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海賊の宴

※このお話には殺人や反社会的表現が含まれます。

これは反社会的行動を助長するものではなく、あくまでフィクションとしての演出に過ぎません。

ご了承の上で閲覧してください。

 港に立ち寄って、まず行く所は酒場だ。財布代わりの小さな麻袋に金貨を詰めて、一番良い酒と一番美味い飯を持って来いと注文する豪気な男たち。海賊の頭目などはそれが様式美であるかのごとく、大体そう言う注文をする。その日、ラースと共に港の酒場に足を運び、美味い酒と美味い食事で夕食をとっていた。

 港に立ち寄る前に商船を襲い、その積荷であった砂糖や香辛料の類、大量のワインなどを略奪、横流しして得た金で飯にあり付く。実に海賊らしい力で全てを得るやり方だ。殺人鬼、爆弾魔メーヴォ=クラーガとして人道など遠の昔に外れた我が身は、その残虐性など見失って久しい。弱肉強食が最も分かりやすく、最も海の上で正しいルールだ。

 ヴィカーリオ海賊船員を名乗るようになって四ヶ月。セイレーンの歌の呪いで死に掛けて一月が過ぎようとしていた。こうして己たちの成果を引っさげて港で馬鹿騒ぎをするのも何度目かになる。普段港の夜はラースが女遊びに一目散に出て行くので、二人で酒場に行く事は中々無い。この街の娼婦はあんまり良くない、と言う理由で夜の時間つぶしの相手を仰せつかった。時間があれば蝕の技術書の解読や、そこから学んだ新しい技術を試してみたい僕の予定は、船長命令の一言で瓦解した。この酒場の料理と酒が美味くなかったら、取った宿に戻って精密作業をしているところだ。海の上では出来ない作業もあるのだ、と言ってもラースは聞かないだろう。

 とは言え、美味いピカディージョ(牛肉のトマト煮込み)とエールで程ほどに気分も良くなっていたのも事実だ。今のエリザベート号に足りない装備はアレだ、次に金を掛けるなら何処の装備だ、武器庫の研究設備の強化をして欲しいとか、帆の修繕が先だ、とか。何を主体とする訳でもない話を繰り返し、僕が二杯目のエールを空けて水を飲み始めた頃だった。

 ガチャン、と陶器が悲鳴を上げ、隣のテーブルで男が二人組み合う。酔ったチンピラ同士が絡んだ良くある喧嘩だ。ひゅぅ、とラースが口笛を吹いて、良いぞやれやれ、と野次を飛ばす。周りの喧騒など耳に届いていない酔っ払い二人は取っ組み合い、殴り合いの喧嘩を加熱させていく。

「……下らない」

 眉をしかめた僕を他所に、ラースはゲラゲラと腹を抱えて笑っている。飯が不味くなるから他所でやって欲しいが、此処は海賊やチンピラが集う港の酒場だと言う事を忘れてはならない。つまりそれは、その喧嘩の飛び火がいつ此方に来るか分からないと言う事も含めての話だ。

 男の一人が突き飛ばされ、僕たちのテーブルに吹き飛ばされて来た。再び盛大に陶器が悲鳴を上げ、何枚かの皿が床で大破して折角の料理がゴミと化した。それでも男たちは喧嘩を止めない。笑っていたラースの顔が固まっている。もう一人の男が追撃のために圧し掛かる。倒れたテーブルの向こうに、ラースが大事にいつも抱えている頭蓋骨を包んだ絹布が転がっていて、それはゴミと化した料理のソースを被っていた。

 ほんの一瞬ラースから目を放した隙だった。銃声が四発、立て続けに酒場の中に響いた。男たちの汚い悲鳴が続く。

「よし、死ね。供物に祈る間も無く死ね」

 それはいつも軽い声で話をするラースの声ではないように聞こえた。地獄の底から響くような声、と言うのはこんな声を指すのかも知れない。その声は、酷く僕の心を落ち着けた。

