。
急拵えで作られた調理台の上では、ジョンが何やら魔法を食材に施していた。闇の魔法に長ける彼は、食材を腐敗させる力を持つ。しかし彼はその力で食材を発酵させる。発酵した食材はうま味を増し、栄養素も高くなる物もあるらしい。
ジョンに話を聞いた事がある。彼は魔法の力を制御出来ず、食品を腐らせてしまう為、料理人の道を諦めかけたのだそうだ。しかし蒼林に古くから伝わる発酵食品を作る課程を知ってから彼の力は強みになった。魔法の力で長時間の発酵が必要なそれを短縮出来ないものか。その考え方は起死回生の策になった。
肉を発酵させ、腐る手前で調理をすると肉は美味しくなるとか、豆を発酵させた食品や調味料があると、彼は嬉々として話してくれた。
自分が料理人として居られる事が何よりの奇跡であり、人に振る舞う事が出来るのは何よりの幸福である、と。
「さあ爺さん!ウチの船長の命がかかったワシの一大料理を食うてみぃや!」
即席で作られたテーブルにはクロスがかけられ、質素な椅子が並ぶそこに、全ての料理が並べられていた。
前菜には瓜と生ハムのサラダ。スープはシチー(ザワークラフトのすっぱいスープ)。メインはガルブツィーと言うロールキャベツのトマト煮込み。デザートには島にいた山羊の乳から作った冷たいアイス。
ジョンの率いる調理部隊には、火、水、氷の魔法を自在に操る料理人が揃っている。彼らも元々は魔法の力が強すぎてその道を諦めかけた人たちだった。彼らは専門属性を操り、食材を的確に調理する術を身につけ、そしてヴィカーリオ海賊団の胃袋を賄っていた。
『これはこれは豪勢な』
何処からともなく声が響き、用意されたテーブルにふわりと隠者が姿を現した。
「おお、おおぉ……!我が懐かしの郷土料理たちよ」
相変わらず草木の塊にしか見えない隠者の手がフォークを掴み、次々に料理を口にしていく。
「おぉ、この控えめな塩加減のハムと瓜の合う事!」
「なんと、この場でザワークラフトのシチーが口に出来るとは!エールの欲しくなる味じゃのう!」
「このロールキャベツの中身はトナカイの肉か?これまた美味である!」
調理部隊の五人、ジョン、バラキア船長、そして僕と、物珍しさに覗きに来た両海賊団の面々が数人ずつ。
全員がその光景に息を飲んでいた。
藪の塊だったそれが、食事を口にする度に見る見る人の形に戻っていくのだ。小人族特有の小さな体だが、知性的な顔の初老の男。蓄えた髭が威厳や風格さえ漂わせる。
口にしているはずの食事はその姿を寸分も変えず、ただ水分だけが蒸発するように無くなって枯れていくのだ。
「……まさか、この隠者、既に」
小さくバラキア船長が苦々しく呟いたのが聞こえる。
「あぁ……この常夏の土地でこんなに冷たいものが口に出来ようとは……何という甘露」
デザートのアイスまで完食して、すっかり人の姿に戻った隠者が、ジョンに向き直ってにこりと柔和な笑みを浮かべた。
「海洋学者ギルベルトの最期の晩餐、確かに相伴に預かった。見事であったぞ、料理人」
「お粗末さんやったな」
腕組みをしたまま、尊大なジョンの返事を聞くと、隠者ギルベルトはすうっとその姿を消した。
「……っ!ラースは?ラースにかかった魔法はどうなった!」
思わず僕は叫んでいた。魔法の解除はどうなった?日の沈みつつある浜を、僕はエリザベート号の停泊する東の海岸まで猛然と走り出した。
無事に目覚めたラースの第一声が「口の中が不味い!」で、次に出て来たのが「メーヴォから美味そうな飯の匂いがする」だったので、一発平手で頭を叩いておいた。僕がどれだけ心配したか知らずに、暢気なもんだ!