「おい、どうしてくれんだよ。お前らのくっだらねぇ喧嘩で俺たちのテーブルはゴミの山だぜ?おい、なぁ?しかもどうしてくれんだよ、俺のエリーになんて事してくれたんだオイ、答えろよクソカスどもが」

 足を二箇所ずつ撃たれた男たちが、何がどうなったのか、何故自分たちが撃たれているのか、と言う困惑の表情でラースを見上げている。自分たちの喧嘩に夢中だった男たちは、エリーと言うラースの地雷を踏んだのだ。テーブルの上から転がって汚されたエリーにラースが切れた。

「ぎ、ぎ、あぁ、や、止めてくれ!」

「ひぃいイテェ、痛ぇよぉ」

「おい、そんな汚ねぇ悲鳴が聞きたい訳じゃねぇんだよボケカスども。こう言う時に何て言ったら良いかママに教わんなかったのかぁ?え?」

 存分に痛めつけるようにして、手に持った銃で的確に急所を外して撃つ。男たちが訳が分からずに撃たれる恐怖と痛みに顔を歪め、泣きながら止めてくれと懇願する。その様の狂気に中てられ、酒場の中はしんと静まり返っていた。酔っ払って気分の良い僕一人が、その銃声と男たちの泣き叫ぶ声に聞き入っている。ざまぁみろ。

 とは言え、面倒事は御免だ。これ以上長居すると、この一帯の警備兵が出張ってくるかもしれない。残っていたエールを飲み干し、僕は汚れた絹布をエリーから外し、自分のマントでそれを拭う。エリーの頭蓋骨は布のおかげで大した汚れは付いていなかった。金色のカツラを整えて抱え、ラースの肩を掴む。

「ラース。そろそろ終わりにしろ」

 ほら、と左手を引いてエリーを押し付ける。出会った頃のギラギラした目をしていたラースが、はたと我に帰ったようだった。

「……おお、ワリィなメーヴォ」

 そう言ってエリーを受け取ったラースは、もういつもの陽気な顔に戻っていた。

「見境の無くなるのを始めて見たぞ。中々愉快な事だ」

「だってよぉ、大事な大事なエリーが酷い目に会ったんだから、仕方ねぇだろ?」

「なら、後始末もしっかりしろ」

「お、そうだったな、っとぉ」

 銃声が二つ。タン、タン、とリズム良く響いて、既に血まみれだった男たちの額に穴が開いた。ゴトリ、と倒れた男たちを他所に、僕たちはカウンターに向けて金貨の入った袋を投げて酒場を後にした。

「ごっそうさん!騒がせちまった分、釣りは清掃代に回してくれ」

 ラースがそう言い残し、夜の闇の中へと姿をくらませ、宿に戻った僕たちはほろ酔いに任せて眠りに付いた。


 翌日には宿の主人から酒場での銃撃騒動の噂を聞き、早々に港を発った方が良いと出港を数日早めた。技術書の検証実験もままならぬまま、僕もクラーガ隊と共に物資の買い付けに走り回った。その日の内に補給や略奪物資の転売を終え、滞在三日目を待たずにエリザベート号は港を離れた。

「次の港では絶対に問題を起こさないで下さいよ?分かりましたか?」

 急な予定変更に副船長のエトワールはカンカンに怒っていた。僕まで一緒に正座させられているのは何かおかしい。

 出航から数日。船は既に遠く離れた海域へ。その海域では捕鯨に数日を費やした。一頭狩るとそれの解体に数日を要するのが海上での捕鯨だ。予め用意していた筏が組まれ、鯨の体を解体する。皮はなめされて防具や靴の修繕に使う。骨は削り出して武器や銛の先端にも使用するし、油を絞るのにも使う。鯨髭や鯨油、肉は内臓に至るまで、鯨には捨てるところが無い。鯨が解体されると調理場は火絶えなくなり、料理長ジョン率いる調理班による保存食作りが昼夜を問わず続けられる。彼らの作る鯨肉のベーコンなどは、通常のベーコンが霞むほどに美味い。それを使ったパスタは癖になる味をしていた。

 大よその鯨解体が終わる頃、船は次の港に寄港していた。腐らせてしまう恐れのある分の鯨肉や、資材として確保し余った分の骨や皮を売る。そうして得た金で、再び酒場で飲み明かすのだから、海賊とは本当に学習しない生き物たちだ。

 女遊びに走って行くラースを見送り、僕は静かに宿で検証実験に打ち込んだ。クラーガ隊の数名が助手として宿に合流してからは、夜通しの検証実験が成された。その成果もあって、質の良い宝石を媒介にする事で魔力の消費を抑え、最小限の力で大きな力を得る事が可能であると証明出来た。今後、何処かで大きな宝石を手に入れる事が出来れば、強力な武器や便利な道具を作り出せるかもしれない。昇る朝日を見ながら、クラーガ隊の部下たちと手を取って喜んだ。

 仮眠から明けた昼過ぎ。宿に戻って来たラースから安い香水の臭いがして眉を顰める。娼婦宿には一度連れ込まれたが、あそこは高級を謳うだけあって鼻に付く匂いは無かったが、今日のラースは格段に臭い。何かあったな、と思うも口にはしなかった。

「ラース、今後の話をしたいんだが、休んでからの方が良いか?」

「……あ、あぁーそうね。ちょっと寝るわ。うん」

 何処か気の抜けた返事を落として、ラースは部屋に入って行った。僕が寝ていたベッドに入れ替わるように入って、すぐに寝息を立て始めたのだから、夕べは一睡もせずに女と遊んでいたと言う事か。

 しかし初めて目の当たりにした一連のラースの様相に、僕はクラーガ隊の面々を呼んで話を聞いた。定期的に女遊びに大枚を費やす事があると情報を貰った。これはいつもの事だが、時折数日船に戻らず、娼婦宿に篭る事もあるらしい。面倒な事ではあるが、ガス抜きなのだろうと船員たちは目を瞑っているらしい。どうせ数日で戻って来るから、その間に出航の準備をして待てばいいと、呆気らかんとしていた。

 生返事を返しつつ、僕は何となくその理由に心当たりがあり、少し溜息を落とした。似た者同士の同属嫌悪とは滑稽だ。



 ラースが起きたのはすっかり日も傾き出した夕方。クラーガ隊を先に船に帰らせ、僕は読書をしながらラースが起きるのを待っていた。ボサボサの髪を掻き毟って、不快そうな顔でラースは起き上がった。

「おはよう。良く眠れたか」

「……ああ、最悪だな」

「それは結構」

 しかめっ面で起きたラースに、水を注いだコップを手渡す。一息に飲み干して、酷くやつれた顔のラースが苦々しく笑う。

「二日酔いか?」

「あー……いや、大丈夫だ」

「食事をする気はあるか?」

 苦笑して物による、と言うので、もったいぶった感じにそれをテーブルの上に広げた。

 強面の料理長ジョンが作ってくれた鯨ベーコンとチーズのパニーニと、サーモンやレタスの具沢山のサンドイッチ。クラムチャウダーにカフェオレを並べれば、けろりとした顔で美味そうだな!とラースが喜んで椅子に座った。美味い食事は偉大だ。

「ついでに、少し前に商船を襲った時に、年代物のワインをくすねておいた。肴に削りチーズを貰って来てあるから、ゆっくり晩酌でもどうだ?」

「至れり尽くせりじゃねぇか。で、その腹の内は?」

 寝不足の窪んだ眼孔からギラリと光った視線が、隙を見せない壁となって僕の一歩を阻んだ。そうやって警戒される事は分かっていた。いくら僕が歩み寄ろうと、お前はまだ何処かで僕にも猜疑心を持っているんだろう。