ラースの空腹を訴える声に皆が賛同し、翠鳥の面々と共に北の浜に集まって酒盛りをした。即席で拵えた野営調理場では、バラキア船長自らが腕を振るって料理が振舞われた。両船からはとっておきの酒まで出されて来て、宴は夜遅くまで続いた。
翌日、二日酔いの船員を休ませ、手の空いた船員たちに飲み食いした分の食料補充を任せ、バラキア船長、僕とラースの三人で、隠者ギルベルトの住居と、その亡骸を発見した。
「やはり既に死んでいたか」
カラカラに乾き切ったミイラは、寝床で手を組み行儀よく横たわっていた。
小さな住居には草木が生い茂り、廃墟と化したそこで数冊の手記と、一振りの剣を見つけた。手記には自分の研究の後ろ盾をしていたはずの国の裏切り、自分を流刑に処した王国や海軍についての恨み節ばかりが記されており、また蝕の民に関する自身の研究結果を燃やされたとの記述を見つけて、僕は落胆に肩を落とした。
問題は、そこにあった剣だ。
「……これがオーストカプリコーノ」
バラキア船長が蝕の民の言葉で武器の名前を呟き、手に取る。が、渋い顔をしてさっと床に刺し手を引いた。
「……何て言う恨みの念だ。これは持つ者を狂わす魔剣だぞ」
ギリっと歯を鳴らせたところを見ると、隠者の調査と言う名目と共に、この剣が今回の彼の報酬だったに違いない。ところが彼が持ち、制御するにはそこに留まる念は黒く重すぎた。
「バラキア船長。今この剣の事を『オーストカプリコーノ』と、『山羊座の骨』と言いましたね」
「……そうだ。これが海洋学者ギルベルトが蝕の民の末裔から受け取ったとされる、蝕の十二星座の武器のひとつだ」
蝕の十二星座の武器。蝕の民が残したとされる強力な武器の事で、死弾のエトワール副船長が手にする『フールモサジターリオ(射手座の稲妻)』と同シリーズの武器だ。やはり世界中に散らばっているんだな。
「つまり、事の真相はこうか」
昨日見た藪の塊は、この武器の強い魔力と隠者の妄念が生み出した悪霊。自分が信じて疑わなかった国に裏切られて心折れ、弱った心は魔剣の囁きに乗って凶行を繰り返し、投獄されこんな所で朽ち果てる無念さが、凝り固まって悪霊を生んだ。それは島の中を彷徨い、運命的とも言える邂逅を果たした。と、陳腐にも程がある話だ。
「……バラキア船長。そう言えば忘れていました。今回の僕からの報酬です」
差し出した手帳を渋い顔で受け取ったが、パラッと中を見た瞬間にバラキア船長は顔色を変えていたから、正直安い物だ。
実際のところ、蝕の民の言葉で書かれた献立表と調理技術についてだが、ジョンがやっていた闇魔法を使った発酵技術と言うのが大体の内容だった。ただ更に特殊な鉄の入れ物に入れて保存したり、特殊な袋に詰めて保存すると言った、今の僕たちの技術では再現不可能な保存食の作り方でしかなかった。しかし、一料理人としてこの技術については興味引かれる事だろう。
「さぁて、じゃあ俺たちのお宝として、その剣は貰っていくとするか。ジョンなら使えるだろ」
確かにジョンが使う東の剣に形が似ている。そこに宿った恨みとやらを、ジョンがどんな風に押さえ込むか楽しみではある。蝕の民の事なら、僕と鉄鳥で解決も出来るだろう。
「……まったく、何と言って報告してやればいいものか」
「ありのままに話すしかないのでは?」
「そうそう!何ならコイツを持って帰ればいいんじゃねぇか?」
ガコン、と乾いた音を立て、ラースが隠者のミイラから首をへし折って、バラキア船長の方へと放った。
「うわっ!粗末に扱うな!」
「はははっ死者の敬い方は熟知してるんですけどねぇ?供物への祈りも忘れねぇし」
ニヤリと笑ったラースに、バラキア船長も苦笑するしかなかった。
数冊の手記と頭蓋を持ち帰ったバラキア船長と、剣を持ち帰った僕たちはお互いの航海の無事を祈りながら、別々の航路へと分かれた。
「……なんぞ、そんな恨み辛みも聞こえへんわ。むしろ手に馴染んで、ええ鮪包丁やないか!」
鮪包丁?聞けば巨大な魚を捌くための専用の包丁の事らしい。
長らく放置されていたにも関わらず研ぎ立てのような輝きを見せる、翠鳥ほどの人物が魔剣と例えた剣を持って飄々としているあたり、ジョンの潜在能力の高さに感嘆するしかない。
『あるじ様、わたくしには聞こえます。オーストカプリコーノが共鳴し、喜んでいる声が聞こえます。ジョンシュー殿は、誠に素晴らしき料理人でありますな』
『……そうだな』
口にするものの命を尊ぶ料理人はそれだけで己の中の矛盾に打ち勝つ強さを持っている。純粋にその強さに憧れるし、尊敬する。
だから僕たちは、ジョンの教えに則って食事の前に「いただきますと」と言って、食後にこう言うんだ。
「ごちそうさまでした」と。
そう言えば、無事に金曜のカレー日が執り行われ、僕は美味しいカレーとナンに有りつけた事を、此処に記しておこうと思う。
おわり