 手に入れた宝の鍵は、本当に俺の手にあるのだろうか、と。思わず口元が緩む。

「この間、エリーを汚されたと見境の無くなったお前を見て、話をしたいと思っただけだ」

 その時僕がどんな顔をしていただろうか。自分でも分からない。ただ、随分久しぶりに顔の力が抜けていた事は確かだ。

「……話ねぇ」

「お前の武勇伝と、僕の武勇伝。此処だけの話を腹を割って話し合ってみるのも良いだろう?」

 誰にも理解は出来ないだろう。僕らの抱える深い闇は、誰にも理解出来ない。ただ、少しだけ僕らは似た闇を抱えている。闇を取り払うとか肩代わりするなんて事は言わない。ただ少しでも軽くなればと思う。二人で交わす酒を美味くする肴にする事が出来たら、この寝不足も少しは解消するんだろうか。

「お前に深酒をしてもらっても困るし、最近は吸う量が減ってるみたいだが、例の魔薬も、今後すっぱり止めてもらいたい」

 体温が欲しいのだろう。冷たく美しいままの女より、醜くも熱のある女が欲しいと、本能的に熱に飢えて女遊びをするし、幻を追いかけて体に良くないモノを吸ったり深酒もする。勝手に寿命を短くしてもらっては困るのだ。

「言っておくが、お前の為じゃない。お前が僕を宝の鍵だと言って必要とするように、僕が目指す宝に辿り着く為に、お前と言う船が必要だからこうしているんだ」

「……言ってくれるねぇ。だったらお前の武勇伝とやら、話してみろよ」

「なら、冷めて不味くなる前に食事だ」

 お前は本当に一々うるせぇな、メーヴォママ!と冗談を言うラースの顔に少しだけ明るい光が射した。

 パニーニもサンドイッチもどっちも食べたいと言うラースの要望で半分ずつ分けて食べた。実験中だった二重壁の保温ボトルに入れておいたスープと飲み物は仄かに温かく、ラースの顔が程よく緩んだ。

「あぁー美味い飯はすげぇなぁ……悩むのとか面倒くさくなるから怖いわぁ」

「正直な話、僕は今後ジョンの作る食事だけ食べて生きていたい」

「そこまで言うか」

「だってそうだろう?」

「うん、間違ってねぇわぁ。時々アイツ毒に当たって厨房立てねぇからって部下が作ると、やっぱり味が違うんだよな」

「そうなんだよ。ジョンが作ってないって分かる」

 モグモグと食事を頬張りながら、温かい食事にいつものようにラースが笑うのに少しだけ安心する。

「なあ、ラース。エリーってどんな人だったんだ?」

 突然振った話題に、ラースが目を丸くした。何だよ突然、と言いたげな顔に深追いはせず、ならばと話題を逸らす。

「それとも、僕の初恋の女の事から話そうか?」

 自分の話はまだ気が乗らないと言う顔のラースが、どうぞどうぞ、と手振りで話を促す。一生涯誰かに話す事はないと思っていた話を、初めて自分を必要だと言った男に話す。

「彼女は生真面目な女だった。家が近所で、母の工房に通っていた。母は被服系の工房を持っていてね。腕の良い裁縫士だった」

 幼い頃から親に連れられて母の工房に通っていた。十三になる頃には立派に工房で働いていた真面目な女だった。母に習い裁縫士を目指していた妹とも仲が良く、妹と同様に護らなくては、と幼いながらに僕は恋心を抱いてた。

「かぁわいぃ」

「自分でもそう思うよ。ただ、大きくなってからは意見が合わなくなって、よく言い争った」

 貴方の技術はやがて人を幸せに導く物なのに、何故人殺しの道具として使うの?

 女が口癖のように言った言葉を覚えている。両親と同じ事を口にしていた。

「技術の進歩は、人々の幸せのためにある。まったく、反吐が出るよ」

 そこまで話して、僕自身も腹の底に抱えた闇と対峙している事を思い出して、ワインに手を伸ばした。此処からは少しだけ酒の力を借りよう。

 ワインを開けて、二人分をグラスに注ぐ。無言で勧めれば、ラースもそれを手に取った。

「いい香りだ。これ高いヤツだぜ?」

「だからこそ、この場にふさわしいだろ?」

「その通りだ」

 キン、とグラスの底を鳴らせて乾杯し、僕らはワインを口にした。どっしりと喉の奥を焼くアルコールに、頭の芯に鉛が入り込む。

「ヴィーボスカラートは僕が自作した最高の武器だ。仕上げるまでに十年かかった。完成した暁に、僕が一番最初に殺したのは父だ。その次に、僕が居た鍛治衆のリーダー。あとは母、鍛治衆の人間と順々に殺した」

「彼女を殺したのは両親の次じゃなかったっけ?ほら、例の処刑場で言ってたじゃん」

「よく覚えてるな」

 殺人鬼として僕が処刑されそうになっていたあの広場で、彼は僕に好きな女はいるか?と聞いた。自分の手で既に殺したと僕は確かに答えた。

「実際は何番目だ?」

「十三番目。彼女が一番綺麗に頭を吹き飛ばせた。首から先が綺麗に無くなったのは、本当に気持ちが良かったよ」

 へえ、と感嘆を落として、ニヤリとラースが嗤う。そうだ、その嗤いだ。僕が一番惹かれた、彼の深遠。

「殺した後に犯したけど、あんまり良くなかったな」

「え?マジで?殺した後にヤっちゃったの?」

 うわぁお、と声に出さず、しかし嬉しそうな顔で口が動く。何だ、興味津々だな。

「彼女とセックスする願望は少なくともあったんだけど、彼女の目が気に入らなくてさ。それがなければイケるのかなって思って」

「でも良くなかったと?」

「イくだけイったけど、何か違うなぁって。正直言うと女とのセックスはそれ以来興味が湧かない。お前がアレだけ女遊びをしているのが正直信じられない」

「マジかよー!お前そうなの!」

「今は技術書の解読とその検証実験にばっかり気が行くし、性欲を感じる前に殺戮で発散してる気がする」

「ハンサムなのに勿体ねぇのな!」

 一杯目のワインを空けて、削りチーズを広げつつ二杯目を注ぐ。それを合図に、お前は?とラースに視線を投げる。グラスを傾けてワインを注がれながら、ラースはその重い口を開いた。

「エリーは、何て言うか、洋上に吹く突風みたいな女だった」

 そこに吹いている事は分かるのに、風を掴もうと進路を変えるとすうっと風が逃げるような。見えているけれど掴めない、強い風のような女だった。とラースは何処か遠くを眺めるように目を細めた。

「海に吹く風は孤高で美しい物だって信じてたんだけどなぁ……エリーが海から上がるかもしれないって噂を聞いてさ。居てもたっても居られなくなって、話を聞きたくて停泊してるって港に追っかけてったんだ」

 エリーが結婚して海から上がるかもしれない。エリーが汚されてしまう。そう思うと心臓が破裂しそうだった。

 エリーが泊まっていると聞いた宿の部屋に行って、扉を叩いて、返事に彼女が名を呼んだ。

 嬉しそうな声で、知らない男の名前を呼んだ。

『ケイン、もう来たの?早かったわね』

 言葉が扉の向こう側から響き、足音が近付いて、扉が開いた。

「思わず刺してたわ」

 その一言に、背筋が震えた。

 恍惚とした表情のラースの目の奥に、キラキラとした光を飲み込む真っ黒な闇が見えた。ああ、何て心地良さそうな顔をしているんだろう。

 一撃目で急所を外してしまい、驚いた彼女の反撃に右の額を切りつけられた。痛みは感じず、ただ鬼気迫る女の顔に欲情した。恋慕と愛情と、憎悪と殺意が混ぜこぜになった。

「気が付いたらエリーは血の海に浮かんでた。エリーが穢れてしまった、って思ったんだけど、実際そんな事なくて、真っ赤に染まった彼女は凄く綺麗だった」

「はぁ……いいな、よく分かる」

 自分の顔が緩んでいる。だらしない顔をしているだろうな。僕の方を見たラースが、子供のように破顔した。

「分かってくれる?彼女の死体が凄く綺麗だったの!」

「分かるに決まってるだろ。僕だって、彼女の吹き飛ばした首から吹き出した血がどれ程美しかったか、言い表せない」

 ああ、きっと僕も今ラースと同じような、爛々とした目をしているんだろう。

「それから、どうしたんだ?」

「それからな、とりあえずデコの傷はエリーが持ってたバンダナで止血してさ、エリーを海まで運んだんだ。デカイ鍋も調達してさ、彼女の髪を切り落として、死体をバラバラにして、鍋の中にぶち込んで煮詰めたんだ」

「ああ、その話はクラーガ隊の奴らから少し聞いたよ。煮込んだのは首だけじゃなかったのか?」

「全部だ。全部一晩掛けて煮込んだ」

 煮融けた肉の中から綺麗になった頭蓋骨を引き上げれば、いつまでも変わらない美しい彼女が手元に残った。手元にエリーを寄せて、その頬骨から顎骨までのラインを愛しそうに撫でるラースの指先が艶かしい。残りの骨も大方取り出して、彼女が着ていたコートで包んで持ち帰ったと言う。

「その骨はどうしたんだ?」

「アジトにエリーの墓を作った。内緒だぜ?」

「何だ、結構律儀なんだな」

 うるせぇよ、と笑ったラースの顔に、もう疲れたような影は見えなかった。

 その後、別の街である人形師に出会い、その男のアドバイスでエリーをより美しく飾ることにした。切り落とした髪でカツラを仕立てエリーに被せ、髪飾りで飾り立てて。船長室には同じ背格好ほどの人形を用意し、その首部分を外して台座を作り頭蓋の定位置を作った。

「いつでも俺とエリーは一緒ってワケさ」

「そうまでしてるのに女遊びに行く神経がやっぱり分からないな」

「それとこれとは別の話なんだよなぁ。ところでさ、死姦した時ってアレどうなの?締め付けとか」

「お前、そう言う話に摩り替えるか?もう僕には興味のない事だ。忘れたよ」

「あっ、お前そう言うのはナシだぜ。ちなみに俺は今でもエリーをオカズに……」

「止めろ生々しい」

 何だよ下ネタ話そうぜ!と首をホールドされて、抵抗空しく落とされかけた。本気で首が絞まって真剣にギブアップを訴えた。

「げほっ、そこまでやるか馬鹿野郎」

「あっははは、あぁーあー……はぁー……何だかスッキリしたぜ、ありがとなメーヴォ」

 一頻り笑ったラースが、少しだけ真剣な顔で謝辞を述べた。お前から殊勝な事を言われると気分が悪くなりそうだ、と喉まで出掛かった皮肉を噛み殺し、僕は建前と本音を半分ずつ口にした。

「言っただろう、お前には宝への航路をしっかり取ってもらわないと困るんだ。僕のためにも健康な航海をしてもらわないとな」

「ちょ、海賊相手に健康ったってなぁ」

「ヴィカーリオには他の追従を許さない食事の番人と体調管理の番人が居るだろう?健康優良海賊があっても良いんじゃないか?」

 コイツは一本取られた、と言う顔でラースが笑う。じゃあ深酒は今日で終わりだな、と言ったラースが開けてあったワインの瓶に口をつけた。

「あっ、一気飲みはずるいぞ」

「っあー!うめぇー!」

「ならば僕はこっちを空けるからな!」

「あ、オイ待てよ、俺もそっち飲みたい」

「グラス一杯なら譲ってやる」

「けちんぼ!」

 結局僕らはその後も、略奪の手際だの最も美しい殺害方法だの。果ては酒の肴の話や他愛のない話をして夜を満喫した。

 何かの拍子に腹を抱えて笑ったラースがベッドにゴロリと転がって、そのまま寝息を立て始めたのをきっかけに、僕らの酒盛りは終わった。

 狂人二人、腹を割って今まで誰にも話せなかった事を大方話しただろう。いいや、まだ話していない事が幾つかある。

 別に構わない。僕らにはまだまだ時間がある。また今度、次に良い酒を手に入れたら、また二人で酒を酌み交わそう。

 まだ話していない事を話せば良い。これからの事を話せば良い。話題は尽きない。

「おやすみ、ラース。空の供物からの良い夢を」

 だらしない顔で、大の字で寝るラースに毛布を掛けてやって、僕も隣のベッドで目を閉じた。

 いつ振りか分からないくらい、僕は深く深く眠った。



 昼近くなって起きたラースに起き抜けの水を手渡し、昼食に誘い出して今後の予定について進言した。

「魔法石を触媒に使用した魔法の原理は何となく分かるか?」

 そう切り出した時点でラースが、ん?と目を丸くしたので、掻い摘んだ話をしながら昼食を食べた。

 魔法使いたちが僅かな魔力で強大な魔法を使用するのは、魔力を増幅する作用を持つ魔法石を触媒に使用するからであって、元来魔法とは術者の命を削って発動される奇跡であること。

「お前の持つ魔法銃も、内部に魔力を増幅させる水晶が入っている。エリーの銃は氷水晶。此処までは良いな?」

「俺らが便利な魔法を手軽に使えるのは、希少で高価な魔法石のおかげって事は大体理解した」

 この調子では大した原理も理解せぬまま、単に無駄撃ち出来る便利な銃程度の認識で居たに違いない。いや、その頭だったからこそ、僕と言う技術者を切望したのだろうけれど。溜息を一つ、食事と一緒に飲み下して、僕は話を続ける。

「例の技術書を解読して、魔法石を使わずとも、ごく有り触れた宝石でも魔法石と同等、もしくはそれ以上の効果を得られる認証実験に成功した」

「え、つまり?え?普通の宝石で魔法使えるって事?」

「そう言う事だ。ただし純度や大きさ、小さいものなら数がなければ、相応の効果しか期待出来ない」

「お、おぉ?……凄くね?それ。凄い事じゃねぇの?魔法石に比べたら、宝石なんて全然やっすいだろ!」

「確かに価値としては三倍から五倍は違う。だが言ってるだろう?相応の大きさや純度、数が必要だ。魔法石のように魔力を増幅させるような効果は薄いにしろ、魔力をより純度を保ったまま発動させようとすれば、それなりの土地の力を宿した宝石が必要に……」

「あぁーあー分かったわかった!難しい事は置いといて、次のお宝は大降りの宝石って事か……へっへっへ。コイツは楽しくなってきたぜ」

 半ば強制的に講義を終了させられたが、そう言う事だと話題を締めて、僕はフォークとナイフを置いた。



 航路の決まったエリザベート号は、追い風を受けて港を離れた。たっぷりの資材を抱え、少し長い航海になるだろう。風は帆を膨らませて尽きる事無く船を押し進めてくれる。晴れた空の下、船は順調に海原を進む。海軍の巡視船の航路はレヴが調査して来たので回避する。舵を取るラースがご機嫌で歌を口にする。船乗りたちの陽気な歌が海の上に響く。


♪海風受けて、遠くへ行こう 家も家族もなくしちまった、おいらは気ままに一人旅

 海の供物にお祈りしたら、さあその導きのままに漕ぎ出そう

 追い風受けて、遠くへ行こう 父も母も家族はいない、仲間が唯一おいらにいるさ


 誰もおいらたちの船出を止められやしない 海軍海賊敵を薙ぎ倒せ

 セイレーンも人魚もドラゴンも、全て倒してやれ進め

 お宝全部おいらのものだ お宝全部酒に変えろ 全部飲み干せ勝利の美酒を


♪横風受けて、海を往こう 強敵海軍打ち破り、おいらが一等海の男

 空の供物にお祈りしたら、さあその導きのままに風の吹くままに

 風よ吹けよ、海へ往こう ともよ往こう、その先の先へ……


 気持ち良さそうに歌う船員たちに釣られて、僕も少しだけ歌を口ずさむ。ただし、その音程は何処かずれる。分かっている。僕は音程を捉える事は出来ても、正確に発声する事が出来ない。つまり音痴なのだ。

 少し口ずさんで、やはり僕は歌うのを止めた。誰も気にしちゃ居ない、と言ったラースの言葉を反芻しても、まだ僕が船乗りの歌を口ずさむには遠いようだ。


おわり


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